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1591年2月9日 佐倉城

ほぼ一月振りの我が居城・佐倉城帰還である。

松坂城や浜松城の威容を見てしまうと、なんとみすぼらしい事か!

しかし、我が家の場合、城なんかに金をかけている場合ではない。


この時代の利根川は江戸湾に注いでいるのだ。つまり、上野の群馬鉄山、中小坂鉄山で採取した鉄鉱石は江戸湾に来るのである。

一方、ここ佐倉は鬼怒川水系に属しており、水路で江戸湾に出るのは少々不便な位置にあったのだ。戦乱の時代なら北条や里見がしのぎを削る江戸湾から離れたこの佐倉は防御には良かったのだろうが、太平の世となると不便な面が出てくるのだ。

いっそ、現代で千葉市があった場所に拠点を移そうか?


さて、そんな先の話は後々考えるとして、家老の垪和からこの一月の状況説明を受ける。

・農業から酪農への転業に向けて領民の説得

 これは、酪農が軌道に乗るまで、およそ10年年貢免除、それ以降も肉、毛、牛乳による納税を確約。と提示していたが、意外にも転業に前向きな領民が多いという。ここ、下総上総あたりは南関東ガス田と言われ日本最大級の天然ガスの産地なのだ。云わば天然ガスの上で土地を耕して農業をやっていたわけで、以前から、事故は散発していたらしく、酪農なら土地をほじくり返す心配がないと説得すると興味を示す人が多かった。ただ、指導員が異人である事にはやはり抵抗があるようで、今後はそういった差別偏見を無くしていく事が課題だな。


・異人の日本語習熟度

 予想していたが、彼ら彼女らの日本語の習得は教える側が舌を巻くレベルだという。それはそうだろう、大陸で暮らしてきた彼らは様々な異国語に囲まれて暮らしてきたのだ。言語習得に対する慣れは島国の日本人の比ではない。


・住民票の作成

 俺は領民一人ひとりの名前、およその年齢、性別、主たる職を記した住民票の作成を目指したのだが、結局は集落単位、家単位に落とし込むのがやっとだったそうだ。云わば戸籍のようなものだ。

 しかし、何処に何歳くらいの男女がいるかは把握できるので、これを使用してお見合いシステムを作っていくつもりだ。何しろ、現在は隣の集落の人間でさえ「余所者」扱いしているのが現状である。

せめて、俺の領内は皆隣人くらいの感覚には持っていきたい。

もう一つの難題は、現代で言うところの身体障害者が一人もいないことだった。

戦がずっと身近にあった世界なのだ。障害を負った者がいない筈ないのだ。

まずは「名誉の負傷」という言葉を普及させることからだな。

更に、産まれつき、目、耳の不自由な人、も一人もいない。

簡単に言えば、農業漁業といった一次産業に従事出来ない人は人間扱いされていないのだ。長い戦乱で多くの人を失ったであろうに、今の世に必要とされない人なんて誰もいないのだが・・・

垪和から聞いたのだが、この世界では、双子、三つ子もいないらしい。そういった赤子が産まれても一人の子とカウントされるそうだ。酷い時にはもう片方は殺されることもあるという。もう頭が痛くなってきた。


・塾の設立

 領民に読み書き、四則演算を教える場だ。

 「寺子屋」なんて名前にすると、寺にいる人間は知識人などという現代から見れば時代錯誤な認識が広がってしまうので論外だ。「学校」という名前も関東には足利学校があるので混同されやすい。しかもこの足利学校、主な教えは易学だそうだ。易者と一緒にされてはかなわんからこれも論外。で結局、「塾」という名前になった。まずは佐倉周辺から始めるが、講師を務められる者が増えてきたら、子供を塾に通わせている戸は減税するとか人参ぶら下げて生徒を増やしていく予定だ。

兎に角読み書きは重要だ。領主がどんなお触れを出しても、文字を読めるものが限られていれば、その者の良いように改竄されて伝えられてしまう。


・道場の近況

 伊東一刀斎の道場は確実に門下生を増やしているという。平和な世になったとはいえ、治安という点ではまだまだな世の中だ。自己防衛の手段を領民に持ってもらうのは重要だ。一刀斎には女子の門下生も受け入れるよう頼んである。女性が不当な暴力に晒されるのが多い世の中だから、これは重要だ。


・佐渡への農業普及

 密貿易船から手に入れた、ジャガイモ、カボチャら農産物の佐渡での普及促進には佐久間兄弟を派遣した。小金城主・高城によると、兄弟は戦働きだけでなく治世にも関心が高かったとのことで、任せてみる事にした。(目付には三つ者が3名ついたという)


・釜石鉱山の発見

 俺には、これが一番のビッグニュースだ。南部領からの割譲と思っていたが、この時代の釜石は阿曽沼広郷という武将が治める独立領だったそうだ。南部信直は阿曾沼と交渉というか脅迫を重ね、釜石一体を北条に明け渡すことに同意させたらしい。これで、蝦夷以外の東日本の主要な鉄山はほぼ抑えたことになる。


さて、この時代の技術でどこまで採掘できるかだが、歩くチート三つ者の採掘部隊がいるのだから、大丈夫だと信じたい。

垪和からの説明は以上だった。


俺からは、

・伊勢神宮に招かれ内宮に祀られることになったこと。

・伊豆諸島も俺の領地になったこと。

・九鬼嘉隆が正式に当家に仕官したことを伝えた。

九鬼の処遇については梶原と同等とすることで直ぐに話がついたが、伊豆諸島にはさすがの垪和も頭を抱えてしまった。広大な海域に島々が点在する伊豆を差配するには水軍を束ねる武威と内政の素養の両方が必要となる。

とりあえず、大島・新島・神津島・利島・式根島・御蔵島の6島に梶原配下の者から20名で水軍を編成、主将には万喜城主・土岐頼春を立て向かわせた。

通達事項は島の主産業を椿油の採取に転じる事と、油での納税を認める事、余剰油の買取の確約、米など食料の島への補給の確約だ。

八丈島、青ヶ島は遠すぎるので今回は見送りとした。それに八丈島で栽培予定のサトウキビについては是非協力を仰ぎたい人物がいるのだ。泡盛屋の先代・屋良先エ門である。

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