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1590年10月20日 北条領内勢力図

北条による周辺国接収は無事終了した。


その結果、領地分担は以下の通りとなり、担当地域の仕置きは各領主の裁量に任せる事になった。


親方様 伊豆・相模・下総・上総・北常陸・佐渡・南伊勢

北条氏照 越後・上野・東越中

北条氏邦 能登・加賀・越前・西越中

北条氏房 武蔵、西下野・南常陸

北条氏忠 甲斐・信濃

北条氏光 駿河・遠江・三河

北条氏規 尾張・美濃・北伊勢・飛騨


関白死亡とはいえ、畿内と接する美濃・北伊勢には外交通の氏規を配した。

(飛騨の国人は氏規が美濃入りした直後に臣従してきたので領地を安堵された)


関東は北条氏房。南常陸は結局氏房に統治してもらうことにした。千葉氏と縁のある鹿島氏一族は氏房預かりとなった。あとは氏房さんがなんとかしてくれるだろう。


畿内は病床で臥せっている羽柴秀長がいるくらいなので、接収するのは簡単そうだが、北条としても急に領地が二倍以上になったので家臣が足りず、これ以上領地を広げられないという事情があった。


一方、朝廷からは早く上洛して畿内を領地化しろという要請、文、使者が頻りにきているという。


氏規が一度参内したが、帝との謁見は叶わず公家衆に、早く親方様を上洛させろ!と言われたという。


余談だが、7月くらいから小田原には落ち武者狩りをした、野武士、領民達が立派そうな兜、甲冑やらを持ってやってきて恩賞に与ろうとすることが結構あった。


豊臣から降った宇喜多秀家に確認させたが、持ち主が判明したケースは稀だった。



挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 「ふむ、ならばその方らの今の領地は我らが代官を斡旋してやろう。そうすれば心置きなく畿内に手を割けようぞ」 と子分の公家を押し込んできそうな予感が。
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