1591年2月3日 内燃機関
俺は今、猛烈に感動している!見ろ目の前の光景を!
内燃機関である。外燃機関も蒸気機関もすっ飛ばして、いきなりこの世に出現した石油で稼働する内燃機関である。これこそ正に歴史改変だろう。
今回、浜松に上陸した目的は勿論、氏光と久しぶりに会う為もあったが、遠江にある臭水の産地、所謂、相良油田を視察する為でもあったのだ。
実は小田原解放後、直ぐの段階で鋳物師、細工師らに内燃機関の概要を説明してあった。彼らの大半は臭水のことは知らなかったが、遠江からやって来ていた鍛冶師が何人か知っていたので、火の出る水のことを信じてくれた。
そもそも外燃機関というのは大型の設備なのだ。もし外燃機関を研究開発するとしたら、この時代の全国の職人総出で取り掛からねばならないような大プロジェクトである。その点、内燃機関は小型なので、限られた職人でも研究可能と判断したという事情もある。必ずしも歴史改変をしたくてやったというわけではないのだ。
今回の内燃機関の材料は青銅と真鍮だ。ピストン一つとっても実用化には試行錯誤が必須なので細工し易い素材で研究してもらった。
因みに群馬鉄山、中小坂鉄山の採掘は順調に開始していて、伊豆の硅石明礬鉱山伊豆の採掘も順調、今は高炉製造に向けて耐火粘土の製造を進めているところだ。
そんな講釈は置いといて、見て欲しい!この内燃機関を!間違いなく稼働する内燃機関だ。相良油田の石油が日本の油田の中で一番質が良いと知っていたので、実験地にはここを選んだのである。因みにここで取れる石油はそのまま自動車に給油しても走ったという程の品質である。一応、灯油、ガソリン精製設備(といっても最早小田原の鋳物師にとっては得意分野となっている蒸留施設が大部分なのだが)は建設してあるが、もったいないので今回は原油をそのまま使用している。
いやぁ、何と力強い、内燃機関に取り付けた杵が豪快に臼の中の餅を付いているではないか!最早、感無量!落涙を禁じ得ない感動だよ。
周囲からの視線と野次馬の雰囲気は無視してもう暫く感動に浸っていたかったが、
俺が来るという事で、人が集まってしまったという事情もある、ここまで頑張ってくれた職人の為にも、聴衆に声をかけよう。
「皆の者、これは我らにとっては小さな一歩だ!だが、日ノ本の国全体にとっては大きな大きな一歩なのだ」
かのアポロ飛行士の言葉を真似て、力強く告げた。が、野次馬達の反応は鈍い。
『あれなら、うちの5歳の子の方がもっと餅つけるわ』
『なんだか、妙なからくり人形だな』
この風魔小太郎の体はとても優秀、聞こえなくても良い野次馬の囁き声すら拾ってしまう。
それはそうだろう。今ついている杵の大きさはおよそ5センチ、臼も直径15センチ程度の代物だ。どうみても玩具である。なんでも、元は雛飾り用の玩具だったそうだ。
実は最初、内燃機関の試作品が出来たと聞いた時は、「石臼を回してみろ」と言ったのだが、これがビクともしなかった。その後、色々試したが全く動かず、漸く動いたのがこの玩具の餅つきだった訳だ。
しかし、大きな一歩であるのは間違いない。試作品が完成したというのもそうだが、それ以上に、
『いくら何でも、力が小さすぎる』
『どこかに、余分な力が掛かってるんだ』
彼ら職人達である。彼らは内燃機関の原理を良く理解し、今のパワーから、どこかにエネルギーロスがある事を推察しているのだ。これはもはや職人ではなく立派な技師である。そう遠くない将来、間違いなく内燃機関の実用化は実現することだろう。もう一つの望外の誤算は、小田原解放の話とそれに寄与した彼らの技術を聞きつけ、全国から多くの職人が集まってき始めていることだ。
中でも、無音銃の開発に寄与した鉄砲職人の善兵衛さんは国友でもかなり有名な人だったらしく、彼を慕って国友からやって来た職人が多くいた。
俺はこの世界の未来に大いに希望を見出し、相良油田を後にした。
本年は拙作をお読みくださりありがとうございました。
元旦以降も予約投稿しておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。
皆様、よいお年をお迎えください。




