ep29
白根町の麻相宅まではまだ距離があった。
車や自転車ならさほどの距離ではないが徒歩では遠くに感じてしまう。
ましてや周囲の状況に応じて回り道をし、暴漢たちを避けながらではさらに時間が必要だった。
薄曇りで肌寒く感じるはずがそれぞれが防寒対策をしていたのでそれほどでもなかった。
「麻相君はビギナーってことだけど、トレーニングはしてるの?」
麻相は虚をつかれた顔をしていた。
「それなりの練習はしたんだ。かなりできるよ。
ただ、場数をこなしてないからコントロールがイマイチだよ。」
田端が代弁した。
雑居ビル内では手取り足取り教えてもらえたが習得が出来たとの実感が麻相にはなかった。
「たとえば、こうして歩いている時、ホバリングしてみるとかね。」
次の瞬間、牧の肩は麻相の目線よりも高くなった。
麻相は驚き、牧の顔を見上げた。
牧は上から目線で笑みを浮かべてウインクした。
麻相は慌てて足元を見た。
地上から数センチほど浮き上がりタクティカルブーツは地面についていなかった。
「おっ!やるねえ。」
田端は手放しで褒めた。
傍目では普通に歩いているが近付けば足音がしない。
「麻相君、やってみて。」
牧は真似をするよう促した。
麻相は歩きながらも足裏の感覚を研ぎ澄ませた。
ーー下から 支える ゆっくりーー
自身の歩く姿を想像し牧と同様に足がつかない状態を頭の中で思い描いた。
足裏の感覚に集中しているのも気を遣うと麻相は感じていた。
田端は麻相のスニーカーを二度見した後に目を大きく見開いていた。
周囲の警戒をしながらも真横で起きている事実に驚いていた。
いつのまにか牧の肩は麻相の目線よりも下にあった。
足裏の感覚は変わっていないため麻相はその実感がなかった。
牧も時おり麻相の足元を眺めては失笑した。
「すげえっ!!」
牧は前を向いたまま驚嘆した。
その声を聴き麻相が足を見た。
浮いた足が歩き続け、前に進んでいた。
足の裏は空を切っていた。
「えええっ!?」
麻相が奇怪な声を上げた途端に足が地面についてしまった。
麻相は立ち止まり自分の足元を観察した。
足を踏みこんだり擦り付けたりして足裏の感覚を確かめていた。
田端も牧もそこで立ち止まり麻相の仕草を眺めていた。
「ナチュラルボーン。成長していくのが楽しみになるよ。」
牧もホバリングを止めて地面に降りた。
「まだぎこちないけど、上出来。
こんなのを普段からやっていくと自由に使えるようになるよ。」
「でも、使うと疲れるんですよね?」
「どこまでやると限界なのか、一度経験しておいた方がいい。
経験しとけば限界に来る前に止めることができる、これ大事よ。」
牧はさらに一歩先を目指すよう麻相に助言をした。
目的地へ向かうよう田端が顔で促し三人そろって歩き出した。
ここに至って目に見える形で力を出していないのは田端だけになった。
「田端さんはどうやって力に目覚めたんで?」
「俺はね、爺さんと縁のある住職から教わった。
禅僧でね、修験道で研鑽を積んだそうだけど力が備わらずに諦めた人だよ。
偶然にも俺が檀家に入ったことで最後の門下になった。御師さんに修業をつけてもらった結果だね。」
「そんな宗派もあることは知ってますが実在したんですね。」
「テレパシーとテレキネシスの両方が使えるようにはなったけど、イマイチだなあ。」
「力の強さが、ですか?」
「そう。麻生君や牧さんを見ていると自信が無くなってきた。」
「何をおっしゃいますかあ。両刀使いなんてそれこそアニメの主人公ですよ。」
牧は社交辞令的に褒めたたえた。
「その坊さまは古文書を解読して超能力の教科書みたいなのを書いたそうですよ。」
麻相が昨日の聞きかじりの話を伝えた。
「それ、すげえ。読んでみたいなあ。」
「九字護身法は知ってるかな?
