ep2
四方を山に囲まれた青田市、典型的な盆地だ。
南方の山はたかだか標高100mであり丘陵地といってもよいが地形学的には山だ。
その丘陵には戦国時代に山城があったそうだが名のある武将の居城でもなく、
江戸時代中ごろに取り壊されるとそのままになっていた。
三方は標高300~500m、稜線も尾根筋も明確なので遠望からでも山と分かる。
古くは農耕が産業の主体だったが特産品がないために田畑のほとんどは潰された。
戦後は近隣市町のベッドタウンとなり住宅街が林立したが北部には僅かに農地が残っている。
私鉄が一本、幹線道路二本が市外との往来の手段。
政令指定都市、県庁所在地でもある大都市までは鉄道で1時間、車で2時間もかかっていた。
市外へ出るには狭い峠道を超えていくしかなく事故も多発していた。
峠道を回避するトンネル工事の着工が遅れてしまい、幹線道路二本が機能するようになったのは近年になってから。
それにより大都市までは車で1時間30分に短縮できるようになった。
市内には小学校が3、中学校2、高校が1、いずれも公立。
かつては農業高校もあったが産業の移り変わりと生徒数減により廃校になっている。
農業高校の跡地は市営の野球場兼陸上競技場、体育館になっている。
小学校時代に学んだこの町の歴史と成り立ちだった。
人口4万人足らずの青田市では生活するには困らなかったが遊びの場が少ない。
何をやろうにも大都市まで出向かなければならない不便な立地だった。
それが良い環境となりストイックに運動と勉強をすることができると陽子は考えていた。
とはいえ自分の学力がどの程度なのか分かりにくいことに陽子は歯がゆさを憶えていた。
進学塾での模試を基準にしていたが狭い範囲での評価を当てにできるのか疑問だった。
塾内の評価では偏差値70前後といわれたが都市部との差が気になっていた。
将来的には大都市で実力を発揮したいとの願望があった。
陽子の兄は少年野球に没頭していた。
そのため兄の自宅練習と称するランニングや筋トレに付き合っていた。
その成果が実り足の速さには自信があった。
男子よりも速い女子と言われ始めたのは小学五年のころ。
中学一年の体力テストでは50m走8秒00と随一の速さを誇った。
運動会の100m走、200m走には連続出場し他の女子生徒を置き去りにして優勝。
陸上部の顧問が興味本位で男子と混走させても陽子が勝ってしまうほどだった。
中一から陸上競技県大会に出場したものの表彰台には及ばず。
タイムも自己ベストに届かず陽子らしくない結果で終わっていた。
それでも近隣市町では最速女子であることに変わりなく、
端整な小顔も相まって地域の中学校陸上部では注目されていた。
中二の夏、インターハイ強化選手として推挙されて県体育協会主催の合宿に参加した。
県全域の高校、中学から短距離、長距離の有望選手が集められそれぞれに特化した鍛練を課す。
レベルアップを競いあい、次年度か次々年度のインターハイでの好成績を期待されていた。
ゆくゆくは全国に通用するランナーを養成する場でもあった。
女子選手の中には全国大会出場経験者もおり、彼女らとは前年度の県大会で顔を合わせていた。
年上である彼女らは年下の陽子に気を使ってくれていた。
世間話から普段の身体ケア、日焼け対策で話が弾んだ。
国立競技場の雰囲気は異様過ぎるとの彼女らの感想には共感できるものがあった。
そんな中にあって顔も知らない女子が参加していた。
県外でくすぶっている無名の選手を越境参加させていると聞かされた。
大人の事情が絡んでいると察しはしたが深くは考えなかった。
彼女らは自己顕示欲が強く、ハングリー精神も強い。
ハードなトレーニングメニューを苦も無く熟していく。
セパレートユニフォームから覗く割れた腹筋は同じ女子とは思えないほど。
話も噛み合わず良い関係を築けそうにない。
ストイックさを自負する陽子よりもさらにストイックな彼女らの前では次第に自信を無くしていった。
