1591年1月23日 北条幕府
この日、後陽成天皇より正式に親方様が正二位内大臣兼右大将に叙任され、征夷大将軍に任じられるとの宣旨が下された。また、秀吉の死により空位となっていた関白には北条氏規が任じられた。
上様こと北条氏直のそれまでの官位は従五位下・左京大夫で、しかもこれは朝廷からの任命を受けていない自称だったから、異例中の異例の超特進ということになる。また、北条氏規も美濃守を自称していただけであったから突然の関白就任はこれも異例中の異例と言える。畿内の人、取分け朝廷には関東勢力は独立意識が強いという印象があったので、何が何でも自分の懐内に北条家を取り込もうという必死さが表れた人事である。
とにかくこれで将軍・氏直は聚楽第で幕府を開き、幕府との繋ぎ役は将軍の叔父でもある関白氏規が行うという、朝廷としては万全の体制が構築できたのである。
上様は早速、全国に号令し、上洛して将軍に臣下の礼をとるよう通達した。
氏規さんが領有していた尾張・美濃・北伊勢・飛騨は関白となり京都常駐となるので統治は難しくなるため、嫡子・氏盛(若干14歳)が跡を継いだ。氏規さんの家臣は優れた人が多いので、まず問題ないだろう。
また、畿内全域が将軍直轄地となった。それに伴い、親方様時代に直轄地にしていた伊豆・相模・下総・上総・北常陸・佐渡・南伊勢の内、伊豆・相模は氏照さん預かりとなっていた北条氏勝が禊明けという形で就任。氏照さんが許したことと、ご隠居様も小田原には在城するので問題なしとなった。
問題は残る下総・上総・北常陸・佐渡・南伊勢、つまり飛び地だらけの俺の領地の取り扱いである。これがなんと俺の直轄地と認められてしまった。つまり立場上は氏照さんや氏房さんと同じ地位という事になったのだ。更に、奥州勢から分捕った、釜石、男鹿半島、十三湊に何故か伊豆諸島も俺の直轄地となってしまった。これもう飛行機でもないと統治出来ないよ。
さて、今まで忍びの事は雄二に教わってきたが、流石に公家周りの話は雄二では分からないので、板部岡さんに教えを乞うことにした。
「昨日、白い粉化粧の公家のオジサン達から、木っ端役人と言われましたが、どういう意味ですか?」
板部岡さんは暫し考えて答える。
『伊勢家は代々、朝廷の執政官だった家柄なのだよ。室町幕府の時代には幕府の、政所執事を務めておった。なので、公家から見れば単なる役人という感覚なんだろう。実際、今までは御屋形様、あいや、上様も伊勢と呼ばれておった。今回の将軍就任、氏規様の関白就任でようやく北条を名乗ることが帝や公家から公式に認められたというわけだ。今まで、役人と馬鹿にしていた家が将軍や関白になってしまったんだ。そこに、新たに伊勢を名乗る家が現れたと知った彼ら公家共は、態々、主らを呼び出し虐めた。簡単にいえばそういうことだな』
「そんなことの為に俺と雄二は京まで呼ばれたわけですか?!」
『そういうことになる。公家というのは自分では金も稼げない癖に自意識だけはやけに高い連中だ。常に誰かを蔑んでいないとやっていけないんだろうよ』
板部岡さんは呆れたように笑った。
「あと、官位の事です。官位が欲しかったら金持って来い。みたいな言い方されましたが、官位ってお金で買えるんですか?私はタダでも要らないですけどね」
『極論すると金とか財を献上して授かる物になるな。大昔、朝廷が親政していた時代は官位は職位を表すものであったそうだが、今は完全に形骸化して名前だけのものになっている。公家は献金を貰い、その対価として、帝に推挙して帝から官位を授かるという形だが、要は献金して欲しいだけじゃ。直光のように要らないという考えもあっても良いやも知れぬ。最も公家は困るだろうがな』
今度は板部岡さんはなんかいたずら坊主っぽく笑った。まぁもともと坊主なのだが
「それにしても、とんでもない金額を仄めかされましたが、本当に払う大名いたんですか?」
『うむ、戦乱の時代は他国を攻める大義名分を得るために、官位を得ていた大名もいたそうだ。例えば、お主が、そうだのう、阿波を攻めるとする。その時に公家から阿波守の位を貰っておけば、攻める大義名分ができるというわけだ。もっとも、我ら北条は関東公方を庇護していて関東管領職に任じられていたから、関東を攻めるのに一々大義名分など必要としなかったがな』
「これからは氏房さんか氏勝さんが、関東管領になるのでしょうか?」
『それは分からんな。そもそも管領とは室町幕府の役職だ。上様の新しい幕府がどんな体制になるか次第だな』
「ところで、何故、伊豆諸島も俺の直轄地になったのですか?」
『それは、この前、椿油の話をしたから丁度良いと思ってな。何しろ、小田原での評定衆はお主以外は全員幕府にいくのだ。氏勝様では伊豆・相模で精一杯であろう』
「それはそうですが、俺の領地は元々飛び地が多かったんです。この上、伊豆諸島も加わったら、手が回りませんよ」
『それは、なんでも自分でやろうとするからじゃ。其方には若くて優秀な家臣が大勢付いておる。適材適所に任命して働いてもらえばよい』
「そうだ、俺の技開家老の立場はどうなるんでしょう?色々やりたいことがあるので、あれを外されるととても困るのですが」
『上様もそこは分かっておられる。其方が外されることはないであろう。元々の領地が其方の直轄地に格上げされたのが何よりの証拠よ。ただ、名称は少し変わるかも知れんな。何しろ、今後の其方は日ノ本全体の技術開発の長となるのだからな』
『何を開発すのも自由だが、幕府内に留めておくべき情報、各大名家に広めても良い技術情報、これからは機密保持もより重要になってくる。その辺りは元風魔だから得意分野だろうが、抜かりなく頼むぞ』
その後、官位について少し詳しく教えてもらい板部岡さんと別れた。
”なんとかたいふ”とか”さめりょう”とか武将同士で誰を呼んでるのかさっぱり分からない呼び方が以前からあったのだが、あれは相手の官位名を呼んでいたのだ。親から授かった名前より、あのお白い爺から大金と引き換えに貰ったくだらない名前で呼ばれたがるとは、全くもって理解できない文化である。