九つの文字を唱え九つの印を手で結ぶ、修験道者の護身術の一つ。」
田端は手で印を結んで見せた。
「これとは別に八百万の神に由来する呪術がある。
この世のあらゆるものに宿っている神を敬い畏れ、念じること。
それによりあらゆる厄災から身を守ることができる、らしい。そう書いてあった。」
「八百万の神とはねえ。」
牧は得体の知れない話に相槌を打つだけだった。
「仏教伝来以前の日本古来の信仰、人もまた自然の中の一つとする考えだね。
今もその考えに根付く宗教もあるけどね。
ほとんどの宗教が人を中心に据えて自然は付属物のよな考えだからね。」
「宗教論は止めましょうや。麻相が引くし俺も得意じゃないです。」
「これはすまない。」
田端も牧も談笑を止めなかった。
「修行はつらかったですか?」
「精神修行と体力鍛練に費やしてました。
まずは精神の浄化から、これが結構きつかったよ。」
「分かります。
自衛官も世の常識からの脱却から始まり、精神と体力の鍛錬に勤しみます。
それができてないといざという時に役に立ちませんから。
自衛官が本領を発揮する時はいつも非常時ですから。」
時折、牧は言葉遣いが堅苦しくなることがあった。
普段は砕けた口調なのだが時おり前職の癖が出るようだった。
「牧さんは事故がきっかけだよね。」
田端は牧の脳裏から記憶を読み取り知っていた。
今更ではあるものの麻相に聞かせるために説明を求めた。
「不発弾処理の訓練中だったね。
普通ならゼッテーに爆発しない模擬弾を使うのに、どうしたことか俺には実弾だった。
ここまで話せば御察しのとおり。
ちょっとミスしてどっかああああん!!」
牧は手の平を上に向けて爆発の仕草をした。
麻相は顔をしかめた。
こういった時はスラングもあり、擬音ありの子供口調になる。
どのタイミングでそれを切り替えているのか麻相は分からなくなっていた。
「防護服着用でしたが弾体の破片や爆圧の直撃ならオシマイ。
運よく爆風に飛ばされただけでも防壁に叩きつけられたら全身打撲。
どっちにせよただでは済まないよ。」
「無事だったんですよね?」
「爆発の瞬間は見てないけど、爆風が向かってくるのが見えてた。」
「見える?見えたんですか?」
「秒速300メートルパーセカンド以上の衝撃波だから見えない、見えるはずがない。」
麻相は固唾を飲んで聞き入っていた。
「向かってくる爆風、この風にやられたらオシマイだとばかりに手で払い除けた。
そしたら払い除けた方へ爆風が逃げていんだよね。
必死だったから。可笑しいと思う暇もなかった。
2~3メートル飛ばされて尻もちついただけ。」
「必死でやったら力が出ちゃった?」
「そうなるね。
事情聴取されてお咎めをもらって一区切りついたところで考えたんだ。
なんで爆風が避けてくれたのかって、夜も眠れなくなった。
あれからだよ、こんな具合に手をスイングしたら身近なものが動くようになってた。」
牧はゆっくりと手を横に振り払う仕草をした。
「なんだこれ?ってな具合でね。」
「それで超能力があると自覚ができたんですよね。」
田端が結論付けた。
牧は頷き話を続けた。
「自分で力の出方や使い方を試したり、超能力関連の本で調べたりした。
たださあ、超能力関連の本はどれもダメ、オカルトが多くて読む価値なかったね。」
牧が道端の枯れ葉を指を差した。
ふわりと浮いた枯れ葉は音もなく飛来し牧の手に収まった。
無骨な掌はそれを握りつぶすと粉々にして路肩に向けて放り捨てた。
粉々になった葉は落ちるでもなくしばらくは牧の手を周りを回転していた。
掌が返されるとようやく地面に向かって散りじりに落ちていった。
二人ともその様子を黙って見ていた。
「書籍化された中にはホンモノの超能力者の経験談、力の実践方法もあったはず。
けどねえ、それで一発当ててやろうって山っ気がありありで。
編集方針なのか、自己顕示欲で話を盛ったのか、読んでるこっちが顔真っ赤。」
途中のプロセスは違うが田端と同じ結論に至ったようだと麻相は思った。
「どうやらね、力の出方がそれぞれで違うんじゃないかって。
運動が得意な奴もいれば勉強が得意な奴が居るのと同じようにね。
なら、他人に教えを乞う必要なんてない、自分で鍛えてやろうってトレーニングした。」
「ほおおお~。それ自衛隊時代に?たいしたもんだ。」
「これも職業病ですかね。自衛官の責務として自己研鑽もありますから。」
牧の姿勢に麻相も感心しきっていた。
数学が出来ないがために陽子に教えてもらっている時分が情けなくもあった。
ただ数字が嫌いな状況は変えようがなかった。
「不発弾処理訓練の失敗で新しい世界が開けた。けど、自衛隊員としての未来はダメになったね。」
「訓練の失敗で、ですか?」
麻相は横目線で牧を見ていた。
「危ない物を扱う自衛隊員は一事が万事、失敗を一回やれば繰り返すとの不文律、戒がある。
俺の場合は挽回のチャンスがもらえず補給部隊へ転属。」
「そりゃあ酷いよね。ホンモノが準備されてた事は分からないのに。」
「実弾を準備した奴の責任はどうなったのか知りたかったが、末端は知る必要無しってね。
