ep49
寒波が襲って来ていたが池口市は冬晴れの朝を迎えた。
昨夜のニュース・ショウの内容を麻相は回想していた。
青田市奪還は避難民にとっては良い知らせにはなった。
ただし警察庁幹部の会見では全面解決までには時間を要するとのことだった。
テロ組織の幹部クラス5名、構成員7名は身柄を拘束した。
被疑者は事情聴取に黙秘を続けているが容疑が固まり次第、逮捕する。
他の構成員二十余名は逃亡、行方を追っている。
市内に潜伏している可能性もあり引き続き100名体制で捜査を続ける。
孤立していた青田市民病院へは県警ヘリにより物資搬送が行なわれた。
青田警察署内にて単身で立て籠もっていた服部時男署長が行方不明。
テロ組織の構成員が人質にとり逃走した可能性もあり慎重に足取りを追っている。
青田警察署員に多数の負傷者が出ているがいずれも軽症と締めくくった。
そこで記者クラブからの質問になった。
記者たちの関心事は今回の事件は事実上の軍事クーデターではないかとのだった。
元自衛隊員の関与と戦車が市内に運びこまれたことも焦点になった。
警察庁としては破壊活動防止法に基づきテロ行為を鎮圧したと繰り返すだけだった。
防衛庁に捜査協力を打診している、詳細は現在調整中として明言を避けた。
市民に被害者がいるかも焦点になったが今のところ報告は無いとした。
青田警察署員が負傷した状況も質された。
テロ組織が警察署を襲撃し、対応した署員と銃撃戦となり負傷者が出た。
署員は服部署長の指示により坂道警察署へ退避した。
それに対しては警察官が真っ先に逃げ出すのは何事かと問い質す意見が噴出した。
市民の安全確保を優先するのが責務ではないかと辛辣な意見も出た。
以降も記者から喧々諤々の質問が飛び交っていた。
警察庁幹部と県警幹部は木で鼻をくくったような答弁に終始していた。
ほどなくして県知事と青田市長の会見になった。
一通りの状況説明を終えると市内のインフラ整備を最優先に実施し市民生活の再開を急ぐとしていた。
テロ組織の潜伏の有無と確認、インフラ整備が完了次第、避難勧告を解除する。
建物、設備面での被害は市役所、警察署、消防署、市民病院、小中学高校などで確認されている。
個人宅にも被害報告が上がっているが規模と戸数は確認中とした。
周辺市町村、県レベルで大規模災害に準じた救援措置を実施中。
国にも災害応援として支援物資の搬入を急ぐよう要請をしたとした。
記者からは自衛隊に災害派遣要請をしないのかとの質問があった。
知事はそれを否定した。
理由としては今回のテロ行為に自衛隊関係者の関与の疑いがあること。
事実関係が明らかになり疑惑が晴れるまで自衛隊への協力要請はしない方針だとした。
防衛庁からも協力できない、出動できない旨の連絡があったことが明かされた。
年内に避難解除が出来るよう関係各所と最大限の努力を続けると締めくくられた。
映像には青田市の現在の様子、映像が出てこない。
テレビを見ていた人たちから不満が漏れていた。
首相、内閣官房長官の会見は今日の昼過ぎに行われるとして番組は次の話題に移った。
高崎たちが逃亡中との扱いになったのは幸いだった。
拘束された迷彩服の男たちとグレーツナギの男たちが何を喋るのか気になっていた。
麻相や田端たちの活躍を証言した場合には厄介事に巻き込まれる恐れがある。
警察当局の取り調べ、マスコミから取材、衆人監視の元の生活になる。
田端が危惧していたことだ。
ならばあのような行動自体を避けるべきだったのではと田端や牧の動向に疑問に思った。
犯行グループの前に顔をさらすのは危険すぎたのだと今更ながら麻生は後悔していた。
田端や牧、山崎といった仲間がいたために勢いに任せてしまったのかもしれない。
牧が自身の不発弾処理演習事故の顛末を省みて今後の展開を語っていた。
事が本当に深刻ならば真実は表沙汰にならず概要が公表されるだけ。
偽情報が百出しどれが真実か分からなくする、いわば情報かく乱が行なわれる。
戦闘車両二台を持ち出された事実だけでも自衛隊はおろか国会にも壊滅的なダメージを与える。
国家転覆の一大事だが、そうならないためにどこかで【調整】が入る。
もし【逃げ遅れた市民の活躍】があったとしても隠ぺいされる可能性は高い。
それにより事件解決が早まったとなれば警察のメンツが潰れる。
俺たちは見えない軍隊、ゲリラだ。
自己満足に浸るしかないと頬骨の向こうで笑っていたのが思い出された。
それでも市民病院の窓から患者に覗かれていたことが麻相には気になっていた。
スマホで撮影したものをネットに上げられたら取返しが付かない事になる。
拡散されたら取り消すことにはできない。
それすらも国の【調整】で潰せるのだろうかと疑心暗鬼になっていた。
昨日の夜は段ボールベッドにスリーピングマットに毛布だけの慣れない寝具ではあるものの
