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ep58

癖のある教授の講義は理解力が試される。

演説は明瞭なのだが内容は不明瞭。

同室の学生たちからは同じ感想が聞こえてきた。

基礎科目なのだからもっと分かり易い講義ができるはずと陽子は歯ぎしりをした。

国立大だけあって県内外、海外からも学生が集まってきていた。

皆が皆、頭脳明晰な顔付なのだが話す言葉はいたってフランクだった。

格調高い言葉遣いの者に出会ったことがない。

美男美女だらけかと思いきやそうで無い者も多数いる。

その点だけは高校時代と変わらないと陽子は思った。

高校時代は頭一つ背高の陽子は目立つ存在だったが大学ではそれほどでもない。

それでも美貌が目立つがゆえに色々な学生から声を掛けられ少々困っていた。

ナンパ、部活勧誘、いかがわしいモノへの誘いと様々。

相手の心の裏を覗きこみ隙を突けばしどろもどろになって退散していく。

ただし断わり方に角が立つと後々になって問題になるため気は遣った。

SNSで悪い噂を流されるとも限らない。

死角から動画撮影されていたこともあったので常に人目を気にしなければならない。

こちらが隙を作るとそこを突かれる。

人を寄せ付けないオーラがあるなら身に着けてみたいと陽子は思った。

麻相にはそれがあるから羨ましく思えた。

しかしそれは対人関係を拒絶する姿勢であるので将来を見据えればマイナスでしかない。

どこで線引きをするのか陽子には難しい判断が必要だった。

大学の陸上部からは熱心な誘いがあった。

国立大陸上部でも陽子の実績を知らない者は居なかった。

無名の陸上部を有名にするチャンスとばかりに将来のエースにと待望されていたようだった。

周囲の期待はともかく陽子にはその気がなかった。

基礎科目ですら頭痛の種になりつつある中で学業との両立は無理だからだ。

そもそも高三の大会で意図して負けたことでモチベーションが喪失、未練が無くなっていた。

自宅から片路1時間40分もかけて通学していては部活どころではない。

通学時間が長いことは自宅での学習時間が削がれてしまう。

電車とバスに揺られる時間が無駄に思えていたがこれだけはやむを得ない。

大学に通えるのも両親が健在の証、通学時間の長さは我慢するべきと陽子は考えていた。

大学近くにアパートを借りることも考えたが好条件の物件が無かった。

学生向けと謳う物件でも家賃5万円からでは親の負担が大きすぎると思えた。

確実に需要が見込めると足元を見られているようで気が進まなかったからだ。

今日も一日のカリキュラムを終えると校門へ向かっていた。

友人たちはバイトがあるとかで足早に散っていった。

こんな状況でバイトができる友人たちの才覚を羨ましく思っていた。

講義内容を自宅で反復しないと明日に繋がらないと陽子は焦れていた。

今日の講義はいつも以上に密度が高かったように思えた。

リスニングだけなら帰宅途中の電車内で済ませられるがレポートはそうもいかない。

どの体裁でまとめるのか電車に揺られながらイメージを固めてるのが日課だった。

バイトはやりたい、そんな余裕があるのか、出来るのかと陽子は不安になっていた。

校門から出ようとした時だった。

「もりもとさあ~ん。森本陽子さ~~ん。」

後ろからの呼ぶ声に陽子は立ち止まった。

振り向くと植込みの際をすり抜けて男性が一人、駆け寄ってきた。

また来たと陽子はうんざりしつつ男性と対面した。

勧誘かナンパかキャッチセールスか、良い話ではないと陽子は腹をくくっていた。

「呼び止めてごめんなさい。」

「何でしょうか?」

清潔そうな顔立ちだったが太目の体つきだった。

ブレザーとスラックスに紙袋を下げた男性とはどこかで会ったような気がしていた。

「あ、ごめんなさい。新手のナンパとかじゃないです。勧誘でもないです。」

そう言うや男性は笑顔を作り胸ポケットからカードケースを取り出した。

名刺を差し出してきた。

【学生会自治会 書記長 木村 龍二】と記されていた。

「じちかい?」

陽子は名刺を受け取ると男性の顔とで交互に見比べた。 

「ちょっと時間がないので手短にしますね。」

断わりを付けると腕時計で時間を気にした。

「新入生の中から自治会役員を引き受けてくれそうな方に声を掛けています。

森本さんもそのうちの一人です。どうでしょう?」

いきなりのことで陽子は返事が出来なかった。

学生会があるのは知っていたが自治会に誘われるとは思ってもいなかった。

「今すぐに返答しなければいけないことでしょうか?」

陽子は毅然として答えた。

