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落ち武者・歴史は知らない理系リーマン、化学チートで戦国を駆ける   作者: ディエゴ
第一章 包囲されたはじめての街
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1590年6月19日・関東の情勢

御屋形様と北条氏房の軍勢は山角定勝の後詰め隊と共に無事小田原に帰還した。


また、北条氏照・松田憲秀の隊も北条氏規を救出し帰参していた。


この頃、ようやく相模以遠の支城の状況が小田原に集まり始めた。


それによると、下総・上総の城は何れもほぼ無人。


武蔵は、江戸城、川越城、岩附城、松山城が陥落し敵守備兵は少数。


衝撃を与えたのは、北条随一の武闘派・北条氏邦の守る鉢形城だ。


前田利家・上杉景勝ら3万の大軍を相手に一月ほど抵抗したが、今月14日に開城。


氏邦が敗れたのももちろんだが、敵はまだ3万もの大軍を動かせるという事実に小田原は衝撃を受けた。


また、氏邦は利家に降伏し剃髪、近習と共に能登に向かったという。


ご隠居様は驚きつつも「犬の独断か」と呟いた。


というのも、4月に北条の重臣・大道寺政繁が前田に降伏した際は、わざわざ、大道寺を箱根まで連れてきて、秀吉に降伏の許可を取っていたのを知っていたからだ。



もし、今回も降伏許可取に箱根まで来ていれば、氏邦を取り返し、尚且つ前田利家を捕らえる事も可能だった筈なので大いに残念がっていた。


これで、武蔵で落ちてないのは忍城、八王子城のみとなった。


これを受けて、八王子城主・北条氏照は、岩附城主・北条氏房と共に1万5千の兵を集め、八王子城に向かった。鉢形城が落ちたとなれば次は八王子城が狙われるのは自明だったからである。


1万5千は敵の半数だが、これ以上の大軍を編成すると行軍が遅くなり、前田・上杉に八王子に先着される恐れがあったのだ。


孝太郎は氏照にバリスタ5器と新型炮烙玉100個を渡し、必勝を願った。


玉縄城には北条氏規が2千の兵を率いて向かった。外交働きが主体だった氏規だが韮山城を守り通した実績から戦での実力も評価が急上昇していた。


下田城主に復帰していた清水康英には安房の里見氏への警戒を強めるよう指示だされた。里見は元々北条と同盟していたが、豊臣による小田原攻めが始まると同盟を破棄し、一時三浦半島に侵入していたからである。


里見にほぼ空っぽの上総下総を席捲されては後々面倒なので、水軍で後方から牽制しようとした。


そして、この日夕刻、その清水康英から、北条氏光・伊達政宗一行の船団が下田に入港したとの報が入った。

「犬の独断か」と氏政が言っていますが、犬とは前田利家の幼名が犬千代だったことから付けた仇名(蔑称)です。

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