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ep32

見田小学校体育館の中は背の高いパーテーションで仕切られ圧迫感に満ちていた。

お茶とおにぎり、毛布と敷パットが配布されて避難所の体裁は整っていた。

県からの緊急支援物資は明日早朝に届く予定と伝えられていた。

昨夜来、この体育館に詰めかけた避難者はそれほど多くなく、五分の四ほどが埋まっただけだった。

暴漢たちは青田市を占拠したのみで市外への侵攻はないとの伝聞が広まっていた。

不確かな情報ではあるものの皆はそれを信じ青田市に近い避難所に集中していた。

青田市に近い戸倉小学校、東中学校の体育館が早々に満員御礼となった。

それを受けて戸倉小学区内の公民館と集会所が避難所として開放されていた。

池口市市民体育館も開放され、こちらは幹線道路沿いとの地の利から避難民が集中した。

そのため見田小学校への避難民はこれ以上に増えないと予想された。

これは青田市を挟んで反対側にある坂道市にも避難民が流出したため歯止めが掛かったためだった。

体育館のステージ上には大型テレビが置かれニュースを流し続けていた。

夜9時すぎになってようやく全国ネット局でも青田市の異変を取り上げ始めた。

それとてTV局独自取材の映像はなく、避難中にスマホで撮影された市民提供の動画だけだった。

それを継接ぎして番組MCと解説者がそれらしい言葉を並べるに終始していた。

取材と情報収集に後手を踏んでいるのは明らかだった。

公的機関の動きとしては警察庁は緊急対策本部を設置し対応策を検討中とだけ伝えられていた。

逃げ遅れた市民の有無は調査中、初動対応も含め人命第一としていた。

大規模災害に準ずると一部国会議員も言及しだし自衛隊の出動を検討中と告げていた。

自治体レベルでは既に災害対応レベルでの諸施策を実行中としていた。

TV局が注力した話題は暴漢たち、不穏分子の素性と思想信条だった。

ブルーフラット散開同盟と名乗る団体が先日まで存在しないこと。

そのため政治的主張や思想信条が分からないままであること。

暴動を起こしてから今まで声明や要求の類が一切出されていないことに疑問が呈されていた。

繰り返し放映されていたのは警察署屋上から落下するアンテナ設備だった。

他にも市役所へ突入する不穏分子の動画、道路を封鎖し通行妨害をする動画が映し出されていた。

新たに入手した映像として映されたのが大型トランスポーターが市民病院前に乗りつけた場面だった。

荷台には幌を被せた物体が乗せられ、幌の中身が何かで話題になっていた。

解説者は言葉を濁し名言を避けていた。

予想が当たっているならば日本国がひっくり返るとだけ発言した。

番組MCは幌の中身をしつこく尋ねたが確証がないとして解説者は言及しなかった。

そのTV映像を傍らで見ていた男性が呟いた。

「あの車、自衛隊のじゃないの。」

その呟きをどれだけの人が聞いていたのか分からない。

さほど気に留めず避難生活が長引くか否かだけに関心があるようだった。


陽子と母親はパーテーションの一角を与えられ仮の住処となった。

家族三名と伝えると三個のパーテーションを連結して家族向けに変更された。

他の家族も同様に同じ屋根の下で過ごすことになった。

同級生と後輩たち数名が集まり今後の学校生活について話し合った。

学校からはラインで連絡があり、明日以降は休校とし避難所にて待期、自習すること。

期末テストの扱いや二学期の残りの出校日については後日連絡するとだけあった。

それ以外の連絡は来ておらず、教師たちも混乱の最中に有ることが伺えた。

見田小学校に避難してきた教師は居ないため自習するにも目標がわからず困っていた。

一年生、二年生は期末テストの国語、英語の範囲を勉強し再テストに備える。

三年生は来月の共通テストに向けて自主勉強をすることで話し合いは終わった。

今自分に出来る事をやる、全員が納得して解散した。

母親は合う人合う人と話し込み情報収集に余念がなかった。

スーパーの客と顔を合わせると無事であることを称えあっていた。

避難所生活と日常生活の差異を抽出してどのように対応するのかに腐心していた。

それにより避難所生活が快適にも不快にもなるからだった。

ほとんどの人が自治体頼みの思考、他力本願になっていたことに母親は憤慨していた。

夕方7時すぎには父親も合流し三人が無事であることを確認した。

陽子は学校での出来事を事細かに父親に説明した。

父親は話が盛られていると感じていた。

銃器を向けられて身を挺する男子などドラマの世界だと半信半疑だった。

母親は麻相の避難先を気にしていたが陽子は言葉を濁した。

学校から逃げる際の混乱で見失ったと嘘をつくのが精いっぱいだった。


見田小学校には入浴設備はおろか温水シャワー設備がない。

入浴するには車で片道15分ほどの日帰り温泉施設まで移動しなければならかった。

だが入浴施設はその時点で避難者が殺到し混雑している。

今晩中の利用は難しいので明朝以降に時間差で利用するよう案内があった。

父親は入浴出来ないことが我慢ならなかったが陽子のフレグランスで体臭を誤魔化すことにした。

女子が使うフレグランスを匂わせる中年男性は奇怪だと文句を言っていた。

それでも体臭をまとって接客できないので状況を説明して理解してもらうと苦笑した。

スーツは着ていた一着しかなく、よれるまで着るしかないと宣言した。

夕食後はそのまま就寝することになった。