競争なのだから他人を押しのけてでもとの強い意志が無ければならない。
それに加えて【鋼のような肉体】が必要なのかもしれない。
分かってはいてもそこまで自分を追い詰めていくと自分が壊れそうで怖かった。
陽子は気後れしつつも合宿メニューについていくことにした。
選手を指導をするべく県立大学陸上部からコーチ陣が派遣されてきた。
大学と提携している某スポーツ用品メーカーも加わり、医療機器のような測定器具まで持ち込まれた。
体格、骨格、体脂肪、筋肉の量と質、ランニングフォームを科学的に解析、分析。
それぞれに今後の課題と強化方針を提示した。
陽子の場合、フォームの若干の矯正はしたいが大きな問題はないので現状のまま。
筋力が不足しいると指摘をされた。
筋肉量自体は平均以上だが中学スプリントのトップ選手に比べるとやや劣っている。
大腿四頭筋回りで2cm、下腿三頭筋回りで1cm太くするのが目標になった。
組まれた筋トレメニューを実践してみたもののハードワークである。
練習後も疲労感が付きまとう。
続けるには普段の生活から変えなければ不可能と思えるほどだった。
合宿の締めくくりには記録会が開催された。
そこで陽子は自己ベストを更新、100m11秒91をマークした。
全国大会では表彰台を狙えるタイムであり、参加した女子選手中での伸び率は最も高かった。
この結果からしても県大会での平凡さはメンタルの弱さにあると指摘された。
心理的なプレッシャーにより大舞台では実力を発揮しきれないとのことだった。
メンタルサポートは次回以降の課題として合宿は終了になった。
この合宿では数名の女子選手が陽子よりも速いタイムをマークした。
その中には越境参加した女子選手も含まれていた。
部活の顧問には今後の方向性を問われた。
このまま強化選手として合宿に参加するべきか色々と考えた末に辞退したいと伝えた。
学業との両立が難しいと表向きの理由にした。
そのため年末年始、春休みの強化合宿、中3の強化合宿には参加していない。
中3の県大会でも陽子は100m12秒89と平凡なタイムで終わっている。
県立大学あるいはスポーツ用品メーカーの関係者を経由してなのかは不明。
陽子の噂が芸能事務所に流れた。
端正な顔立ち、健康的かつ端麗なスタイル、凛とした立ち姿も画になる。
アイドルタレントとして十分以上の素質があるとスカウトしにきた。
これも陽子は断った。
陽子の父親は商社勤務であり、広告代理店とも仕事上の付き合いがあった。
そのため芸能界の裏話は数知れず知っており、それを親娘間で世間話のようにしていた。
あっちは異世界と考えていたせいもある。
その話を聞いた同級生からは残念がられたが自然体の自分を通したい気持ちが強かった。
その後も何社かの芸能事務所から誘いがあったが返事は変わらなかった。
高校については特段のこだわりはなかった。
市内の高校が自分の学力に見合っていたので進学しただけ。
自転車で通学可能だったのは偶々でしかなかった。
大都市の進学校に通う選択も出来たが部活動を考えると片路一時間の通学時間は無駄に思えた。
とはいえクラスメートの大半はこの高校へは進学できず隣町の高校へ行くしかなかった。
近隣市町から成績優秀者が大挙して通学してくる校風になじめるか不安はあったが、
どこの高校に進学しようにも付いてくるもの、友達は作るものだと前向きに捉えた。
春休み中に体重と体脂肪が増えていたことも気がかりだった。
受験勉強中で身体を動かさなかったせいもあるが頬の膨らみが気になりだした。
中学3年夏の体重は50kg、体脂肪率は18%だったのが56kg、20%。
受験期間中はあえて乗らないようにしていた体重計。
3月中旬に乗った時のショックは大きかった。
それからは自宅周辺をジョギングした。
陸上競技場の開放日にスプリント練習をやってみたりとベスト体重を目指した。
女の子に体に代わっていく途中なのだから無理にダイエットしなくてもいいと母親から言われた。
生理も安定しているので納得するしかなかった。