1591年1月21日 上洛
誤字報告有難うございます。
美女の側仕えゲットだぜ。などと喜ぶ間もなく親方様の上洛準備に狩りだされた。
いつになったら、下総上総の内政始められるのやら。まあ内政家老・垪和にいろいろ任せてあるから大丈夫だろう。とにかく俺は下総上総を牧畜業国にしたいのだ。
吹さんは喜んで飛んできたが、領内で美味しい物がないか探してくると言って直ぐに出ていってしまった。この時期、爬虫類は冬眠中だから変な物を見つけてくることはないだろう。
さて、上洛準備といえばやはり献上品である。氏規さんから孔雀石は加工してあれば公家への献上品として使えると連絡が来たので、勾玉のような形にした物を10個程用意した。また、常陸の真壁領から柘榴石が手に入ったので、同様に加工し5個用意した。柘榴石は現代ではガーネットという赤い宝石だが、真壁産のこの石はかなり黒っぽくて光に照らして淡く赤くみえる程度の代物だ。
他には北常陸で取れた瑪瑙も用意した。オレンジ色の結構きれいなやつ。これは細工せずに台を用意し観賞用とした。
また、板部岡さんと話した伊豆諸島の椿油だが、収穫が少なく献上品には無理とのことだった。ただ、今後は島民に椿の栽培と油の採取を奨励していくことにした。
そして、今回、最大の目玉はやはり2頭の象である。象の為だけに密貿易船一つ置いて行って貰った位である。下田湊に陸揚げした時から、大騒ぎとなった。当然、ここ小田原でも同様だ。
以上、俺が用意したのは、孔雀石、柘榴石、瑪瑙、色ビードロ、そして象。
他の人たちは太刀、馬、鷹、綿、驚いたのは椎茸があったことだ。
あんな現代ならスーパーでいつでも買える物が献上品なの?と思ったが、この時代では貴重品らしい。椎茸ら茸は菌類だ。菌を繁殖させれば容易に栽培可能な気もするのだが・・現に風魔の里では茸を栽培していた、もっともあれは毒抽出用だったが・・
と、ここまで考えて思考を打ち切った。折角、高値が付いているんなら人工栽培して値を下げる必要はない。何しろ、現在、日ノ本で最も山野を所有しているのは我が北条なのだ。全国の金持ちに高値で売り付け、どんどん財を巻き上げた方が得策だろう。
さて、今回一番驚いたのは上洛に俺というか伊勢家も同行することになったことだ。何でも公家衆から呼び出しだそうだ。俺も雄二も表舞台で着るような衣装はないし仕立てる時間もないので、評定衆の皆さんから何着か借りて済ませることにした。
下田から大垣までは、今や御用商人ならぬ御用運送と化した九鬼水軍の出番である。流石に彼らも象の大きさには驚いたようだが、伊勢湾までは密貿易船で、揖斐川に入ってからは安宅船を改修して一隻一頭で運ぶことになった。
小田原を出発する時も象は大人気だった。今回は帝に献上するが、こんなに人気ならまた連れてきてもらおうか。何しろこの時代の庶民は娯楽が少ないからね。
下田から大垣まで船で5日
大垣から長浜まで2日だが象がいるのでもっとかかるかも
長浜から京へは1日
だそうだ。実は俺にとって京の都は特別なところだ。
何しろ大学での4年間を過ごした場所なのだ。いかに実験室籠りきり生活だったとはいえ、それでも、街歩き位はしたことがある。
そんな場所がこの時代どんな街になっているのか見たいような見たくないような不思議な気分である。
幸い道中は何事もなかったが、伊勢湾に向かう途中で密貿易船に載せていた象がいたしてしまった。何をって?子作りを!
いやぁ揺れた揺れた。冬の海は波が荒いと聞くが、そんな物かわいらしい位の揺れだった。地震かと思ったからね。
密貿易船は一応俺が船長ってことになってるから乗り込んでいたのだ。船の事は九鬼水軍の皆さんに丸投げ。象の世話は、南蛮船が置いていった世話役の人にお任せ。彼らはチャンパ人の男一人、クメール人だという女2人だ。
クメール人は2人とも、今すぐ〇〇坂48に加入できそうなレベルの可愛い子である。こんな女の子が象の世話をしているというのだから世界は広い。
そして今、聚楽第である。
今回上洛したのは、親方様(北条氏直)、外交方・北条氏規、板部岡江雪斎、そして俺・伊勢直光、雄二こと伊勢直雷。兵はおよそ500。警備の風魔・三つ者5名といった顔ぶれである。新たに就任した俺の側仕えは同行していない。
聚楽第は警備に当たっていた毛利が放り出して帰ったと聞いていたから、さぞや荒れ果てているかと思ったが、意外にもなかなか綺麗だった。
明日はいよいよ参内、親方様等は帝と、俺達伊勢家は公家と謁見だ。




