ep36
窓の目張りのおかげで外は夕暮れか夕闇かも分からなくなっていた。
二人の高校生を囲み大人たちが和やかな時間を過ごしていた。
「森本さんには助けてもらってばっかりだ。」
「あ、気にしないで。何が何だか分からないままだから。」
森本は自覚のないままの行動に自負も無く自信も持てなかった。
「おじさん、おばさんは避難できた?」
「池口の見田小にいる。私もそこに避難したんだけど、来ちゃった。」
陽子は照れ笑い浮かべた。
そんな陽子を見つめつつ山崎は先ほどの振る舞いが気になっていた。
麻相に触れようとした際に躊躇した。
これはある理由からでは想像した。
不意に陽子と目が合った。
陽子は城山公園でのあの日の出来事を山崎にビジョンで送った。
それまでのツンツンな関係を変えようと陽子なりのアプローチで仕掛けた。
それが不自然な流れだったのか麻相の機嫌を損ねたとの苦々しい記憶だった。
ーー失敗でしたーー
陽子から話しかけてきた。
ーー焦らないで。麻相君だってあなたの気持ちは分かっているーー
ーーあなたの気持ちを受け止める準備が彼にはまだできてないのよーー
ーーじっくり、時間をかけてーー
山崎はほほ笑みながら返事をした。
ーーはい、がんばりますーー
陽子の返事は力強かった。
あの時の躊躇は性的関係になっていない証拠だと山崎は改めて認識した。
今時の高校生ならばそれが当たり前と思っていた自分を恥じた。
このテレパシスト同志の直接のやり取りを他の誰も気が付いていなかった。
ただし田端だけは内緒話が進んでいると雰囲気で察していた。
麻相が不意に立ちあがった。
「トイレか?電気は付けるなよ。」
牧が注意をすると麻相は短く返事をして会議室を出て行った。
麻相が不在になったのをいいことに山崎が尋ねた。
「麻相君の深層に入れましたかァ?」
田端の気を察して山崎は肉声に切り替えた。
「たぶん、そうだと。」
陽子も確信を持てないでいた。
「氷の壁に阻まれて私は入れませんでしたァ。」
それを聞いた陽子は首を傾げた。
「海、夜の海でした。真っ暗な海水の中に麻相君が居ました。」
それを聞き山崎は思案していた。
それが何を意味し、陽子に何を見せようとしていたのか山崎は推理していた。
「なんででしょうねェ、私は完全に拒絶されたみたいですゥ。
やっぱりィ、いつもそばに居る森本さんにはかないませんねェ。」
山崎は完敗を認めて陽子を讃えた。
「もしかして、麻相君が医者嫌いのせいかも。」
陽子は思い立ったように言った。
「とんでもない健康体なんです。小学校から医者に行った事ないって自慢してました。」
「そうなんですかァ。いますよねェ、そんな人。それじゃあ、しょうがないですねェ。」
「でも山崎さんがお医者さんなんてすごいです。私なんて、ぜんぜん。」
女子同志で話が合うのかいつまで続くかと思われた。
「お顔、どうしてるんですか?すごくきれい。」
陽子はメイクの話を振ってきたので山崎は自己流と断りをつけて話し始めた。
陽子の屈託のない話しぶりに山崎は安心感を感じていた。
それでいて理知的、それでも嫌味が無いものだった。
ともすれば嫌味のこもった言い回しになる山崎は努めて感情を込めない口調に徹していた。
陽子の話しぶりを模倣しようにも無理だと山崎は感じていた。
麻相が陽子を拠り所とするのはそんなところかもしれないと山崎は思った。
そんな【女子会】が行なわれている中へ麻相が帰ってきた。
女子会を終わらせようと田端は咳払いをした。
「さて、俺たちはこれからどう行動するのか決めようか。
麻相君、君にはここに残ってもらいたい。きみの力が必要なんだ。」
麻相は頷いた。
「森本さん、申し訳ないが彼氏を借りるよ。
今度は俺たちが気を付けるから。もう麻相君をあんな状態にはしない。」
「分かりました。」
陽子が何かを付け足そうとした時、田端はそれを遮った。
「森本さんには避難所へ帰ってもらう。申し訳ないけどね。
親御さんと一緒に避難している、なら、居なくなったら騒動になってしまう。
親御さんに心配をかけたくないからね。」
