1591年1月29日 松坂牛と伊勢神宮
京から伊勢までは徒歩でもおよそ4日程度だという。今回は甲賀、伊賀で歓待を受けたので思わぬ時間をくってきまったが、それでも馬を使っているだけに、6日で松坂に着くことができた。尚、伊賀でもお土産に、松茸、スッポン?の干物を貰った。禄払えないのに貰ってばっか、どっちが上司かわからないよ。
さて、ここ松坂は蒲生氏郷の地元だ。いやあ凄い、何がって松坂城だよ。
5階建ての天守閣があるよ。これこそ俺の知ってる日本の城だ!
今宵は城で一泊、明日はお伊勢様に参拝なのだが、この日の夕食がまた驚いた。
何と牛肉が出て来たのである。松坂で牛肉って、これってつまり松坂牛?
この世界に来て初めての牛肉だ!その美味い事、美味い事、急遽伊賀から貰った松茸も燻して貰って、一緒に堪能した。俺が余りにも美味そうに食べるものだから、氏郷もビックリしていたな。
京は散々だったが、帰りはまるでグルメ紀行じゃないか!
「氏郷。我が下総上総でも畜産業に力を入れていきたいのだが、これらの牛を何頭か我らの領地に融通して貰うことは可能か?」
氏郷は暫し考えた後、
『これらの牛は近江から取り寄せた物でございます。そうですな10頭位であれば、直ぐにでもお譲りできます』
近江牛だったのか。しかし、現代人には何と言っても牛肉だよね。
「それは有難い。すまんが早速融通して九鬼に運ばせてもらえるか」
『はは』
「それはそうと、松坂の統治は順調か?主になったとはいえ、其方とはあまり会う機会もなかったし、伊勢にも今回始め来たのでな。少し心配しておったのだ」
『ありがたきお言葉でございます。城下も近江商人が来て繁栄しており、概ね順調でございます。それに殿の家臣になったことで、お伊勢様からの信任も上がりました。ただ、少し心配なのが米が余り取れないことです。海が近いせいか潮の香りが強く稲作には苦労しております』
確かに、海辺に水田って余り見たことないな。ただ、米離れ世代の俺としては、なんでそうまでして米を作りたがるのかが理解できなかった。
「米が取れないなら、この土地でも取れるものを育てれば良いではないか。米は交易で買えば良いのではないかな?」
『仰る通りなのですが、さりとて、この地で米より高い作物など見当もつかないというのが実情なのです』
「なければ、育てれば良いではないか。例えばこの牛はとても美味だ。貴人の口にもきっとあうぞ、いっそ、耕地は牛を育てるための草地としてはどうじゃ?」
『殿は誠に噂通りのお方でいらっしゃる。異界の文殊様とは言い得て妙でござります。されど、この日ノ本では肉は殆ど食べられていないのです。某は肉が好きですが、商品として販売するとなると、南蛮人に少し売れる程度でしょう。それに、年貢は米で納める必要があります故、米が十分取れないと無能と断じられ、某は領地を奪われてしまいます』
「それは、旧関白の世の話であろう。北条では税の3割までは北条札での納入が認められていたし、残りの7割も米でなければならないという決まりはなかった。そうでなければ、稲作に不向きな山間の地では税の納めようがないではないか。そもそも、日ノ本では何故、肉食はなくなってしまったのだ?」
『確か、天武天皇が肉食を禁止して以来の伝統と聞いております』
「天武天皇?それは何年前の話だ?」
『およそ、今から900年程前の事だったかと』
呆れた。そんな昔の天皇の命令を未だにこの国の人は守っているというのか!
