1591年1月1日 忍びサミット
時は戦国、且つてのような群雄割拠の時代ではなくなったとはいえ、未だ戦や死が身近にある時代である。そんな世の中にあっても、元旦は元旦、大名、領民、皆それぞれ新年の祝いの日を過ごしていた。
が、そんなお目出度い元旦とはおよそ無縁の剣呑な雰囲気の館が一か所存在していた。
場所は、越前・敦賀湊。大店が立ち並ぶメインストリートから二つほど裏に入った小さな商館である。近所の商店とも全く付き合いもなく、何を商っているかもよくわからない、この店の屋号は百石屋という。
普段は空き家かのように人気のないこの商家に今、10名を超える人間が集まっていた。
実はこの百石屋、各国の忍びが共同出資して建てた、いわば忍び同士の交流館なのである。ここでのルールは、
・飲食物は全て持参
・飲食物を他の参加者に渡すことは厳禁(暗殺防止のため)
・情報の授受は認めるが、それに伴う金品他あらゆる財のやりとりは禁止
(偽情報掴まされて後で揉めないため。偽情報を見抜けない方が悪いという事)
・他の参加者に名前を聞くことは禁止
(着てる物や所作によって、どこの忍びか理解出来ないものは参加資格なしという事)
尚、武器の所持は禁止されていない。禁止しても上位の忍びあれば隠し持つ手段に事欠かないので初めからルールから除外されている。
しかし、今までこの場で刀傷沙汰が起きたことは一度もない。
今、ここに現存する全ての忍びの流派の代表が集まっている。
風魔からは、正式に風魔小太郎を受け継いだ鳶沢甚内ではなく、鬼煙作戦で活躍した鳶沢重伍が参加している。本物の風魔小太郎は公の席には全く姿を現さない。どうしても出席しなければならない場合は、この様に影武者が出るのだ。
こうしてみると、孝太郎が最初に転移した際、本物の風魔小太郎が評定で出ていたのが如何に異常な状況だったかが、改めてよくわかる。
最も影武者の出席は他の流派もやっているかも知れないが、例え影武者でもこの場にいるということは流派を代表して発言出来るということであり、かなり上位の者達であることは間違いない。
重伍が問う。
『服部殿、息災ですかな?』
苦虫を嚙み潰したような顔で半蔵が答えた。
『それは嫌味か?風魔め!』
重伍は笑みを浮かべ手を振りながら
『いやいや、泳ぎの達者な服部殿のこと、万一にも溺れるようなことはないと思っていましたが、あの滝壺に行った時は心配しましたぞ。あそこには南蛮から取り寄せた”ぴらーにゃ”という怪魚を放っておりましてな。猪なぞあそこに落ちればあっという間に骨だけにされてしまうのです。本当にご無事で良かった』
『ふん!言ってろ!』
半蔵は焼け気味に一人ごちた。実は半蔵はあの滝壺でアキレス腱を噛まれ持ち前の身軽さを発揮できなくなり、忍びの現場仕事は引退し半蔵名跡を後身に譲っていたのである。
険悪な雰囲気を察してか別の者が発言する。
『それにしても、此度は羽黒の皆様は大活躍でしたな』
言ったのは元上杉家の忍び軒猿である。彼らの代表者は常に宇佐美定満と名乗る。上杉謙信には同名の軍師がいたとされるが、その人物が軒猿の頭領だったのか、軒猿とは全く関係ない人物だったのかは誰も知らない。そんな彼らも上杉家滅亡により一時は流れの忍び稼業になったが、その後越後の新たな主になった氏照の豪放磊落な性格に絆され今では事実上、越後北条に仕えている存在である。
これに対して、羽黒党の代表ははにかむ様に笑みを浮かべただけだ。
『ふん、山伏なぞ山に籠って修行する者ではなかったのか?いつの間にか俗世に染まり生臭くなったものよ』
憤懣やるかたないと言った顔で羽黒党を罵ったのは伊達家に仕える黒脛巾組の代表である。
これには流石に羽黒党も言い返す。
『我らは己の利の為に動いたのではない。ただ奥羽の安寧を願うただけよ』
羽黒党とは出羽国・羽黒山を信仰する山伏の集団である。年末に奥羽の大名達が大挙して小田原に押しかけ臣従を申し出たのは、彼ら羽黒の山伏達の働きかけがあったためだ。歩き巫女に奥羽の大名の状況を漏らしたのも彼らである。
『奥羽の安寧というなら、伊達家が奥州探題であっても安定しただろう。風魔に幾らで雇われたのだ信心深い山伏様よ?』
どうやら、黒脛巾組は相当頭に来ているらしい。
羽黒党がまた言い返しそうになったところで、別の声が割って入った。
『その辺にしておけ。今日集まったのは喧嘩する為ではない。今後の日ノ本をどう導くか話し合う為だ』
この言葉に全員が頷く。羽黒党も黒脛巾組も鞘を納めたようだ。というのも、今の声の主は八瀬の代表だからだ。
八瀬とは京の都を中心とする忍び。もっとはっきりと言えば帝に仕える忍びである。忍びには流派同士の上下関係などないが、仕えている相手が相手だけに、こういう場では、八瀬が場を取り持つ事が多い。
『伊勢もようやく上洛するようだしな。これからの日ノ本は伊勢中心の世となろう。出が出だった猿とは違うのだ』