浮かぬ顔をしつつも陽子は頷いた。
「私わァ、もう少し一緒にいてもいいですかァ?」
「ここからは危険だらけだよ。それに病院へ戻らないといけないのでは?」
「精神科医の一人くらい居なくても問題はないですよォ。誰かが対応しますゥ。」
悪びれる事無く山崎は訴えた。
「ここを活動拠点とするならァ、通用門の暗証番号を知ってる人間は必要ですよねェ。」
「あ・・・」
「暗証番号を教えてくれ、と言っても教えてくれないよね。」
田端は諦め顔だった。
「重要機密にあたりますので教える事はできません。
守秘義務があります。
たとえ皆さんが信用できる仲間だとしても教えません。」
凛とした物言いに田端も牧も反論する気が失せていた。
山崎が強引ともいえる主張をしたことの真意を陽子だけは理解していた。
特異な能力を持つが故の孤独感を今は感じていない。
仲間と一緒に居られる至福感があった。
そんな山崎の真意を三人は汲めずにいた。
「俺と田端さんと麻相とで威力偵察だよな。」
牧は旧職の血がうずくのか胸の高鳴りを感じていた。
「あいつらの人数と武装の規模を知りたいね。ライフルなのか拳銃なのか。麻相君、出来るよね。」
それは夜空に紛れての偵察を意味していた。
「あのお、私、どうやって帰ればいいんでしょうか?」
その問いかけをしてきた主に視線を走らせた。
茫然とした陽子が皆に聞いてきていた。
「さっきのテレポートを使えばいいんじゃないの?」
これは陽子のジョークとばかりに牧が突き返した。
陽子は思案顔のままだった。
「いえ、それがどうやったのか分からないんです。
目の前にもやもや、陽炎が出てきてそこに入り込んだらここに出てきちゃったんです。」
窮状を訴えるような口調、真剣な顔は嘘でもジョークでもないと皆が理解した。
「本当に?」
「本当です。」
山崎の言う偶々は当たっていたと田端は再認識した。
田端は大きくため息をつき、皆の顔色を伺った。
しばらく考えた末に麻相に視線を送った。
「麻相君、森本さんを送ってあげて。」
唐突なオーダーに麻相は戸惑った。
ここから池口市まで歩いていくのは不可能であることは田端も承知のはず。
夜空を飛ぶことを意味していた。
「でも、俺、遠くまで飛んだことないです。」
麻相は不安そうに経験のなさを訴えた。
「なあに、簡単だよ。さっきと同じ方法、それを連続でやると思えばいいんだよ。」
田端は平然と言った。
「それでも、不安ですよねェ。」
そう言いつつ山崎は陽子を見ていた。
陽子は牧を注視していたかと思えば麻相に視線を送った。
「んっ!?」
牧は小さく唸り声を発した。
「そうかあ、それでいいんだ。分かる。できるよ。」
麻相は急に声を上げて朗らかな顔になった。
牧は項垂れつつ陽子を見た。
「今、俺の記憶を抜いたね?」
陽子は牧の脳内を覗き込み、飛行に関するノウハウを麻相に伝えたのだった。
「ごめんなさい。麻相君には牧さんのスタイルが合うと思ったので。」
陽子は苦笑いを浮かべて牧に頭を下げた。
「頭が、こう、すうう~っと引っ張られる、なんだかな、変だったな。」
言葉にならないとばかり牧がその時の感想を述べた。
麻相の欠点が分かっているからこそ出来る陽子の技と田端は感心した。
それでも麻相の気持ちの問題がある。
それの克服ができるか否かで結果が違うと田端は考えていた。
通用門の外に出ると夕闇の中だった。
雲が濃くなってはいたが雨は降りそうになかった。
間をおいて聞こえてくる銃声だけが唯一の音、それが無ければ静寂の中だった。
信用金庫建屋と立体駐車場の間、僅かに空が望める空間に5人が居た。
「森本さん、寒くないですかァ?」
薄着の陽子を山崎が心配していた。
室内ならしのげても屋外でその服装は厳しいものがあった。
陽子も両腕を抱えて寒さをこらえていた。
皆がジャケットやコートを着ていたが替えがないため貸す事ができない。
陽子の身震いが気になってはいたが男たちはそのことに触れることが出来なかった。
麻相はブレザーを貸すか貸さないかで迷ってた。