久しぶりに熟睡できたことにある種の快感をもって目覚めることが出来た。
朝食後に空き教室へ出向き、陽子を含めた他の生徒と一緒に自習をした。
陽子の周りには同級生、下級生の女子生徒が取り囲んでいた。
いつも輪の中心にいるため男子生徒が割って入る隙はなかった。
男子生徒は2~3人でグループを作りそれぞれが気ままに自習をし、教え合い、ふざけ合っていた。
麻相はそれにも加わらず唯我独尊とばかりに孤立していた。
麻相と陽子は目を合わせただけでその場で会話することは無かった。
身を挺して守ったことは事実として皆が知っていた。
今更遠慮することもなく親し気に話をしてもよさそうに思えた。
それでも麻相は陽子に対して一定の距離を保もとうと考えていた。
皆の前だけでなく一対一で会うことがあったとしてもそれは変わらないと麻相は考えていた。
素直になれとの牧の言葉が脳内でリフレインした。
この場合の{素直}とは何を指すのか麻相の中では混とんとしていた。
今は学業のこともあり陽子に依存してしまっているが陽子にとっては邪魔な存在でしかない。
いつまでも陽子の傍に居てはダメ、これが麻相の心情だった。
でもこれは、精一杯の強がり、自分についた嘘かもしれないとも麻相は思った。
机に広げた問題集は難しいものではなく次々と解けた。
ところが数学だけは半分も解けなかった。
正答率はさらに半分だったため自分の不甲斐なさを恨んだ。
期末テストでの絶好調ぶりが嘘のようだと麻相は一人で苦悶した。
あれが成績に加算されないことは残念、悔しいとさえ麻相は思っていた。
昼食を挟んで午後二時半には放課後になった。
四時までは居残りするも可とされたが残る者は少なかった。
麻相は日用品の買い足しのために徒歩で出かけた。
昨日は大雑把に買い込んだので細々としたものまで気が回らなかった。
必要以上に買い足す必要もないが必要最低限がどれくらいかの見当が付かずにいた。
帰る場所があるならばそこにすべてが揃っているので足りないくらいでも構わない。
麻相の場合は他所の家庭とは事情が違うので過剰にあっても困らないと考えた。
年内はここに居続けることになると想定して買い物をしなければならない。
陽子がいつも通りに進学塾へ通い、そこから帰るころには父親も帰宅していた。
手早く夕食を済ませると麻相を誘い日帰り温泉施設へ向かった。
車中、親子三人は賑やかに会話をする中、麻相は会話に加われず大人しくしていた。
浴場でも父親との会話は少ない。
父親に嫌われていると麻相は勘繰り必要以上の事は話しかけずにいた。
むしろ世間話ができないことが苦痛に感じていた。
会話力がない、喋る事が億劫になっていることを自覚させられた。
田端と牧は初対面から会話が成り立っていた。
どのようにすれば彼等と同じような会話力が身につくか想像すらできなかった。
とはいえ、麻相とて沈黙の間があるのが心苦しかった。
何かを喋りたいと思っていても話掛ける話題がなかった。
父親との共通の話題でもあればと思ってもそのきっかけすら掴めない。
心苦しいままに頭髪を洗ってもらった。
脱衣所で衣服を着ていると父親は麻相の右腕の包帯を眺めて目を細めていた。
父親はおもむろに口を開いた。
「陽子を庇って怪我をしたんだよな。ありがとう。」
いきなりのことで麻相は返事ができなかった。
それは事実ではないとも言えず押黙っていた。
父親からはそれ以外に余計な言葉は掛けられなかった。
父親の表情からは本心が図りきれなかった。
休憩ホールでは入浴を終えた人たちが寛いでいた。
飲み物を飲む、談笑する、据え付けの新聞・雑誌を読む、テレビを見る、様々。
テレビでは首相の会見についての解説がされていた。
過激思想の持主らによる犯行であり内乱ではない。
記者からクーデタ―ではとの指摘にはかたくなに否定していた。
それには該当しないと繰り返すことで首相自ら{クーデタ―}と口にしたくない事が伺えた。
その見解に解説者は意義を唱えていた。
昨夜の警察庁幹部の会見とさほど変わらない内容だと切り捨てた。
防衛大臣の会見は未だに無く早期の会見を開くべきと断罪していた。
帰路の車中で父親はクーデターを認めたら国会が空転するから避けていると言っていた。
たとえ認めなくても野党が黙ってはいない、国会審議が中断するから同じことだと。
防衛大臣は自衛隊幹部の首を切ってから辞任だと父親は言及した。
避難所である体育館に着くとそれぞれのパーテーションに分かれた。
消灯までの時間は問題集に取り組むと陽子が言ったので麻相もそれに倣った。
暖房機の音もそこそこにあり、話し声も足音も聞こえてくる。
昼間の騒々しさよりは幾分はましだがそれでも静寂とは言い難い。
そんな中では集中しきれない麻相には不利といえた。
数学にとりかかったが数式の悪魔が麻相の脳みそを支配した。
