ep40
早朝、薄暗さが残る中を山崎は病院内へ忍び込んだ。
見張りの目を盗み給食センター搬入口から易々と侵入できたのは昨日の脱出と同様。
気を張り詰めれば周囲に人が居るか居ないかの判断ができる.
力はこんな場面で生かされた。
厨房では給食業者が朝食準備に取り掛かっていた。
給食業者社員もこの二日間は帰宅できていない。
疲れをもろともせず自身の責任を果たすために通常どうりに動き回っていた。
山崎は唇の前に指一本立てた。
自分がここを出入りしたことを秘密にしておいて欲しい旨を無言で伝えた。
厨房への出入りは衛生上禁止とされていた。
しかし病院事務員と看護師は時おり来訪しては業務連絡なり私的な注文なりをしていた。
山崎も同類のように振舞ったので職員から怪しまれることはなかった。
厨房から出ると静かな通路を看護師が通常通りに動きまわっていた。
医師、看護師ともに帰宅が叶わず疲労感がにじみ出ていた。
いつもとは違う状態を長く続けられない、田端の言うとおりだと山崎は思った。
馴染みの看護師と鉢合わせになった。
病院内と病院外の情報交換をした。
暴漢たちは見張り役を病院内に置いていないと看護師は明言した。
容態急変した入院患者がいないのは不幸中の幸い。
両手首を骨折した暴漢が一人運び込まれきたこと、外来が居ないこと以外は平常と変らぬとも。
警察が動き出しているので間もなく事態は収まるので安心するよう山崎は伝えた。
こんな気休めでも言っておかなければ彼ら彼女らのモチベーションが落ちる。
この状況を乗り越えるためにも嘘も方便と山崎は割り切っていた。
山崎が目指すのは通路上にある赤いピクトグラムだった。
いつもの見慣れたはず消火器のピクトグラムだが今日に限って見つけられない。
焦るのは自分らしくないが急ぎの用であるには違いなかった。
途中で事務員と行き会ったので外の様子を伝えた。
国も警察も動いているので安心するよう伝えた。
夜勤、残業などの過重労働に慣れていないためか疲労度は深刻に思えた。
看護師や医師とでは心労の度合いが違うことが浮き彫りになっていた。
事務員は患者用給食を心配していた。
給食センターの食材はあと四食分しかなく、明日以降は備蓄食料になることを危惧していた。
医療用品、薬剤は現在のこころは足りている。
明後日の入荷が無ければ一部の治療ができなくなると懸念とも愚痴とも言えない口ぶりだった。
一両日中に終わらせなければ病院が窮地に陥る事が分かり山崎にも焦りの感覚が湧いてきた。
男性三人のがんばりに期待するしかない、せめてもの手伝いをこうしてやっている。
巡り合えた仲間と一緒に責務を全うしている。
そこはかとない充実感を山崎は感じていた。
暇を持て余す精神科医とはいっても病院内を無闇に歩き回ると人目を引く。
他の看護師や医師への気兼ねもあり早々に立ち去るべきと山崎は気を回した。
手っ取り早く厨房の消火器を拝借した。
約6キロもある消火器二本を両手にぶら下げると外へ向かった。
両肩が外れるのではと心配になるほど重さだった。
搬入口から外の様子を伺ったが人影はなかった。
麻相たち三人は搬入路を避けて左奥フェンス沿いに隠れているため視認できない。
それ以外に人の気配もないのを認識すると両肩の負担を省みずに三人の元へ走った。
麻相が顔と手だけを出して手招きをする。
ようやくの事で三人に元へたどり着くと消火器の一本を麻相に渡し、残りの一本を田端に渡した。
「じゃ、俺たち、先に警察署へ行ってる。」
「よろしく。」
小声で行き先を告げると田端と山崎は人目を避けるように小走りで離脱した。
麻相と牧はその場に残り、ナナヨン式の動向を見守ることになった。
周辺道路からはコンクリートフェンスで遮られ二人の姿は見えないが
二人のいる場所からは駐車中のナナヨン式が見えていた。
「ナナヨン式は走るだけなら操縦者一人でできる。
ただ、ふた昔前のブルドーザーと同じだから操縦はコツとカンがいるけどな。
