1590年6月25日・忍びが盗むもの
忍びが盗むものは情報だけとは限らない。場合によっては物を盗むこともある。
端的に言えば盗人である。
特に、今回のように主力の兵が大挙して遠征していった畿内などは、盗人にとっては掻き入れ時である。
堺の商人・波田家の主である向崎甚内は風魔の畿内留守居を兼務、いや本業は風魔の忍びである。
小田原からの知らせによって、天下人の身の上を知った向崎は相方と共に畿内周辺で大活躍をしていた。既に摂津・和泉・但馬・因幡・大和・淡路・丹後・近江・播磨・備前と盗み放題だった。
こうして、集めた財は船で紀伊水道から外洋に出て下田湊に向かうのだ。
警護は紀伊水道から外洋は熊野水軍、志摩以降は九鬼水軍に依頼している。
九鬼水軍は豊臣に従い小田原攻めに参加していたから協力してくれるか不安があったが、これまで、問題なく警護をしてもらっている。しかも、代金は信じられない程格安だ。小田原で豊臣方と何かあったのだろうか?
今夜、向崎は畿内最後にして最大の獲物を得るため京に赴いていた。もちろん相方も一緒である。
「聚楽第の金倉は調べが付いたかい?」
『問題ない。地下と離れの二か所だ。警護兵も安芸から来た者が主体で良くわかってないようだ。こいつは楽勝だぜ』
「そいつは凄い。荷車が足りるかな」
『違いねえ』
二人は手下と荷車を引き連れて、聚楽第に入っていった。既に厠汲み取り屋として、何回も聚楽第には入っている。この時代には荷車は珍しいが、最早、門衛とは顔なじみであり何の問題もなく入城できた。
「じゃあ、俺は離れに行く。五右衛門は地下を頼むぜ」
『任せろ!』
相方・石川五右衛門は頷いた。
およそ三時間後、守備兵である毛利の兵も知らないであろう、大量の金銀財宝の樽と厠から汲み取った樽を荷車に乗せ、一行は聚楽第をでた。
『今日は随分、時間が掛かったな』
珍しく、門衛が鋭い問いかけをしてくる。
「へい、そろそろ殿下もお帰りかと思って、念入りに磨いておきましたんで」
『そうか、ご苦労だったな』
その後、大量の荷を乗せた荷車を舟に乗せ換え宇治川・淀川から堺へ運び、堺で安宅船に乗せ換える予定だが、この日は宇治川で荷乗せ中に珍客が現れた。
『随分と稼いでいるようだな』
不味い八瀬だ。全部で5人いる。京は彼らの本拠だ。毛利が警備しているのに世鬼が一人もいなかったのは彼らに遠慮したのだろう。しかし、聚楽第で仕事するまで泳がされていたのだろうか?
「へい、あっしら汚れ者は夜が仕事ですから」
『見え透いた事いうな!風魔め』
向崎も五右衛門も荒事は出来なくはないが、専門ではない。出来れば穏便に済ませたいところである。
『して、今宵は何用でこんなところまで?八瀬の旦那』
五右衛門が相手の正体を告げる。
『ふん、最初から素直に話しておれば良いんだ。俺らが欲しいのは財宝じゃねぇ。情報だ。小田原で猿が死んだってのは本当か?』
ここは、正直に言った方が良いだろう。
「へい。関白殿下は身罷ったそうです。そうでもなきゃ、聚楽第で仕事なんてしませんや」
『それは、いつ頃だ?』
「今月の上旬としか、あっしも知りません」
『ではもう20日近く経っているのか?なのに未だに伊勢が主上に挨拶にも来ないがどういうわけだ?木っ端役人が主上を無視するほど偉くなったつもりか?』
成程、お怒りの理由はそれか。
「その辺は、あっしにもよくわかりませんが、まだ殿下が派遣した大軍がいるらしいので、外交は当分無理だと思いますよ」
「天子様から関白軍解散のお触れでも出して頂ければ、御屋形様も動きやすくなるかと思いますが」
『主上が頼まれてもいないのに、お触れなど出すわけがなかろう。だが、事情は分かった。猿を倒したのなら、日ノ本の為、一刻も早く残党軍を蹴散らして上洛するよう伊勢に伝えよ』
八瀬の5人はそう言うと、どこへともなく消えていった。
『ふええ、財産目当てじゃなくてよかったぜ』
五右衛門が安堵の声をあげる。
「全くだ。ところで五右衛門。お前も小田原に来ないか。お頭が会いたがってたぞ」
『ひええ、風魔のお頭に会うなんてとんでもない。俺なんか直ぐに機嫌を損ねて食い殺されちまうぜ』
五右衛門は小太郎の身の丈2メートル、口に大牙が4本という伝説を信じてるらしい。
「そうか、お前なら、お頭の側近として良い仕事しそうだけどな。まあ気が替わったら、声かけてくれ。盗賊より稼げるのは間違いないぞ。盗賊じゃ今回のような大仕事、滅多にないからな」
この盗賊家業における五右衛門一家の取り分は3割である。折半でないのは、風魔が五右衛門のことを秘匿する確約をしている為だ。いわば2割は保証料というわけだ。
『まあ確かに昔の群雄割拠の時代に戻ったら、盗人の稼ぎも減っちまうからな。八瀬の味方をするわけじゃないが、北条の殿様には猿関白に代わって早く天下人になってもらわんと』
五右衛門の話は決して世辞ではない。群雄割拠に戻れば富が分散し、天下の大盗賊もコソ泥と大して変わらなくなってしまうのだ。
「そうだな。御屋形様には頑張ってもらわないと。その為にこの財が役にたつのだ。それはそうと、畿内はもう粗方終わった。次は四国に向かうぞ。先ずは阿波だ」
二人は西が動揺しだす前に出来るだけ稼ごうと、悪い笑みを浮かべるのだった。