伊勢とは孝太郎ではなく北条家の事である。八瀬は暗に武家の出である北条家には帝より将軍の地位が与えられ幕府を開くよう命じられると仄めかしているのだ。
これには全員黙してしまった。皆仕えている各々の家の将来を案じていたり、主をなくしたあるいは元々流れだった者達は北条の世でどう生き抜くかを考えざるをえなくなった。
『それにしても、北条殿は上洛まで随分時間がかかったな。その間に畿内では大盗賊団が暗躍していたが』
皮肉を込めてこう言ったのは、丹波を地盤とする流れの忍び村雲党である。彼らは波田家や石川五右衛門が北条に与して盗みを繰り返していたことを知っていた。もちろん彼らも、この稼ぎ時に盗人稼業を行ったし、時には波田家や五右衛門に手を貸すことすらあった。
これを聞いた重伍が
『当家が畿内を正式に有した際は村雲の諸君も当方の縁者にならないか?そう、伊賀殿、甲賀殿、雑賀殿も如何かな?当家は忍びには仕事しやすい環境だ。現に三つ者や歩き巫女も今や我らの一員と言って良い状況だ。決して後悔はさせない。土地が増えれば忍びの仕事も増える。現時点で当家の忍びは人が足りないのが実情だ』
主家を滅ぼされた伊賀と軒猿は複雑な表情だ。それに対して甲賀、村雲、雑賀はまんざらでもない様子。
『鉢屋は阿らなくて良いのか?このまま我らの下働きのままで満足か?』
突然、声をあげたのは毛利の忍び・世鬼だ。これに鉢屋が激高する。
『我らはぬし達の下働きなどしたことはない!!小田原から赤子が泣き叫ぶように逃げて来たくせに、強がりは止せ!!そもそも岩見銀山を守っているのはどっちだ!!』
鉢屋とは元々は山陰の雄・尼子氏の忍びで尼子滅亡後は山陰を地盤に流れの忍び稼業をしていた集団である。流れであるから報酬次第で当然毛利からの依頼も受ける。だが、決して世鬼に仕えているわけではないのだ。そして、毛利の貴重な財源の一つ、岩見銀山の警備も鉢屋の担当である。
『鉢屋殿、石見銀山手土産に当家に来てくださるなら主家北条、諸手を挙げて大歓迎いたしますぞ』
重伍の言葉に今度は世鬼が色を成す。
『風魔殿、言って良い事と悪い事がありますぞ!!!!』
しかし、重伍はどこ吹く風だ。
『小早川殿、安国寺殿は我らに決して逆らうことが無い様、ご当主様にしつこいくらいに言い含めているとの噂。毛利殿の安泰の為なら石見銀山くらい差し出すのではありませんかな?』
実際、小田原でアルキメデスの熱光線を喰らった小早川隆景、安国寺恵瓊らは毛利輝元に北条の機嫌をとるよう執拗に進言しているという。
これには世鬼も黙るしかない。一方、鉢屋はざまーみろ!と言った表情だ。
『さて、皆々衆には色々思うところがあるであろう。が、風魔が言った様に伊勢に忍びの手数が足らぬというなら、先ずは伊勢に手を貸してはどうか?それが今仕えている各家の安泰にも繋がろう』
八瀬が纏めに入った。
『風魔殿の言われるように、確かに北条の御屋形様は我ら新参の忍びにも良くしてくださる。今は忍びの仕事にやりがいすら感じておる。真田の殿様の時代でもここまでの気分になったことはなかったわ』
既に、北条配下となっている元真田の忍び・割田重勝の言である。
『誠か??』
甲賀衆の一人、多羅尾光太だ。関白秀吉に仕えていたが、秀吉が箱根に呼び寄せた女衆に疎まれ、甲賀に戻っていて難を逃れた一人である。彼は豊臣家内では一般武将としての活躍が殆どだったが、それでも出自が甲賀というだけで箱根から放逐されたのだ。忍びとはかくも不遇な立場なのである。
『割田殿の仰る通りです』
同じ甲賀衆の三雲成持が答える。彼は既に主である蒲生氏郷の元北条に仕えているのだ。
『ここは確かに、八瀬様の言われるとおりにした方が良いやも知れぬな。北条殿は確かに忍びへの差別はない方々よ』
これは、服部半蔵の弁だ。北条と家康は同盟を結んでいた期間もあり、北条家の気風については一定の理解があった。
『あたいも異論はねえぜ!』今回の紅一点、雑賀小雀だ。
雑賀衆と言えば鉄砲隊が有名で忍び働きはあまりしないのだが、甲賀同様地侍集団ということで、この会合に加わっているのである。
最も、関白秀吉に追い詰められ壊滅同然だったのだが、関白の死を知って紀伊にかつての仲間が戻り始めているという状況だ。
最後に今まで一言も喋っていなかった、島津家の忍び・山くぐりが発言する。彼らも羽黒同様山伏である。
『我らも八瀬様の意見に同意する。しかし、風魔殿に確認したい。北条殿は琉球をどうするつもりだ?琉球は島津の殿の管轄下だが、北条殿は琉球王の縁者を庇護していると聞く。まさか琉球を島津から取り上げるつもりか?』
重伍もこの話は初耳だった。
『琉球王の縁者など北条領内にはいない筈ですが?』
山くぐりの代表は直も問う
『屋良先江門という名の者が小田原にいる筈だが。たしかサキ、いや焼酎の醸造をやっていると聞いたが。その者、琉球の先々王の庶子だ。』