弾を撃つには砲手と装填手の二人が必要、最悪一人でも何とかなる、手間がかかるけどな。」
「移動する、自走だけならグレーツナギでもできるかもしれない?」
「連中の面構えからしても工事現場で作業したことありそうだからな。
ただ、弾を打つのは専門知識が要る、勝手の違う機械操作だから元自衛官がやるはずだ。
ただな、あれ見ても分かるが外の装備、全部外してある。砲塔上の重機関銃もない。
もしかしたら中の武器管制も外してあって主砲は打てないかもしれんな。」
「戦車に詳しいですよね。補給部隊?それで戦車?」
「その前は武器科な。後方支援で戦車の整備もやってたから一通りは理解してる。」
「牧さん一人でも動かせる?」
「もちろん。」
牧は自身満々に答えた。
「あれがハッタリ、ただの置物だったとしてもやるでしょ。」
「当然。」
牧はその言葉に力を込めた。
「できれば殺すのも殺されるのも無しにしたい、田端さんの御意思だ。」
上官の命令は絶対とばかりに年上の田端を持ち上げた。
ただしその声はおどけていた。
声を潜めていると傍らから迷彩服の男がナナヨン式に近付いて行った。
「お、来た。」
「打合せ通りに。」
麻相と牧は身構えてその時を待った。
迷彩服の男はナナヨン式の正面に立った。
「搭乗準備。」
人差し指を向けて各部をチェックしながらナナヨン式の周りを一周した。
「搭乗。」
チェックが終わると一声をかけて砲塔へ登っていった。
好機到来とばかりに麻相と牧はナナヨン式に向けて飛び出した。
足音で気づかれないよう低空ホバリングによる移動は牧のアイデアだった。
牧は迷彩服の男の背後に降り立ち、麻相は身をかがめてナナヨン式の後部に隠れた。
迷彩服の男が砲塔上部のハッチを開けた。
「よう、ご同業の方。」
牧が威勢よく声をかけると迷彩服の男は驚愕して振り返った。
「・・・だ、だれ?」
困惑顔の男に対し牧は右指を突き出して腕を回転させた。
それに釣られるように迷彩服の男は宙を飛び牧の背後に叩きつけられた。
牧はすかさず迷彩服の男を抑え込みスリーパーホールドで固めた。
「お前らの目的は?首謀者は?言えよ。」
「言えるかよ。元自か?」
「見りゃあ分かるだろ。元機甲科だな。リーダーは?言えよ。このまま落そうか?」
迷彩服の男は脚をバタつかせ、腕を繰りだして牧の腕をほどこうとしていた。
牧の太い二の腕を叩き殴るが微塵もひるまず迷彩服の男に裸締めをかけ続けた。
麻相は砲塔に飛び乗ると消火器のノズルを砲塔内部に向けた。
ハンドルを握り白い消火剤がナナヨン式内部に噴射された。
「首謀者はだれだ!?どこにいる!?」
牧が声を荒げつつ腕に力を込めた。
迷彩服の男は必死に抵抗するが締め技をほどくことが出来ずそのまま失神した。
「何やってる!!」
駐車場の外側、車中に居たらしいグレーツナギの男がライフル銃を手に駆け寄ってきた。
麻相は噴射を続ける消火器をナナヨン式の中へ放り込むとグレーツナギの男を視界に捉えた。
グレーツナギの男は麻相に向けてライフル銃を構えた。
麻相が右掌を勢いよく前へ突きだすとグレーツナギの男は弾き飛ばされた。
勢い余ってそのまま地面を滑っていき、ライフル銃が字面と擦れ乾いた音を立てた。
銃爪が指に引っかかり暴発、駐車中の車のドアに無数の穴をあけた。
グレーツナギの男がうなり声をあげる中、走り込んできた麻相が後ろ手に拘束した。
「こんなことやってタダで済むと思ってるのか?」
麻相は静かな口調で男を脅した。
年齢的に大差ない男は何ごとか喚いてたが麻相は聞く耳を持たなかった。
牧は黒いガムテープを取り出し、迷彩服の男の腕と脚に巻き付けていた。
牧には敵わないが相当な腕力があると見込んで念入りに拘束した。
「んっ?」
「あっ?」
病院建屋の陰からさらに二人のグレーツナギの男たちが異変に気がつき駆け込んできた。
「おい、これ使え。」
牧は手にしていたガムテープを麻相目がけて放り投げた。
牧はそのままグレーツナギの二人に向かって行った。
ガムテープをキャッチはしたが片手で両腕を掴むのが難しい。
