1591年5月15日 阿曽沼氏
都での日ノ本惣無事に立ち会った後、お白い爺共に会いたくなかったので、逃げるように佐倉に戻った俺は、陸奥からさる人物を迎えていた。
その人物とは阿曽沼広郷・広長父子。俺が南部の領内と思っていた釜石一体を治めている一族である。
鉱山開発には大勢の人足が必要となる。如何に鉱山採掘に慣れた忍びの総合商社・三つ者達がいるとはいえ、鉱山夫の確保は必須であり、周囲を治める阿曽沼氏と良好な関係を構築することは釜石鉱山開発に非常に重要な案件だったのである。
鷹・馬・麻、椎茸といった貢物を持ってやってきた父子であるが、
『我らは、頼朝公と共に、朝敵・義経を・・・』とか
『治承・寿永の乱では・・・』とか
何とも古い話のオンパレードなのである。良く分からないが、源頼朝の鎌倉幕府より前の話をしているっぽい。
”いいくに(1192年)つくろう鎌倉幕府”より前なら平安時代?
鎌倉以来何百年って話なら、陸奥の大名から散々聞かされたが、平安時代の話となると初耳だぞ。こんな人間シーラカンスみたいな一族と上手くやれるのか俺?
いい加減、昔話は聞き飽きたので、話題を本題に変えた。
「南部より聞いていると思うが、其方たちの領地は我ら北条門下・伊勢家の直轄地となった。実は其方たちの領地には大変貴重な鉄鉱石が埋まっているのだ。鉱山労働は重労働だがその分、扶持ははずむ故領民達に鉱山労働に付くよう働きかけてくれ」
これを聞いて、父子とも喜色満面になった。
『承知仕りました。全領民でも鉱山に向かわせます』
全領民とは、いくら何でも・・
よくよく聞いてみると、彼らの土地は山間で農業は殆どできず、林業や椎茸、狩猟、一部海沿いの民が漁業に従事しているとのこと。
今回の呼び出しも米を納めるよう要求されたらどうしようかと、恐れていたらしい。なので、必死になって自家の長い歴史を語り、潰されないよう訴えていたつもりだったようだ。
鉱山が軌道に乗ったら港も整備する予定だと伝えると、もう踊り出さんばかりに喜んだ。一応、目付け役に三つ者を付けるが、彼らは裏切ることはないだろう。ただ、一応、人質として広綱の娘を佐倉に常駐させることにした。
それにしても林業か。無音銃の新素材が見つかるかもしてないから、銃職人(種子島職人とは完全に分離した)を派遣させてみようか。