制服を二日間着続けているための汗臭、埃っぽさ土臭さも感じていたので躊躇いがあった。
なにより人目がある。
「山崎さんには留守番をお願いしたい。
通用門の内側で待っててもらい、誰かが帰ってきたらここを開けてあげて。
で、テレパシーで知るのもいいけど、アナログな方法も使いたい。」
そう言うと田端は通用門のドアをノックした。
「こんな感じ、3、1、1、3と軽く叩いて知らせる、いいよね?」
「異議なし。」
「わかりましたァ。」
その中にありながら麻相の顔色がすぐれなかった。
「どうした?」
牧が声をかけた。
「一人で飛ぶのは分かります。でも森本さんを連れて飛ぶ、二人で飛ぶなんて出来るのかあ?と。」
牧の経験則を理解できてもそれは単独飛行に限ってのものだった。
田端にも経験のないことだけに適切なアドバイスが出来ないでいた。
麻相の浮かない顔を見ていた陽子が麻相の背後に回り込んだ。
脇の下から腕を回し麻相の胸を抱きかかえたのだった。
突然のことに驚愕する麻相。
その麻相の頭越しに陽子は悪戯っぽい瞳で山崎に視線を送った。
山崎はほほ笑み小さく頷いた。
ーーそれでいいのよーー
陽子にエールを送った。
田端も牧も意外な展開に目のやり場に困っていた。
陽子は腕はさらに力を込めて麻相の胸を抱え込み体を密着させた。
戸惑うと同時に皆に見られている気恥ずかしさから麻相は顔を赤らめた。
「これなら寒くないよね。」
「気を乱すと落ちるぞ。前に注意を払うだけだ。」
その助言に麻相は頷いた。
牧の言わんとすることは陽子も分かっていた。
「それじゃあ、二時間もあればいいかな。ここに二時間後に集合ってことで。」
田端が締めくくった。
「じゃ、じゃあ、皆さん、またあとで。」
「お世話になりました。」
麻相と陽子の体は音も無く浮き上がり瞬く間に空高くへ飛び上った。
グレーのブレザーが夕闇に吸い込まれるように小さくなり西に向かって飛んでいった。
三人がそれを見送った。
「リア充だねえ。」
「麻相にゃもったない。」
「お幸せに。」
山崎のその言葉に二人は顔を見合わせた苦笑いを浮かべた。
「あいつ、立ったまま飛んでいったぞ。」
牧が麻相の飛ぶ姿勢に疑問を投げかけた。
「腹ばいは下が見えすぎて怖いらしい。変身ヒーローにはなれない、かな。」
田端は苦笑していた。
直立姿勢でも問題はないが飛行速度が上がらないので不利になる。
今後も飛行をする、高速度で飛ぶならば腹ばいになり少しでも空気抵抗を減らしたほうがいい。
麻相にはそのように教えたのだが、その恐怖感を克服することができずにいた。
「かっこわりいな。」
牧が言い放った。
「質問。」
牧が不満顔で手をあげた。
「なんで麻相を逃がしたんだ?」
田端は苦々しい顔で答えを探していた。
「麻相は必要とまで言った、戦力として重要なわけだ。
にも拘らずだ、麻相がこのまま戻ってこなかったらと考えなかったのか?」
陽子を送ったままになることを牧は懸念し田端に言い寄った。
「あの子が行かないでと言えば帰ってこねえぞ。」
牧は憤懣やるせないとばかりに訴えた。
「森本さんを送るのは誰が適切かは分かりますよねェ。」
山崎が弁明した。
「だったらァ、寄り道をして食べ物を買って来てと頼めばよかたじゃないですかァ。
麻相君、責任感の強い子ですから頼めばやってくれますよォ。」
牧も分かっていてあえて見逃したと言わんばかりだった。
それには牧も反論できなかった。
「んなもんよお、あの子を見ていたら麻相を危険な目に遭わせてもいいのか?って。
そう思うだろ、普通よお。かわいいし、健気だし、麻相にゃもったいねえ。」
苦しい弁解だったが田端の気持ちを代弁しているかようだった。
「いうなれば、俺たちはボランティアだよ。
この事件が早く解決するように道筋をつけてあげるのが務めだよ。
麻相君がいてくれれば心強いけど、居なくても出来ることはやっておく。」
田端は自らの心構えを説いた。
「ケツ持ちは国のお偉いさんがやればいい。
とはいえ、だ、これ、相当にやばいぞ。これ以上、首突っ込むのか?」
「その見極めのための威力偵察だよね?