なんとか手首を十文字にガムテープを巻いた。
暴れる両足を抱きかかえながら足首にも十文字にガムテープを巻いた。
更に前腕をぐるぐる巻きで固定、下腿にも同様に巻き付けた。
これで身動き一つできずガムテープを剝がすことも出来ない。
喚き散らして喧しいため口にもガムテープを貼り付けた。
「黙ってろよ。」
牧の拘束方法をお手本にしたかったがが動く相手では全く同じとはいかなかった。
麻相は恐る恐るライフル銃を手にしたがその非日常なアイテムに手が震えた。
銃床を両手で支え牧の元へ駆けつけた。
牧はグレーツナギの二人を素手で組み伏せていた。
腹ばいで後ろ手で拘束、二人同時にだから牧は相当な猛者だと麻相は驚愕した。
麻相が駆け寄り一人づつガムテープで拘束していく。
牧の攻撃が効いているのか身じろぎすらできずに大人しくなっていた。
「うまいねえ。飲み込みはええよ。」
牧は顔を誇ろばせながら麻相の手業を褒めた。
「二人相手に速攻技はすごい!有段者ですよね?」
「柔道空手ともに初段、自慢なるかよ。うちの母ちゃんはどっちも三段、勝てねえよ。」
牧はガムテープを受け取るとバックパックに仕舞い込んだ。
続けてライフル銃の機関部を開き弾を抜き取った。
一見してプラスチックケースの様な弾を麻相は物珍しそうに眺めた。
「この薬莢には豆粒のような球がたくさんが詰まってる、散弾というやつだ。」
それを聞いて麻相は被害に遭った車のドアを眺めた。
「鳥を撃つ時に使う弾ですよね。」
「その通り。知ってるじゃん。」
牧は満足そうな笑みを浮かべ弾をポケットに入れた。
眼下の二人のポケットを探ったがめぼしい物がなかった。
「あいつのポケット調べたか?俺は迷彩の奴を調べてくる。」
麻相は拘束したグレーツナギに近付いた。
拘束されてはいたものの両足を揃えて蹴る素振りで抵抗してきた。
胸を抑え込み胸、腰、尻のポケットを探ったが財布とカギ、タバコしか入っていなかった。
スマホを持っていないのが意外だったが、この街での通信網は壊滅していた。
通信不能のアイテムを持ち歩くモノズキもいないと思えた。
牧が迷彩服の男の腰ポケットを探るとハンディ無線機を見つけた。
無造作に路面へ落とすと力を込め踏みつけた。
液晶画面が割れ、ボディにヒビが入った。
これで仲間からの連絡を受ける事も応援を呼ぶ事も出来なくなった。
それはいいが定時連絡があった場合、応答がなければここへ応援が来てしまうのではと牧は想像した。
「あれでナナヨンは動かせませんよね?」
「砲塔の下に除き窓あるだろ、あれが操縦席、
あの狭い窓から外を覗きつつ操縦する。ここから見ても真っ白、中から見えねえよ。」
そう言いつつも牧はナナヨン式に近付き操縦席ハッチへ登っていった。
ハッチを開けるとライフル銃を放り込み、上半身を潜り込ませた。
そのままの姿勢で操縦席内部の機械を操作していた。
しばらくすると上半身を起こした。
「もうこれでこいつは移動できない。エンジン起動不可。それとな、砲弾は搭載してない。」
ナナヨン式から飛び降りた牧の背中と腕が白くなっていた。
置き土産とばかりにポケットの中の散弾を操縦席へ放り込んだ。
「やっぱ、こいつはハッタリ効かす為?」
駐車場にはクローラーで引っ搔いた傷があった。
病棟に砲身を向けただけで自動的に100人以上の人質ができる、その為だけに置かれたようだった。
エンジン起動不可となればただの置物だった。
赤のスプレーでボディに大きくバッテンを書きたいと牧は考えていた。
後に突入してくるだろう機動隊のために無効化したと表示しておきたかった。
赤のスプレーは持っておらず、時間との兼ね合いもあるので出来そうもない。
「田端さんのほうが本命かな。」
それを聞くや麻相が無言のうちに走りだし牧がそれを追う。
麻相の七割程度のスピードに牧もつかず離れず着いて行った。
その様子を病院の窓から眺めている者がいたが二人は気にしていなかった。
曇天の雲は厚くなってきていた。




