1591年3月10日 九戸政実
本話以降、適宜、「盲」「聾唖」「片端」「白痴」等、差別用語が登場します。
作中世界でも蔑視の意味を持つ言葉なのですが、主人公は彼らの秘めたる能力に注目し、彼らを重用し、これらの言葉を蔑称から尊敬語に改めさせようという、大きな目標を掲げて行動していきます。
従って、上記の言葉を読む事に忌避感をお持ちの読者様におかれては、誠に残念ではございますが、前話を持って完結扱いとさせて頂ければ幸いです。
二月下旬を雄二こと伊勢直雷と甲斐姫の結婚式に費やし、目出度く二人は夫婦になった。この時代の結婚式は一週間がかりの大作業だったが、式には氏房、氏勝に領内の城主が直雷の親族として出席してくれ、名門成田家との釣り合いが保てた。皆には大感謝だ。
さてその頃、北条幕府の求めに応じ、全国から続々と大名が貢物を携え聚楽第を訪れているという。そして、雪解けなった奥州勢も上洛し始めた。
それに合わせ、かねてからの指示通り九戸城主・九戸政実・実親兄弟も小田原に参上した。
実は彼らの処遇は事前に幕府と相談して決めてあった。羽黒党の事前の調べで確かに南部信直の家督相続時にひと悶着あったことが分かったからだ。聚楽第で幕府はその点を信直に追及、奥尻島への国替えまでチラつかせ脅かしたところ、信直は認めたという。但し、春継殺害は強く否定。無実を証明する為なら自害する決意であるとまで言ったので、春継殺害容疑は晴らされた。その代わり、九戸家の南部家からの独立と九戸城周辺の割譲は認めさせた。
後は、この裁定を九戸兄弟が受け入れるか否かだったが、
彼らも流石に今から南部の正式後継者になれるとまでは思っていなかったようで、
割と簡単に受け入れた。普通ならこれで一見落着である。俺が横やりを入れなければ。
「九戸殿は本当にそれで良いのか?独立したとはいえ周囲は全て南部領だろう。九戸領で何を産し、何を買うにしても結局は南部家を通さねば何もなさぬのではないか?」
これには、兄弟も渋い顔だ
『おっしゃる通りですが・・・・』
「奥羽の者はよく、鎌倉以来何百年の伝統が・・などと言うが、そんな時代錯誤な感覚を持っているのは奥羽の者達だけだ。畿内も関東も100年続いた戦乱で古い価値観を捨てられなかった者は多くが淘汰された。このままでは、奥羽は日ノ本から取り残されてしまうとは思わんか?」
「我が伊勢家はこれから重要になるのは蝦夷と考えている。既に幕府にも蝦夷開拓の了承を頂いているのだ。九戸殿、九戸などという狭い土地は南部にくれてやり、俺に仕えんか?蝦夷開拓は今少し先だが、秋田家から割譲した男鹿半島ならその方らに任せる事ができる。男鹿の地でも臭水を使った新しい技術の開発をしている。その方らのような実直な忠臣には是非開発に加わって貰いたいのだ。それに男鹿も蝦夷も南部領とは離れている故、邪魔される心配もないぞ」
『・・・・・・・』
二人とも考え込んでしまった。先祖伝来の地を捨てて新しい仕事を始めろと言われたって急には決められないだろう。
俺は二人の前にタオル大の布を置いた。
「それを見てみよ」
『実に見事な絹でありますな』
この時代、日ノ本は明から生糸を輸入している。布ではなく生糸というのが重要だ。つまり、織に関しては日本は十分な技能があるということだ。
俺がもし農業の専門家であれば養蚕現場でアドバイスできるだろうが、生憎、俺は農業も昆虫も門外漢である。そんな俺が用意できる生糸といえばポリエステル、ナイロンといった化学繊維しかない。
最も、これはまだ試作品、漸く生糸まで至った品を織り上げて貰った品である。これだけなら、密貿易船から本物の生糸を買った方が遥かに安上がりだろう。
というのも化学繊維のうち化学の分野なのは原料となるナフサを作る所まで。それ以降は高分子の分野なのだ。高分子に関しては俺も一般的な事しか知らないので試行錯誤の真っ最中というのが現状だ。
「その絹が、臭水から出来ているとしたら、その方らどう思う?」
『なんと、この絹が、そのような物から!!!』
「男鹿半島では臭水が取れる。その絹は試作品だが、今後も研鑽に励み品質と収穫量をあげて行けば、明国から密貿易して生糸を買う必要などなくなるであろう。俺は其方達にそのような未来の実現を任せたいのだ。九戸の領民を男鹿半島に移住させても構わん。未来に夢を見るか、それとも、過去何百年の伝統とやらに拘り南部に関所でも作られむしり取られ続ける行く末か、好きな方を選ぶと良い」
二人は何やら話し合っていたが、やがて
『領民も連れて行って構わないのであれば、是非、伊勢様の元にお仕えしたくお願いいたします』
と言ってくれた。そこで俺が追加で条件を出す。
「勿論、領民も歓迎する。その際だが、盲の者、聾啞の者、手足が不自由な者、その他、農業、林業、漁業に向かない体の者も一切見捨てず必ず連れて参れ。もし、そういった者が一人も居なかった場合はこの話は破棄させて貰う。良いな!」
強く念を押しておいた。移住の際にそういった者が置いていかれたりするのは避けなければならない所である。この世の中に不必要な人間なんて一人も居ないのだから。