就寝後が苦痛だった。

安全と利便性から体育館内の照明は一部が点灯されたため真暗にはならなかった。

校庭の照明がパーテーションの上から入りこむので常にほの明るい状態だった。

絶えず人が出入りし、どこからか話し声がする。

緊張感もあって過敏になりちょっとした物音で目が覚めた。

床に段ボール、敷パットを敷き毛布に包まっても底冷えがしてときおり目が覚める。

それが一晩中続いた。

寝ているのか起きているのか分からないまま、陽子はまどろみの中で朝を迎えた。

パーテーションで仕切られているとはいえ薄い化学繊維製の膜である。

外の音も中の音も漏れ聞こえてしまうため大声で話すこともできない。

それでも普段通りの声量で話す人が絶えずいるために落ちつくことができない。

避難所ではプライバシーなどない状況だとは過去の報道で知ってはいた。

自分がその身になってみると想像以上の気遣いと忍耐力が必要だと陽子は痛感した。

朝食が終わるころには県からの支援物資が配布された。

その中には段ボールベッドに厚手のスリーピングマットが含まれていた。

これで夜半の底冷えから解放されると皆が胸をなでおろした。

業務用温風ヒーターも到着し、体育館内の冷えは軽減される見込みだった。

ただし温風ヒーターの運転音はそこそこあるので就寝の妨げになることが予想された。

父親は昨日の着衣のまま出勤していった。

父親を車で送ったついでに母親とともに日帰り温泉施設で入浴した。

温泉施設は小中学校に避難していた青田市民の利用で混雑していた。

昨日のアナウンスも焼石に水、むしろ呼び水だったかもと母親はぼやいた。

市民体育館と公民館には入浴設備があるので温泉施設には来ていない。

偶然にも居合わせた同級生と陽子はそんな情報交換をした。

帰路にドラッグストアに寄ると日用品を買い足した。

避難所に戻ってくると陽子は問題集を解き始めた。

避難民がそこかしこで話し込んでいる。

休み時間には小学生が体育館を覗きに来ては奇声をあげて教室へ戻っていく。

ステージ上のTVは青田市の状況を伝えている。

聞きたくなくても耳に入ってくるため聞き耳をたててしまう。

集中しにくい状況だがやむをえないと陽子は思った。

昼前の情報番組でも青田市の異変を報道していたが昨日と内容は変わらなかった。

ただし少し変った箇所はあった。

異変ではなく暴動、内乱として扱いだしたことだった。

内乱とはクーデターの事だが政府はこのワードに神経質になっていた。

それは大人の事情だろうと陽子は気に留めなかった。

仮にクーデタ―ならば麻相はとんでもない場所に身を置いている。

場合によっては一方の当事者かもしれない。

こんなことなら背中を押すべきではなかったと陽子は今更ながら後悔していた。

麻相の身を案じながらも今できる事をやり続けるしかなかった。

眼の前の問題集を解こと、そうでもしなければ時間を持て余すだけだった。

一つでも多くの問題を解いて正答率を上げておくことが自分の責務と陽子は考えていた。

ただ昨夜からの睡眠不足に抵抗することは困難だった。

昼食後の母親は睡眠不足解消とばかりに爆睡していた。

陽子は問題集を前に居眠りをしては起きるを繰り返していた。

何度目かに瞼を閉じた時に妙な夢を見た。

麻相が泣いていた。

少年の麻相ではなく子供の麻相だった。

虐められたあげく一人で泣きじゃくっていた。

自分を取り巻くすべてのものに恨みを募らせていた。

ーー消えて無くなれーー

麻相の絶叫に陽子は反応した。

ーーだめっーー

自滅的な思いを止めさせるために発したのだった。

そこで陽子は目を覚ました。

今そこで起きていたかのような夢だった。

子供の麻相というのも変だった。

陽子の知っている麻相は高校生の姿だけだからだ。

そもそもあの子供が麻相だとどこで確信したのかすら判然としない。

それでもあの子供は麻相であり、いじめられて泣いていたと確信していた。

麻相は今どうしているのか気になってきた。

青田市の中に居るのは間違いない。

次第に胸の奥が締め付けられ苦しくなってきていた。

麻相の泣いている姿など見たことがなく想像すらしたことがない。

にも拘らず泣いている麻相のイメージが頭の中で大きくなっていた。

その姿に感化されたのか涙があふれてきた。

陽子はやおら立ちあがると寝ている母親を無視するかのように体育館の外へ出た。

外の通路では人が頻繁に行きかっていた。

その中で陽子はうつむき一人涙を拭いていた。

涙を拭うところを見られるのを嫌い体育館の裏に回り込んだ。

麻相が泣いていた、慰めてあげたい、励ましてあげたい、麻相の所へ行きたい。

その思いだけが陽子の心を強く支配していた。

麻相はどこに居るのかと陽子は自分に問いかけた。

知るはずもない事なのに自分ならば見つけられると信じていた。

陽子の脳裏に横たわった麻相の姿が出現した。

ーーそこに居たんだーー

陽子の体が熱くなり脳裏の気が目の前へ集まっていく。

陽子の目の前に陽炎が現れた。

冬なのに陽炎などと訝しむことなく陽子は陽炎に向かって歩きだした。

陽炎は光環へと代わり陽子を飲み込んだ。

光環の向こうへ陽子が消えるとそれも一緒に消滅した。

その背後を何事もなかったかのように人が行きかっていた。

そこに人が居た事、忽然と姿を消したことに気が付いた者はいなかった。

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