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1590年8月21日 伊勢家家臣団

我が新制伊勢家だが、なぜ新制かというと伊勢貞運という家老が小田原戦まで存在していたからだ。貞運さだかずは小田原籠城衆の中にいたというから、自分が最初に転移した時の評定の場にもいたかもしれない。ただ籠城中の散発的な戦で戦死してしまったらしい。


なので、名目上はお家再興ということになるのだ。


そして、頼もしい我らが家臣は、


伊勢直雷 言わずと知れた俺の舎弟。勿論家老扱い。風魔との繋ぎ役でもある。

垪和康忠はが やすただ 小田原城評定衆だった重臣。内政・外交のスペシャリスト。こんな凄い人を付けてくれるとは感謝感激。勿論筆頭家老だよ。

松田康郷 上杉謙信に生涯最大の敗戦を味合わせたという噂の勇将。通称「松田の赤鬼」 これまた物凄い人を付けてくれた。武門の筆頭家老だよ。

中山家範 氏照さんの重臣。氏照さんとの連絡役も兼ねているが、八条流馬術の達人でもある。

高城胤則 下総国小金城主 元々下総の武将だったのでそのまま我が家へ横滑り

梶原景宗 元伊豆水軍衆 

千葉重胤 下総の名族千葉氏の当主。幼少時より小田原で育ったが我が家の家老としてお里帰り。地元の名族の血を引く人間だから、言ってみれば象徴的存在だね。

相馬治胤 下総国守谷城主

高井胤永 下総国高井城主

佐久間安政・勝之兄弟 父は織田家重臣佐久間盛次、母は織田家重臣柴田勝家の妹という名門兄弟。小金城主・高城胤則と親しいとのことで我が家へ


ここからは、元豊臣方

蒲生氏郷

前田利長

真田信繫

計11名の武将が家臣となった。


その他、小田原で一緒に仕事した職人衆にも声をかけ、鋳物師、鍛冶師、細工師、木地師、木工師、塗師、皆棟梁が太鼓判を押した若手たちが来てくれることになった。中でも鋳物師は治郎右衛門の元でガラスの蒸留器製造に関わった若手が5人も来てくれた。俺と仕事するのが楽しそうだからと志願してくれたらしい。あんなに酷使したのに有難いことだ。


もう一人変わり種として伊東一刀斎という剣豪が仕官してきた。北条本家の古藤田勘解由左衛門ことうだかげゆざえもんという剣の達人の師匠にあたる人で、古藤田ことうださん自ら推薦人としてやってきて伊東師範と顔合わせし採用となった。何でも、俺達が小田原大逆転の立役者だと聞いて興味を持ったらしい。雄二によると剣の達人とか正統派の武人は忍びを侮蔑する人が多いが伊東師範にはそのような差別感情を感じなかったので採用したとのこと。


最後は泡盛蔵元の棟梁だが、後二年位で長男が一人前になるので、二年待って欲しいと言う。その後、小田原は長男に任せ、二年後に先代(まだ生きてたらしい)を連れて行くと言ってくれた。因みに彼ら一族は屋良氏という一族だそうだ。


当代が先左衛門。先代は先江門という名らしい。なんかお茶の名みたいだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] あらら。大谷と長束は取らなかったのか、貰えなかったのか?
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