1591年2月20日 目安箱
今、俺は小田原城に来ている。久しぶりの評定の間にご隠居様、氏勝、氏房、下田城主・清水英康、そして俺。親方様が評定衆を連れて都の幕府に行ってしまったのですっかり寂しくなってしまった。
今日の議題は南部領の目安箱への投書についてである。元々、目安箱は公儀に訴え出る術がない領民の為に設置したものだが、今、手元にある投書の主は領民ではなく、領主である。名を九戸政実という。南部領内の九戸城の城主である。
書かれたのは1月15日、豪雪の陸奥を超えて運ばれてくるまで一月掛かったことになる。
九戸の投書の内容は要約するとこうだ。
『南部家の正統後継者は自分の弟の九戸実親であり、現当主の南部信直は先代・南部晴政の嫡子・晴継を殺害した大悪人である。ついては北条様に正義を行使して頂き逆賊・南部信直を我ら兄弟が成敗する大義を頂戴したい』
これに全員唸ってしまった。領民からの投書であれば、内容によっては領主を通して確認、領主を訴える内容であれば、忍びを使って情報集めを行うことになる。
だが、領主に合戦の大義名分を与えるとなると、話は別である。何しろ、南部信直には年末に所領安堵をしたばかりだ。それを反故にしたとなれば奥州全体に波紋は広がるだろう。がしかし、態々目安箱を使用して訴えて来た九戸の実直さに皆好感を持ったのも事実だ。
『九戸の訴えを無視して、信直の家臣となれ!と言っても聞かないだろうね』 と氏房。
『確かに、それをやってしまうと目安箱の存在価値が落ちかねません』 と氏勝。
『海路で九戸まで向かえんか、英康?勝手に戦はじめられても困るしの』 とご隠居様。
『冬の海は寒流が激しく陸奥までの遡上は難しいかと』 と英康。
『そもそも冬は豪雪地帯だろ、戦はしないのでは?』
『我らには無理だが、彼らは雪に慣れている。農閑期なのだから戦があっても不思議ないのでは?』
陸奥に明るい者が誰もいないので、議論噴出すれど結論でず。人が減っても相変わらずの小田原評定である。
そこで俺が一案を出す。
「幕府は各地の諸大名に上洛を命じております。南部信直も雪解けしたら京に向かうでしょう。私達はこの件を上様に事前に知らせておくとともに、九戸には小田原に来て説明するよう命じてはいかがでしょう?」
『成程、信直が不在中に九戸が暴れだしても困る。かといって、九戸を上洛させれば信直と対等の大名という扱いになってしまう。そこで、九戸はここ小田原に呼ぶのか?』
ご隠居様が思慮深く分析した。
『とにかく、九戸政実には北条が話を聞く意思があると知らせる事が重要だ。連絡だけなら雪の中でも行けるか、直光?』
「はっ、羽黒に任せれば問題ないでしょう」
『で、九戸に何と伝える?南部が上洛したら小田原に来い。では気分を害さんかの?』
『そこは、物は言いようでしょう。南部が不在の間に詳しい話を聞きたい。とでも言えばよろしいかと』
最後の発言は氏勝である。彼とは殆ど話した事がないが、昨年の戦いでは大変な苦労をしたと聞いている。山中城の主将を務めたが圧倒的な敵の大軍に奮戦するも敗れ、自害しようとした所を家臣に止められ、本城・玉縄城に帰還。そこも大軍に包囲され降伏。以降は敵の道案内と下総上総の味方城への降伏勧告を行ったという。
俺の領内である下総上総が乱取りこそされたものの、城や町に被害が少ないのも氏勝のお陰ともいえるのだ。
そんな氏勝、忍城攻めで氏照さんにあった時は、大号泣して『我らは勝ったのですか?』と尋ねたそうだ。自らが圧倒的な大軍に踏みにじられる経験をした為か、九戸の同情的なのかも知れないね。
『氏勝の言い方で行こう。頼むぞ直光』
ご隠居様の一言で、九戸の小田原招集がきまった。後は羽黒党に任せるだけである。