机代わりの段ボールベッドの上に広げられた問題集には呪文が並び読み解くことができない。
これなら高崎にやられた方がマシに思えるほどだった。
瞬きの回数だけが多くなるものの一向に回答が浮かんでこない。
焦りを感じていたその時、陽子がパーテーションの前に立っていた。
黒のベンチコートを身にまといフリースレギンスのすそが覗いていた。
手には問題集と筆記具が握られ心配そうに麻相を見つめていた。
「入っていい?」
麻相がマットと毛布を押しのけて場所を開けると陽子は隣に座り込んだ。
空欄の目立つ問題集を覗き込んだ。
シャンプーの香りが漂う中で肩と肩がぶつかった。
麻相はさらに離れたが陽子はさらに肩を押し込んできた。
【お一人様向け】の狭いパーテーション内に衣類と生活用品が並ぶ中ではさらに狭い。
麻相と陽子の意思とは無関係に身体を接触させて座るしかなかった。
麻相の右腕からジリジリとした痛みが陽子の左腕に伝わってきていた。
「どうしたの?出来る問題まで出来なくなってる。」
陽子は問題集を見つめたまま固まった。
この三日間で色々とあったことは分かっている。
それに捉われてばかりもいられないと陽子は思った。
気持ちの切り替えが必要なのだが麻相にはそれが出来ていなかった。
「まだ痛むの?」
安静にしていても痛みが出ていることを陽子は分かっていた。
「動かす時にちょっと。」
心配を掛けないためのやせ我慢だった。
「そう。」
設問から麻相が何処でつまづいているか陽子は考えていた。
麻相は苦渋の表情のまま陽子の助けを待っていた。
「ああ、これ難しいよねえ。レベルの高い問題集を選んじゃったかな。ごめんね。」
陽子はそう言って弁解したが内実は違っていた。
「いいよ。謝らなくても。」
期末テスト前までの緊張感が今の麻相にはないと陽子は気が付いた。
単純なケアレスミスにも気が付かないレベルにまで落ちている。
スタート地点からやり直すしかないと思えた。
ただ陽子も余裕が無くなっていたのでそれも難しい。
共通テストまで一カ月を切っている。
この状況で避難所生活はリスクだけが上積みされていると感じていた。
麻相に付き合ってもいられない。
そんな考えに捉われた時、パーテーションの陰に気配を感じた。
いつも身近に感じている気配だった。
父親が息をひそめてそば耳を立てている。
陽子と麻相がいかがわしい事をしていないか探りにきていたのだった。
あいにくそんな雰囲気ではないと陽子は憤慨と共に失笑した。
「もう一度、命題を見て。めんどうだけど逆、裏、対偶を書き出して。
全部を一気に整えようとするとトラップに嵌るよ。」
「えっと・・・・」
麻相はペンを持ったまま設問を何度も読み返した。
逆と裏と対偶の数式を一つづつ欄外に書き出した。
「そう。=の次は?逆を考えて。」
それに呼応するかのように麻相は正答を書き込んだ。
「うん。いいね。可笑しいと思ったら命題を読み直して。裏と逆は間違えやすいからね。」
「分かった。」
ようやく麻相の顔が柔らかくなり陽子も安心した。
「見に来てくれたんだ。
でもさ、森本さん、国立に行くんでしょ。俺に構ってちゃダメだよ。」
陽子の気遣いに感謝をしつつも陽子の今後を麻相は心配した。
「気になるから。時々。手につかないのお。」
心配無用とばかりに気休めを言ってみた。
間近にいる父親への当てつけでもあった。
「でもさ、落ちたのは俺のせいと言われたら困る。」
建前ではなく本心から言ってくれている。
麻相も余裕がない。
それでも陽子の都合を最優先にするよう言ってくれたことが嬉しかった。
気遣い無用とばかりも言ってられない。
分からなかったら聞きに来てと言えないもどかしさがあった。
自分もぎりぎりのところで踏ん張っているからだ。
時間が許すまで麻相の隣で問題集に取り組むつもりだった。
物影に隠れて父親が様子伺いで居るようではそうもいかない。
「じゃ、私、戻るから。」
言ってみたもののすぐにパーテーションから出ようとしなかった。
父親が退散する間を与えるためだった。
間をおかずにかすかな足音が遠のいていった。
「どうしても分からない問題は無視でいいよ。今度、教えてあげるから。」
「うん、ありがとう。」
「頑張ろう。」
陽子はパーテーションから出ると振り向きざまに手を振って戻っていった。
シャンプーの残り香と肩越しに感じていたお互いの体温が愛おしくもあった。
右腕の痛みも若干だが和らいでいた。
ただ麻相のいる空間だけが虚無感に苛まれた。
そう感じるのは自分だけだと麻相は思った。
否、自宅にいる時でさえ虚無感と同居していた。
祖母が死んでからはいつもそうだった。
稀に親が帰宅しても虚無感から脱することはなかった。
だから今更そんな言葉を思い出してもしょうがない。
その言葉を繰り返しても意味がないと・・・・・
ー寂しいー




