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1590年12月5日 上洛準備と婚礼

氏規からの悲鳴のような催促に促され、ようやく親方様も上洛の準備を始める事になった。無論、親方様とて朝廷を蔑ろにしていたわけではない。何度か文と品を献上している。ただ、なにしろ北条領は小田原戦前の二倍以上になったのだ。全北条のトップとして、ご隠居様共々大忙しの半年を過ごしてきていたのである。


まずは上洛時期と献上品だ。まず時期は正月明けの一月下旬で交渉し了解を得た。随伴兵5百人とした。今回は九鬼水軍の全面支援を得られるので伊勢湾から揖斐川に入れば大垣城近くまで船で行ける。その後長浜まで移動し今度は琵琶湖を降れば京はすぐそこだ。献上品については、かつて北条では関白に太刀1振、馬10頭、鷹10羽、綿2折、朝廷にも太刀と馬を献上した実績がある。


今回も同様にしようという意見もあったが、板部岡さんが、


『以前上洛した時は、当家は関八州の長でした。しかし、今は東海、北陸等も加え倍以上大きさとなっております。身の丈にあった品を揃えなければ帝は納得しないでしょう』


と言った為、献上品も前回の倍となった。


確かに、今の北条は旧徳川家、旧織田家、旧上杉家、旧前田家の所領を領有し広さでも石高でも倍以上になっているのだ。


しかし綿2折か、と俺は思った。現代の感覚からは信じられないがさして大きくもない箱二つにそれぞれ綿が入っているのだ。この時代、綿って帝に献上するほど価値がある物だったのか。そういえば俺の寝床は未だに藁敷だったな。


俺は以前、密貿易船が頻りにビードロを薦めて来たのを思い出し


「献上品にビードロは如何でしょう?」と問うてみた。


あれから細工師達もガラス技術が上達し今では100均で売っているオハジキくらいのサイズでなら透明な玉を作れるようになっていた。もっとも色は弁柄のみなので赤か茶しか付けられないが。せめてコバルトでも手に入れば青も付けられるのだが・・


が、これを聞いた評定衆は意外な反応を見せた。


『どれくらい、用意できる?』


『大きさと色は?』


『南蛮船から買ったのなら、直ぐに報告してくれなくては困る』


最後のは勘定方の家老・山角定勝である。この人は技開家老の俺の事を金食い虫と思っているのか、結構俺に当たりが強い。でも、あんまりやりすぎると夕に殺されちゃうぞ。


「いや、下総にて細工師に製造させております。大きさは永楽通宝(大陸銭のこと)よりやや大きめで、色は赤か茶、これは仕上がり次第なので完全には指定できません。その綿が入った箱であれば3折位は用意できます。」


「他には孔雀石とか如何でしょうか。北常陸に遠征した際に掘り出した物です。翡翠に似た鮮やかな緑の石です」


『な!何!翡翠だと!!』


違うよ。翡翠に似た色の石だよ。もうオジサン達は話をよく聞かないから。


「翡翠ではなく。翡翠に似た色の石です。鉱石のままでも美しいですが、研磨すればより鮮やかになります」


『伊勢殿、まだ他に隠している物はないか?』


なんだか俺が悪い事でもしているかのような物言いだよ山角さん。


俺が悪い事してるのは、波田家や五右衛門使って畿内や四国でのことであって、北条領内では清廉潔白だよ。


「隠してる物など、元より何もありません。いずれ品質が向上したらお見せしようと思っていた品ばかりです。孔雀石の価値は某にはわかりませんが珍品であるのは間違いないのではないでしょうか?ビードロと合わせて次の評定にはお持ちします」


『『おぉ、この目で拝めるのか!』』


拝むって、この人たち完全に翡翠と誤解してるな。


因みに評定は元より月二回だが、領地が広くなったので全領主が集まる大評定は半年に一回とし、普段の評定は領主毎に行っている。つまりここに居るのは親方様直轄領の評定衆だけである。


さてそんな評定の場を終え、久々に小田原城下の風魔館に帰った俺は雄二こと伊勢直雷から相談を受けた。


『実は所帯を持ちたいと思ってるんだが・・』


いつも頼もしい弟がなんだが歯切れが悪いと思っていたが何だ恋バナか。


俺みたいに落ち武者にならないよう、反面教師としていくらでも相談に乗ってあげようじゃないか!


