1600年6月 渤海建国
李成梁が軍を率いて来るのを一月待ったが、結局来なかった。世鬼の報告では遼東半島の主要部が死んだ筈の馬林の手に落ち、自分に従う兵が確保できないと密偵から知らされた李成梁は、途中で引き返し山海関に留まったままだと言う。
*開原 甲斐姫*
これが、最後の女神様役か。ちょっと寂しくもあるわね。女直人の天神・アブカハハ、『最後まで楽しみましょう』あたしはそう言って、これからも女神バナムハハを続ける歩き巫女と笑いあった。
明軍が当面来ない事は総兵官が山海関に留まっている事から判明している。山海関と言えば、歩き巫女が経営する娼館が複数あり、彼の地の情報は手に取るように分かるのだ。
あたし達は、夫や津軽為信殿と共に元明国の開原に来ている。夜半に倭寇の案内でヘリコプターで到着したのだ。ヘリの周辺は人里離れた森の中で世鬼が警備を続けており発見される恐れはまずないだろう。万一、地元民が森に迷い込んだら、可哀想だが風魔の狼使いの餌食になってもらうしかない。
この開原に来た目的は女直を統一したフルン各部の首長と明から離脱した馬林以下諸将の顔合わせの場を設ける為だ。既に先触れが出ており、全員、開原に到着している。開原を選んだ理由は女直の一部ハダから近いからである。万一にもないだろうが、フルンと馬林一派の顔合わせが上手くいかなかった場合でもフルン各派は直ぐにハダに逃げる事が可能なのだ。
やがて、先導の案内で各人が入場してくる。今回は人数が多いので大きめの会場を用意して貰ったが、流石は明国、この程度の建物はいくらはでもあるらしい。
女直側からはフルン各部の首長4人、馬林側からは馬林以下、遼陽、瀋陽、撫順、海州、清河を治める各将、そしてこの開原の将、計7名である。
上座にあたし天神・アブカハハ、以下、女神バナムハハ、従者役の夫、津軽殿。
向かって右には女直側4人、左には馬林側7人が席に着いた。日ノ本のような板の間に直に座るのではない、机を間に双方とも椅子に座っている。勿論一段高い上座のあたし達も椅子に座っている。
女直4人はあたしが天神・アブカハハがこの場にいる事に酷く驚いていた。ワルカの遥か北ウェジにいると思っていたのだろう。招集状は女神バナムハハ名で出していたから無理もない。進行を務める歩き巫女が女直語、次いで明語で開催を告げる。最初は女神バナムハハの口上だ。
『皆、我の誘いに応じ良く集まってくれた。此度は我ら女直と新たな我の愛すべき民、馬林達の記念すべき顔合わせだ。大いに友誼を結んで欲しい』
女神バナムハハは最初は女直語で、次いで通訳を介さず直接明語で語り掛けたので、馬林一派も大いに驚いていた。”所詮は蛮族が言う女神だ”と侮っていた者もいた筈だが、まずは機先を制した形だ。
続いてあたしが話す。あたしは日ノ本言葉しかできないので進行役の歩き巫女に通訳して貰う。
「者共、我が天神・アブカハハである。この地は且つて渤海という名の一つの国であった。長い時の間に渤海は滅び、この地に生きる人達は様々な国に分かれ、今では互いに言葉も通じぬようになっておる。我はこれを深く悲しんでいた。だが、今ここに、女直の民、遼東の民を導く者共が一堂に会した。我ら神にとって其方らは異人同士ではない。共に渤海と言う同じ先人を持つ同胞なのだ。」
渤海という国が且てあった事は皆知っているのか、どよめきが起きた。
”目の前にいる相手が異国人でなく同じ先祖を持つ同胞”と言われ驚くと同時に渤海の故事から女神の言葉を否定できないのも事実だ。
「我はここに、渤海国の設立を宣言する。女王として、この女神バナムハハが君臨する。其方達は女神バナムハハの元、統治の才ある者は領民を慰撫し、民の暮らしを豊かにする術を考えよ。武に才ある者は、存分に才を発し民を守るよう心掛けよ。そして、我が神の国・渤海を侵そうと明国の兵が現れた際は、”ここは明ではない。神に認められた国・渤海である。この地を侵す兵は神敵として罰する。と堂々と追い返せばよい。其方らが心を一つにすれば烏合の衆たる明の兵が何人やってこようが決して負ける事はない!」
先日ウェジに立ち寄った夕殿に”女神の演じ方”を聞いてみたのだ。すると、
『夫が言うには”ちゅうにびょう”的に大袈裟に振舞うが吉との事だったわ』
と言って、実際に演じて見せてくれた。最初は何だか猿楽のようで恥ずかしかったが、やってみるとなかなか快感だった。どうせ最後の女神役だから思いっきりやることにしたのだ。少し間を取り女神バナムハハが言葉を紡ぐ。
『偉大なる天神・アブカハハ様より女王を命じられた故、謹んでお受けする。今後は我バナムハハを其方ら渤海国の象徴とし、アブカハハ様の御言葉通り、其々の才を伸ばし、豊かで強い国を築いていって欲しい』
両側に居並ぶ13人を代表しホイファ首長バインダリと馬林が
『『女神のご意思に従い、新たなる我が祖国・渤海国を繫栄させるとお約束いたします』』
実はこの2人には予め渤海建国を伝えてあった。
馬林一派の中には、北京からの任命でこの地に赴いただけで、遼東半島の出身でない者もいるだろう。その様な者も従わざるを得なくなるよう馬林に率先して女神に従うよう発言させたのだ。
心の内までは分からないが、今ここで渤海国民にならないと意思表示する者はいなかった。取り敢えず成功だわ。
「我ら女神は君臨するだけで、統治には口をださん。人間のことは人間が一番詳しい故な。渤海国の体制など詳しい事は其方ら人間同士で話し合って決めるが良い」
あたしは、そう言って、この会談を締めた。




