赤と白と黒
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森というほど敷地があるわけでもない。だか、確かに樹木が鬱蒼と茂っている。ゆめは一度も足を踏み入れたことはないし、入りたいとも思わなかった。あまりにもそこは不気味すぎた。
長瀬に導かれて数分歩くと段ボール箱が見えた。ニャーニャー声が聞こえる。段ボール箱に向き合ってしゃがみ込んだ長瀬のか細い両手がフタをゆっくり開けるその隙間に黒く蠢くものが見えた。
ニャー
小さい子猫が訴えかけるようにこちらに向かって小さい歯を見せた。長瀬がニヤついた。
「黒猫。可愛くね?」
ゆめの目の先にいるその生き物はあまりにも儚げて、プルブルと力を入れて身体を震わせる様が胸を突いた。胸の奥が重く苦しくなり、ゆめは呼吸の仕方を忘れるほどだった。胸の奥に感じる重さの根源は責任という概念で、なおとの世話をする時に否応なく培われていた。
ダンボールの中には何も入っていなかった。フンもない。水分で濡れたあとのシミがあるだけだ。ゆめはしゃがみこみ、かばんから赤いタオルを探り出すとそれでていねいに子猫を覆った。
「へえー」
隣の男がばかみたいな声を漏らした。
猫は嫌がる様子は見せずに大人しくしていた。
「おーおー。エサ持ってきたぜ」
長瀬の言葉に呼応するように黒い子猫はニャーニャーと声を出した。
自分でさきほど空にしたプラスティック容器に、ストローで開けた牛乳パックの穴から白い液体を注ぐと、長瀬はニャーニャー騒ぐ音源の手前に置いた。
「ほーれ」
子猫はとても小さな赤い舌で牛乳をペロペロなめはじめた。
ゆめは込み上げてくる嗚咽を抑えるのに必死だったが、鮮やかな赤と白のコントラストから目が離せずにいた。
弱々しい姿が痛々しく感じてしまう。可愛いより先に、ある種の恐怖のような感覚に襲われる。
生きていけるのか。親はどうしたのか。兄弟たちはどこに。
無意味な心配事が湧いては消えた。
今にも壊れてしまいそうなこの生き物を愛おしいと思う気持ちをゆめは強烈に胸の奥に感じていた。と同時にこの子猫をこんなところに置き去りにした人間に激しい怒りを覚えた。それは同時に子猫に何も出来ない自分という無価値な存在に対しての憤りも呼び覚ましていた。身体が小さく震えた。
ゆめがしゃがんでる横には背中を丸めた男が幸せそうな顔でダンボールの中を覗いている。
「キャットフードはまだ早いかな?」
長瀬はひとりごとのようにつぶやいた。黒い子猫はピチャピチャと音を立て続けている。