1600年5月 明国・遼東半島
明の遼東半島では巡撫・李植、太監・高淮、総兵官・馬林の三者による権力争いが激化していた。元々、明国では女直は細分化して互いに相争わせる方針だったのだが、フルンが女直を統一し朝鮮半島まで呑み込む大勢力になっても、そんな事そっちのけで3者は争っていた。元来仲の悪かった3者だが、ここまでの状況になったのには世鬼と歩き巫女の暗躍も1枚噛んでいる。既に3者の側近の側仕えとして歩き巫女が忍び込んでいるのだ。現代でいうアメリカのCIAやNSAにあたる諜報組織の能力に於いて、日ノ本の忍びと明国など大陸の国々とでは大きな実力差があったのだ。大陸では遼陽などの交易都市では様々な民族が行き交うのが普通だ。それ故、密偵も忍び込み易いのである。そして、忍び込み易いが故に技術は未熟なのだ。
対して日ノ本では方言や人着の微妙な違いで直ぐに余所者だとバレてしまう。その為、攻略対象については徹底的に分析が行われる。最初に余所者の娼婦として歩き巫女が入り、土地の風習を理解し情報として送る。忍びはそれを元に方言も身に付け最初から余所者と分からないよう細心の準備をして任地に赴くのが普通だ。逆に忍びを警戒する側も言葉や人着では分からないので、些細な仕草や足の運びなど、本当に小さい情報から職業が本物か偽者か見破るのである。そんな日ノ本の忍びにとっては大陸は忍び天国のような仕事しやすい場所なのだ。少々明語が拙かったり広東など他地域の訛りが入っていても、
『お、どっから来たんだい?』
『朝鮮から最近流れてきた新入りです』
とでも答えれば、まず怪しまれることはない。
逆に明の密偵などは、足運びや市を歩く際の仕草で立ちどころに見分けられる。中にはモンゴル風の商人の格好してるのに用もないのに懐に手を入れて明らかに道具(武器のこと)持ってますと伝えて回ってるようなのもいる程だ。
その為、遼東半島で3者の争いを煽り、且つ力関係に変動が起きないようコントロールしているのが日ノ本の忍び・世鬼と歩き巫女である。
そんな彼らの長きに渡る活動も終盤に差し掛かっていた。
横領の証拠である裏帳簿を持っている馬林は李植と図って高淮を弾劾しようと首都・北京に向かっていた。だが、それより早く、高淮は2人の行動を察知し北京に先乗りして万歴帝に弁明をしていたのだ。もとより、高淮は万歴帝の寵愛を受けており、彼の言を信じた万歴帝は馬林と李植の訴えを却下し二人を罷免してしまう。文官の李植は単なる罷免だが、遼東半島の総兵官である馬林を罷免して野に放つ分けにはいかない。兵を挙げて謀反を熾される危険があるからだ。万歴帝にそう唆したのは高淮なのだが。
馬林には偽りの新地位と偽りの兵団を与えられ、護衛兵5名程の案内で北京郊外の山間の小さな駐屯地に向かった。山間では木こりだろうか?地元民が木を切ったり山菜採りのような野良仕事をしているのが見える。大国・明の首都・北京と言えど少し郊外に行けば自然豊かな山間の地はいくらでもあるのだ。罷免された武官が閑職に追いやられるのは珍しい事ではない。馬林は引率の兵と合わせても15人程の小さな新任地を溜息をつきながら受け容れた。
だが、馬林は知らなかった。ここが処刑場であることを。夕食を振舞われ寝室に案内されたその夜、馬林は異変を察知して目を覚まし剣をとった。賊は馬林が目を覚ますとは思わなかったのだろう、狼狽し寝室に入って来なかった。馬林は、
『誰かある!賊がおる!』
大声でそう叫び相手を追い、ついに庭に出た。だが、何度叫んでも15人いた筈の部下は誰も出てこない。それどころか、気が付けば自分は賊に囲まれていた。全部で10人いる。
武人といえど全盛期を過ぎている馬林には、この人数を相手にするのは厳しい。2人程切り捨てた所で馬林も手傷を負い、完全に取り囲まれてしまった。
だが、その時、闇夜にまみれて音もなく野獣が現れ賊を襲い始めた。後ろから喉笛を噛まれた賊達はたちまち野獣の餌食になっていく。
更に、賊の一人が顔の覆いをとり、『お助けに参りました』と広東訛りの明語で言った。
『其方、倭寇か?』と問う馬林に、広東訛りの男は、
『大人には稼がせて貰ってましたから、これくらい当然です。遼陽までお連れします』と答えた。
紫禁城の中にも歩き巫女や忍びは入っている。ここが、刑場である事も当に割れていた。馬林が処刑されるなら間違いなくここだと察知した、北京に忍び込んでいるのは鉢屋だが、今回に備えて風魔の狼使いをこの地に潜ませていたのだ。処刑人10人は瞬く間に狼に食い尽くされた。元々、狼が出ても不思議ない田舎の地である。血の匂いに誘われた狼の群れに侵入され殺されたようにしか見えないだろう。
馬林を助けに来た倭寇、つまり世鬼は馬林の着物を適当に破り死んだ処刑人に着せた。これで馬林も狼に殺されたと思ってくれるだろう。