「然らば、帝が正式に肉食を解禁すれば、皆食べるようになるわけだな?」
『まあ、そうなれば、徐々に広がってまいりましょう』
「俺は技術開発担当家老でもあったからな。幕府にも意見を言える立場になる筈だ。日ノ本に肉食を広めるよう働きかけてみよう」
実際、俺が幕府にどの程度影響力を持てるかわからない。しかし、現代の伊勢に行ったことがない俺には伊勢の特産品なんて松坂牛しか知らないのだから、氏郷には悪いがこう答えるしかない。
氏郷へのアドバイスは何とも尻すぼみで終わってしまった。
そして、今、伊勢神宮である。
祭主、宮司ら錚々たるメンバーでお出迎えである。
『ようこそいらっしゃいました。伊勢様。私共は伊勢様を天照坐皇大御神の御子としてお迎えいたします』
物凄く広大な神社の敷地に圧倒されているとこう言われた。
「御子というのは?」
『伊勢様は、鏡を使用して日の力を照らしご利用なさったとか。天照坐皇大御神の御神体は正にその鏡なのです。そのような縁とご参拝される皆様から小田原にお伊勢様が現れたというお噂から、私共は伊勢様を天照坐皇大御神の御子、人間に例えれば子孫として敬いたいと考えております』
「つまり、現人神ということですか?そのようなお立場は帝のみでは?私などが帝と同格では不味くないですか?」
『実は天子様とは、もうお話をして了承を賜っております。ただ、御子というのはあくまで当社内でのこと。公にすれば世が混乱いたしますから』
「そうでしょうね。分かりました。お伊勢様内での云わば私的な立場という事であれば、お受けいたします。ただ、某の領地は関東にあり、そう頻繫にはこちらに伺うことが出来ませんが、それでもよろしいのですか?」
『はい、お立場は良く存じております。ついては、内宮に伊勢様の別宮を建てたいと思います。そうなれば、内宮にお参りするということは、天照坐皇大御神に参ると同時に伊勢様にも参るということになり、 伊勢様が社内に常在される必要はございません』
『ついては、新たな別宮を建てるに当たって、伊勢様から幾ばくか御寄進賜れればと・・』
出たよ。結局金かよ。遠回しに遠回しに言い繕っておいて、最後は金だ。これだから宗教は嫌いなんだよ俺は!!
試しに幾らくらいが相場か生臭宮司に聞いてみたが、
『前関白様からはこれくらいでございました』と言われた。それってうん百億円とかいう小国の国家予算規模の大金じゃねえか!
さっきは鏡や光で猿関白の軍を倒したことを誉めそやしていながら、金の話は猿関白を踏襲か?ふざけるな!一気に帰りたくなってきたよ。
『まあ下世話なお話はそれ位にして、境内をご案内いたします』
祭主だろうか?一番偉い人がとりなした。
まあ折角来たんだから見物でもしていくか。
しかし、冬の寂しい森林というのも、意外に風情のあるものだ。
それに、何が良いって、ここ、結構な数の小社があるんだけど、賽銭箱が置いてないんだよ。あの生臭宗教の象徴が!なんか、俺の中で伊勢神宮評価上がり始めたんですけど。
そして、ついに内宮に到着した。僅か5年前に建て替えたらしく、内宮内も凄い綺麗だった。あの生臭宮司が言ってたうん百億円って内宮の建替え費用だったらしい。猿関白め良い事もしていたじゃないか!
甲賀・伊賀・松坂のグルメ紀行と伊勢神宮での冬の森林浴?で都での胸糞悪い思いは完全に忘れる事ができた。
結局、寄進の話は即答を避け、天照大御神の御子って事だけ了承して、松坂に引き上げた。
松坂に戻った後、氏郷にこう言われた。
『殿からの寄進というのは、金額多寡ではなく建前です。殿からも寄進を受けたという事実を作ることで新たな別宮の正当性を担保したいのでしょう』
確かにそうかもしれないね。何しろ、寄進するどころか、鮑や鯛の干物を土産に頂いてしまったのだから。本来なら神前にお供えする品々だそうだ。
さて、今宵も牛肉と松茸、鮑、鱈の豪華夕食を堪能した。
氏郷からは『神宮の干鯛や干鮑、もう召し上がるのですか?』と言われたが、食べ物は早く食べたほうが美味しいのだよ。