「相手や家族とはもう話はしてるのか?」


『家族とは文で挨拶を交わした。無論、本人とは合意済みだよ』


「雄二からは女っ気全く感じなかったから驚いたよ。相手はこの館の女か?」


『いや、それが武蔵は忍城主・成田氏長殿の娘甲斐姫殿なんだ』


はい?何だって?いつの間に?接点あったっけ?


「甲斐姫殿とはどうやって知り合った?接点などなかったではないか?」


『太田城で分隊を作る際に俺と甲斐姫殿を田渡城の担当にしたろ?最初の出会いはそこからだ』


あぁ、あの時か。しっかし戦中に何やってんだよこいつ等


「つまり、二人を引き合わせたのは俺か?」


『そうだな。さらに遡れば戦を仕掛けて来た岩城と太田という事になるな。実は甲斐姫殿の義母は氏長殿の側室なんだが、そのひと太田資正殿の娘だそうだ』


太田資正、あの時捕らえたオッサンか。つまり甲斐姫は義母の父親と戦っていたのか。あの時手討ちにしなくて良かったわ。実際、松田康郷は『こんな爺連れて帰っても使い物になりません。手間だから手討ちにしちまいましょう』とか言ってたもんな。


「で家族の方は誰と文のやり取りをしているのだ?まさかあの太田殿ではあるまい?」


『そりゃそうだ。父上の成田氏長殿、義母殿、祖母殿と文を交わした。祖母殿は妙印尼と言って桐生城で前田軍相手に奮戦した女傑だそうだ。もっとも最終的には降伏して八王子城攻めにも前田側として加わっていたそうだがな。流石に城主の権限はないが今も桐生城にいるよ』


はぁ女傑の家系なのかな?尻に敷かれそうだな雄二。


「それで、家族の方の反応はどうなんだ?」


『皆、お天道様、雷様と親戚になれるならと歓迎してるよ。氏長殿は小田原に詰めてたし、祖母殿は八王子城で雷矢を喰らってるからな』


関東衆の氏長殿ならアルキメデスの熱光線も間近で見ていただろうしな。


「なら、なにも問題ないじゃないか。相手の気が変わらないうちに早く結婚してしまば良いじゃないか」


『兄者はこの時代の結婚式を知らないだろうが、まあ俺も良く知らないのだが、武将の結婚の場合は親戚を呼んだり色々役割があって面倒くさいんだ。そして、ここからが問題だが俺には親戚が誰もいない。元は忍びだからな』


「あれ俺とお前は実の兄弟じゃないのか?」


『違う、というか分からない。風魔の里で育った者は普通実の親なんて知らないし気にしないものだ。しかし、だからと言って里の者達を親戚として人前に出すわけにはいかないだろう』


「それはそうだな。相手は武蔵の名門成田氏、こっちは元忍び。確かに釣り合わんな」


『笑い事じゃないぞ!ちっとも!』


まあまあ、宥めようと思ったが、確かにこれは当主である俺の裁量範囲内の問題だよな。


以前であれば氏照さんに相談したが彼は今は越後にいるのだ。簡単に会える状況ではない。


「まあ居もしない親戚を無理に作り出しても仕方ないだろう。それに、この時代の婚姻というのは家と家の婚姻だろ?ならばだ、筆頭家老・伊勢直雷の結婚の儀として当家全体で持て成そう。委細は垪和に任せよう」


簡単に言えば、金は出すからあとは丸投げ!ってことだ。


『家と家の婚姻か?確かにそうだな。忍びとは無縁の話だから気付かなかったわ。すまんが、それで頼む兄者』


雄二に”頼む”と言われたのは初めてかもしれない。いつもは教えてもらう一方だからな。

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