考えてもごらんよ、国が本気を出したらこんな暴動は一週間で終わるよ。
でもね、避難した人達にとって一週間は長いんだよ。
俺、災害ボランティアで出向いた先で窮状を見てきているからね。
大変なんだよ避難生活。早めに解決するようにしてあげたい。」
「そんだけじゃねえよ。こりゃ内乱、クーデタ―だよ、田端さんも気づいてるだろ。
一つの街を占拠したとなりゃあ、事後に現場検証と被害状況の把握をしなけりゃならない。
誰が何処でどんな悪事を働いたかの調べがある。
警察機構と国家公安委員会、他にも出張ってくる役所はあるけど縦割りで面倒くせえことになる。
避難勧告解除は先の先だよ。」
「自衛隊は?」
「これは災害派遣は適用できない。
内乱鎮圧は機動隊のお仕事、自衛隊は外国からの攻撃に対処、これが基本。」
「役割分担ということね。」
「そういうこと。俺も災害派遣で出張ってる。
どんだけ大変かは見てきているから田端さんの言いたいことは十分に分かってるつもりだ。
機動隊に任せて一週間のところを俺たちの力で二日か三日にできれば任務完了だ。」
牧は今回の事件解決へ向けての責任を感じていた。
それは田端も同様だった。
「じゃあ、牧さん、威力偵察にいきますか?」
牧は幹線道路の方角を指さした。
「あの道は町を南北に二分する格好で走ってます。
田端さんは道の北側、俺は南側を見てきます。
ついでに隣町まで飛んで食い物を買って来ましょう。
とりあえず三食、一日分。麻相の分は俺が買ってきます。一応ね。
日延べするようなら当番制で買い足しに飛びましょう。」
「そうしよう。山崎さん、欲しい食べ物はあるかな?」
「低カロリーのフリーズドライ食品、ご飯か麺、一食だけお願いできますか?」
「一食?」
問いかけたものの山崎の体型を見て田端はある事情を察した。
ふた昔前なら中肉中背のベスト体形だったのが今では低背、太目と見做される時代。
山崎はそれを気にしていると田端は推察した。
またしても山崎の冷たい視線を浴びることになった。
「それじゃ、二時間後。」
田端と牧は勢いよく上空へ舞い上がり北と南へそれぞれが飛び去った。
テレパシー能力以外にも洞察力のある田端に山崎は煩わしさを感じた。
それと相反して牧は大雑把、さっぱりした性格なので扱いやすいと思えた。
二人を地上から見送ると山崎は陽子の証言を反芻していた。
麻相の精神の中、キーワードは「海」と「夜」、居場所が海の中だったこと。
ワードのままの意味ではなく比喩的表現とするならばと山崎は考えた。
水を湛えた場所、そこで夜?【暗い】とは外からの光が遮断されていたとみるべき。
山崎の脳裏にある言葉が浮かんできた。
【胎内】
麻相の深層心理には母胎内回帰の願望があるのではないか。
母胎内、羊水の中に居た状態、安心に満たされていた空間を望んでいる。
しっかりとカウンセリングをしなければ結論は出せないがその傾向はあるようだ。
それを陽子に見せたのは陽子に母親像を投影しているのかもしれない。
麻相は母親とは離れて暮らしているようだから身近な女性をそう思うのも無理はない。
となれば陽子に母性を求めていることになる。
おそらく陽子はそんな深層心理まで把握できていない。
そのために【大人の付き合い】を求めても麻相は応えられない。
このギャップは大きいと山崎は息を吐き出し頭を垂れた。
麻相が陽子の気持ちを汲んであげなければならない。
それが出来なければいずれ陽子は麻相から離れていく。
どちらが良いとか悪いとかの話ではない。
若いうちに色々な恋愛事情を知っておくのも将来の糧、経験は大事。
山崎はそのように考えていた。
「苦労しますよねェ、陽子さん。」
思わず労いの言葉が出てきた。
シワの寄ったロングスカートを見て山崎は当初の目的を思いだした。
「あと二時間ですねェ。」
補足説明(今更?)
テレキネシス:サイコキネシス、念力、念動とも呼ばれる超能力のひとつ。
身体を触れずに人の思念で物を動かす力をこのように呼んでいる。
この概念ならばあらゆるものに物理的な作用を及ぼすことが出来ることになる。
リアル世界では「手に持った金属製スプーンが折れ曲がる」が有名である。
糸で吊った金属ボールを揺らすこともあるがこれは手品である。
様々な外的変化があるので力を発揮できないと言い訳をする超能力者もいた。
いずれにせよ科学的検証をされたことの公式記録は残っていない。
現在ではテレキネシスは実在しないと考える者が多数派になっている。