死人が出なかったのでこれ幸いとばかりに内々に処理されて表沙汰にはなってない。」
「重大インシデントだよね。」
田端は牧の話に耳を傾けていた。
そのためか麻相が牧よりも背が高くなっていることに気が付いていなかった。
麻相は二人に黙ったままホバリングを続けていた。
「補給は補給でやりがいはあったよ。
災害派遣に出向けば直接感謝の言葉がもらえる。
任務ですと断りを入れても子供から爺ちゃん婆ちゃんまでお礼を言ってくれる。
こんな仕事は他にないと誇らしくもあったね。
でもなあ、農業継ぐのが嫌で、ドンパチやりたくて自衛隊に入ったのになあって。」
「牧さんも農家?」
「田端さんも?同業者?」
牧は田端の出で立ちを一瞥すると頷いた。
田端の服装があか抜けない理由を牧はようやく理解できたのだった。
「未練もあったけど奥さんが三人目懐妊を聞いて除隊した。
官舎で3人の子守はいくらうちの母ちゃんでも厳しいって説き伏せた。」
「農家へ?へえええ、今時、気丈な女性だ。」
「うちの母ちゃんも元陸自、俺たち職場結婚だよ。部隊は違ったけどね
泥まみれは慣れてるけど、農家を嫌がってたよ。」
牧が平身低頭で奥方を説き伏せたと想像するしかなかった。
「体力は俺に引けを取らねえ、柔道と空手が黒帯、すげえ丈夫だよ。
今じゃ、うちは母ちゃん無しでは回らない、ヒトマル並の戦力だね。」
「ひ、ひとまる?」
「戦車の形式名だよ。陸自としては最新の履帯式戦車だよ。」
「りたい?」
「無限軌道式、皆さんに分かり易く説明するならば【キャタピラー】です。
ただ、キャタピラーは会社名ですのでお間違えなきよう。
無限軌道式の通称として【キャタピラー】が定着してしまいました。
英語では【クローラー】と呼ばないと通用しません。」
チョットした蘊蓄だと麻相は思えた。
牧は麻相の顔を見上げると意味ありげに笑みを浮かべていた。
「今じゃ、4人の子供を養う農家のオヤジだよ。」
「農家を継いでさらに一人だからなあ。」
田端はため息交じりに呟いた。
「言っただろ。体力は俺に引けを取らないって。」
「う、うん、納得。」
大人の話に麻相は踏み込めずにいた。
元陸上自衛隊、格闘技二種で黒帯ともなれば頑強、屈強なガタイの女性を麻相は想像していた。
容姿からしても陽子とは真逆なのだろうと。
「麻相君は?彼女はどうなの?」
話のついでとばかりに牧が鉾先を向けた。
「居ません。」
それを聞いて田端は声を上げた。
「おいおい、あの子は彼女じゃないの?身を挺して守るほどだよお。」
「勉強を教えてもらってるだけで・・・国立大を目指してるから・・・・格が違います。」
麻相が弁解がましく言葉を繋げた。
「居るじゃん。あ?身を挺して守る?」
田端は昨日の顛末を簡潔に説明した。
それを聞いた牧は感心しきりだった。
「お前みたいにシュッとした奴に彼女いねぇなんてありえねえよ。」
牧は激励を込めて語気を強めた。
それでも麻相はその言葉を受け入れる事ができずにいた。
「かなりの美人ですよ。アイドルグループに居てもおかしくない。」
田端が容姿について付け加えた。
「ほお、ヒトマルとは羨ましい。うちの母ちゃんなんてナナヨン式だからなあ。」
「ナ、ナナヨン?」
「七四式戦車、一〇式戦車より二世代前の旧型です。
丈夫で長持ち、長く陸自の主力でしたが退役が決定しました。
ヒトマルに比べるとゴツイし無骨、いかにも戦車といったルックスです。」
「でも、そんな女性でないと農家は務まらないよね。」
「その通り。自慢の母ちゃんだよ。」
「先に言っておくけど、独身だから、俺。」
余計な詮索は無用とばかりに田端は機先を制した。
「了解。」
牧もそれ以上は詮索しないとした。
「次の角を曲がると俺の家が見えます。」
随分と遠回りをしたと麻相は感じていた。
安心できる場所にたどり着いたことで気持ちが緩んできた。
家政婦が準備した昨晩の夕食は冷蔵庫に入ったままのはず。
三人で分けて食べればよいと麻相は考えていた。
量は少なくなるが食べなければ出来ることもできない。
そろそろ12時、昼飯時のはずだった。
小さく息を吐きだしホバリングを止めると足裏に重さが伝わってきた。
先ほどまでとは感覚が変わってきていることを麻相は実感した。
「さあっすがあ。いいねえ、うん、できてる。」
牧はべた褒めした。
「えっ?」
「あれからずっとホバリングしてたんですよ、こいつ。」
「ほ、ほんと?」
麻相は照れ臭そうに頷いた。
田端はこの時まで気が付かずにいたのだった。
角を曲がるとセピアがかった白い壁の建物が見えてきた。
その建物の全体が見えてくるにつれて麻相は落ち着きが無くなっていった。
ついに麻相は走り出した。
セピアがかった白い建物の窓はすべて開け放たれていた。
作者談:自衛隊に新形の装輪装甲戦闘車24式が導入されました。(2024年現在)
牧が在籍していたころは16式機動戦闘車が導入目前だったため、牧の中では未だに16式が最新型なのです。
除隊後は内部情報を知ることが出来なくなったので新型戦闘車の導入計画を牧は知らないとの設定です。
 




