ep33
床に発砲樹脂材のスリーピングマットを敷き、その上に毛布に包んだ麻相を寝かせた。
二枚の毛布は男子更衣室から、布団袋に入ったものは女子更衣室から借りてきたと牧は告げた。
他にも寝具はあったが梱包ビニールがつけられたままの新品だった。
ここに潜伏した痕跡は残せないため新品を持ち出すのを諦めたのだった。
備蓄非常食も備えてあったが同じ理由で手を付けることができない。
空腹との闘いだと田端と牧は腹をくくっていた。
空腹状態では神経が過敏になり感覚が研ぎ澄まされる。
しかし空腹を抱えたままでは熟睡することができない。
半覚醒状態では判断や作業のミスが起きる。
特殊な訓練を積んだ者ならばミスはないが、そうでない者には危うい行為だ。
どこかで食料を補給するか一両日中の解決が必須と牧は考えていた。
今晩、麻相を市外に運んだ際に買い出しをすればよい。
その点では楽観的ではあった。
一階倉庫には店頭ポップや掲示に使われた暗幕やベニヤ板等の材料が保管されていた。
それらを利用し牧のスキルが大いに活かされた。
はめ込み窓の光漏れ対策は完璧であり外部に光が漏れることはないと牧は断言した。
ここを引き払う時でも窓を目張りした痕跡は一切残らない、完全犯罪と牧は胸を張った。
男どもの仕事が一段落すると会議室の中央に麻相を囲んで集まった。
山崎は麻相の頭の傷の手当をしていた。
「怪我の具合いはどうですか?」
「血は止まりました。裂傷だけなら大丈夫でしょうゥ。」
山崎は麻相の頭髪をかき分けて傷口を覗き込んだ。
「山崎さん、ひとつ聞きたいのですが。」
田端が切り出した。
山崎は手を止め血の付いたウェットティシュを小さく折り畳んだ。
「テレパシーによるヒーリングは大学時代に七回行ってます。」
またしても山崎に先回りされたと田端は苦笑した。
空気を吸うように人の脳裏を覗けることに格の違いを感じていた。
「植物状態の患者さんの脳波を測定する時に行いました。
脳波測定自体は論文のための実験でしたけど、
自分なりに意識の蘇生術を思いついたのでやってみました。
意識のない患者さんとマン・ツー・マンになれる絶好の機会でした。
始めの頃は意識の表層、深層の区別と見切りが出来てませんでしたし、
深層で意識を見つけても表層に引っ張ってくることができませんでした。」
「うまくいかなかった。」
「はい。最初のお二人はそうです。元々現代医学では意識を取り戻せてませんので。」
失敗しても医療過誤ではないと山崎は断りをつけた。
「そのうちにコツが掴めてきて三人の方の蘇生に成功しました。」
「奇跡が起きたと大騒ぎでしょ。」
「はい。残りのお二人は意識そのものが消滅していて手の打ちようがありませんでした。
症例的にはこれだけですが、もっと多くの患者さんを診て上げられればと思います。
さっきみたいに人様には見せられない格好をするので難しいのですゥ。」
実験にしろ施術にしろあの姿は奇行に映る。
あのタイミングで入室してきた牧の目にどう映ったのか田端は気になった。
「臨床医になってからは出来ません。
患者さんとボディタッチすることのない診療科目ですから。」
「医大生時代とは。随分と早い時期に力に目覚めてたんですね。」
牧が疑問を呈した。
「小さいころからですゥ。
相手の考えてることをズバリと言い当ててしまうのでェ、気味悪がられてましたァ。」
この時だけは山崎の表情が強張たのを田端は見逃さなかった。
過去に何かあったと推測した。
「その山崎さんをもってしても麻相君がこれとは。」
田端は口惜しそうに言った。
「こんなことは初めてです。
カウンセリングをしていても大体は心の隙間から覗けるんです。
ボディタッチするのは私の意識を強引に相手の中へ送りこむ最終手段です。
出来ないわけないと思ってました。」
「氷の壁?」
「はい。なぜなんでしょうゥ。これはァ、麻相君の意思表示と捉えるべきでしょうかァ?」
山崎は神妙な顔つきで考え込んだ。
山崎の難解な問いかけに田端も牧も答えようがなかった。
麻相は静かに呼吸をしていた。
苦痛を浮かべた表情は変らず動く気配は全くなかった。
山崎は急に顔を上げた。
気配を感じ取り右を向いた。
田端も山崎の視線の先を注視した。
「来たな。」
視線の先にある壁、掲示板から陽炎が登り始めた。
陽炎が立ち上る中から光環をまとった少女が出てきた。
「あっ!」
「おおォ~」
「えっ?」
三人がそれぞれに驚愕の声を上げた。
少女が歩み出てくると光環は瞬く間に消えた。
端正な小顔にショートボブの髪。
スリムフィットのブラウスにデニムパンツは整ったスタイルを強調するかのようだった。
「かわいいィ。」
山崎は思わず感想を漏らした。
田端と牧はただ茫然と少女を眺めていた。
その少女は目を見開き部屋の中を見回した。
ここが何処なのか分からないようだった。
一通り見渡すとそこに居た大人三人を一瞥していった。
一人一人と視線を合わすと軽く会釈をした。
全ての状況を把握したとばかりに視線は麻相に注がれた。
麻相の傍に歩み寄るとその場に座り込んだ。
田端は背中に冷たいものを感じた。
山崎とは異質の強烈な何かを少女から感じ取っていた。
「説明はいらないよね。」
田端が語り掛けると少女は頷いた。
「森本さん、どうするか分かってるの?」
陽子は頷きその視線はなおも麻相の顔に注がれていた。
「深層は迷路かもしれない。出られなくなるかも・・・・」
「平気です。」
山崎の警告にも陽子は平然と答えた。
陽子が前かがみになると麻相の額に手を伸ばした。
額に触れようとした際に戸惑うような仕草をした。
山崎はそれを見逃さなかった。
間髪入れず田端が指示を出した。
「牧さん、もうちょっと左、そこ。山崎さんはそのまま、動かないで。
結界を張る。
俺が気を送るから右から左へと受け流してくれればいい。」
田端はその場で座禅を組んで両掌で印を結んだ。
陽子の手は麻相に額から頬を撫でて首筋で止まった。
そのまま陽子は目を閉じた。