考える時間くらいは作って欲しいが今の言い方ではその暇がない。

性急すぎると陽子は憤った。

「そうですよねえ。今すぐには無理か。学生会自治会の活動内容も知らないですよね?」

「入学して一カ月も経ってないので、まだ何も分からないんですよ?」

少々きつめの言い回しになっていると陽子は思った。

「ほんと、ごめんなさい。あ、これを差し上げます。暇な時に読んでください。」

木村は紙袋から冊子を取り出して陽子に渡した。

表紙のタイトルには【学生会の今後と自治会の在り方】とあった。

片隅に 【木村用】とも。

「自治会の活動内容を総括したものです。今は活動内容の見直しをやろうと思ってます。」

木村はそれで一仕事終えたとばかりに顔を緩めた。

「返事は自治会の事を理解してもらえてからでいいです。そうですよね、いきなりはダメですよね。」

柔らかな物腰は誰からも好かる、敵を作りにくいとはこのことだろうと陽子は観察していた。

「でも、どうして私なんですか?」

陽子は当然の事のように尋ねた。

「実は僕、西高校の陸上部に居ました。種目は1万メートルとハーフです。」

それを聞いた陽子は唖然とした。

長距離ランナーにしては横幅が大きいからだった。

どちらかといえば砲丸投げかやり投げに向いている体格だった。

「サバル・フィールド(県立陸上競技場)では遠くから森本さんを観てましたよ。」

「サバルで?」

県大会に木村もいたのは他の選手の付き添いだと陽子は想像した。

短距離とフィールド競技は同日開催だが長距離は別日程で開催されるからだ。

「うちの女子たちは青田の森本さんにだけは負けたくないと必死でしたよ。

全国行けないのに森本さんにだけ勝ってもしょうがないんですけどねえ。」

木村は自嘲気味に笑っていた。

県大会での成績は満足のいくものではないにも関わらず目標とされていたことが意外だった。

注目の的になっていたことを改めて知り陽子はまんざらでもない気持ちになっていた。

「森本さんとコンマ何秒勝った負けたって、レベル低いですよねえ。」

その通りだと陽子は思った。

全国レベルは陽子よりも1秒以上速いから比較対象とするのは間違いであると。

「それと、いっこ上の吉岡、知ってますよね。」

その名前は鮮明に覚えていた。

「高2の時のキャプテンでした。」

「吉岡とは中学時代の同級生、同じ陸上部です。あいつから森本さんのことは聞いてました。」

妙なところで繋がっているものだと陽子は感心した。

細身、柳腰の長距離ランナーだったと吉岡のことを記憶していた。

「吉岡先輩はお元気ですか?」

「元気ですよ、先月会ったばかりです。

森本さんが国立に決まったと教えてくれたのもあいつです。」

そんなことまで吉岡が知っていたのは不思議だった。

卒業後の吉岡は高校に顔を出したことが一度もない。

そのため陽子の事情を知るはずもなかった。

部活顧問と個人的な繋がりがあるのかもしれないと陽子は推察した。

「もっと前に出るべきだ。リーダーに相応しい。森本さんを高く評価してましたよ。

生徒会長になって色々と見たり経験しておくべきだってベタ褒めしてました。

そんな方なら自治会ははまり役じゃないかと思うんです。」

木村の言いたいことは分かっているつもりだった。

高校時代にも多方面からリーダーをやるよう促され来た。

大舞台に弱い自分が多数を率いる事は無理があると断り続けてきた。

それは今も変わらない。

「それ、読んでもらえば分かりますが、自治会は裏方です。はっきり言って学生たちの後始末です。

スポットライトが当たらなくても地道に頑張れる方が向いてます。

それが嫌ならばそう言ってもらっていいです。他をあたりますので。」

意外な展開に陽子は虚をつかれた。

先ほどは有無を言わさずに返答を求めたのとは真逆なのだった。

「あ、時間が。」

木村は腕時計をチラ見してそわそわし出した。

「これ、読んでおけばいいんですよね?」

「今日のところは。返事はまた今度ってことで。」

冊子を手にしたまま陽子は複雑な表情を浮かべていた。

「名刺の裏にQRコード。ライン登録してもらえば質問に答えますので。」

矢継ぎ早に言葉を紡ぐと木村は校内に向かって歩き始めた。

「じゃあ、また。」

陽子をその場に置いて走り去っていった。

唐突、性急、陽子は唖然としていた。

言う事だけ言って去って行った。

大学生にもなると押しの強い人物がいるものだと陽子は妙に関心をした。

冊子はトートバッグに入れ、名刺は定期入れに仕舞い込んだ。

4月の夕刻、雲の切れ間から青空がのぞいていた。


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