1600年4月 朝鮮出兵
ピンチ!ストックがもう尽きそうです。9か月に渡って毎日更新してきましたが、7月はお休みを頂くことになるかもしれません。スワ王国と言うラスボスを用意したのに対戦前にエタらないようにしたいのですが、世界編は調べ物が多くて大変なのです。
*ウェジ 伊勢直雷*
マンジュを吸収したフルンには、明国の遼東半島を攻めさせるつもりだった。
日本にいる兄者とも連携し、その為の準備もしていたのだが、ヌルハチを倒したフルン各首長の勢いは物凄く、また、兵の損耗も少ない事もあって、勝手に朝鮮への侵攻を始めてしまった。侵攻理由は2月にフルンのウラ部が支配するワルカ部を朝鮮が侵略した事への報復であるという。また、朝鮮王朝は李朝というが、この王朝を打ち立てた初代国王・李成桂は女直人だと言う。女直統一には朝鮮をも呑み込む必要があるというのが、ウラ以下フルン首長の言い分だった。
兄者とも協議し、2月のワルカ部での戦闘から朝鮮軍は留守を襲うのは得意だが、正面からの戦いでは女直の騎馬兵に叶わないと判断し、そのまま侵攻を認める事にした。
懸念された旧マンジュ部の統治だが、やはりヌルハチ一族が全滅している事、そもそもマンジュの重臣の多くがグレの戦いで行方不明になっている事から、ヌルハチの敵討ちを唱える者は現れず、皆フルンの統治を受け入れていると言う。
もう一つの懸念事項、フルン各部間の主導権争いだが、やはり女神バナムハハが君臨しているという効果は大きく内部抗争等は起きていない。
明国への朝鮮進軍の説明は、明国から支援を受けていたハダ首長メンゲブルがウラから仕入れた真珠や貂皮を献上すると共にその正当性を説き理解を得たそうだ。
女直の朝鮮半島への進軍は2方向から行われた。
一つはウラ軍1万がワルカ部から海岸線に沿って進行。
もう一つはホイファ・イェヘ連合軍1万が旧マンジュのフェアラ城を抜け高句麗の遺跡古墳が多く残る現代中国の集安市に至り鴨緑江を渡河し進軍した。
女直が進軍する朝鮮北部は山岳地帯で騎馬兵主体の女直軍は海岸或いは川沿いなど山間の起伏の少ない地を縦長になって進む。
常識的考えれば朝鮮軍は山腹から弓を射かけ挟撃する等、抵抗の余地は充分にあった筈なのだが、女直の斥候が山間を偵察しても朝鮮軍らしき人影はなく、偶に山で暮らす民を見かけるのみだった。
それもその筈、朝鮮ではこの侵攻を全く把握していなかったのだ。何しろ、先月、マンジュという大国が滅んだばかりである。女直人に兵を動かす余力は当分ないだろうと考え油断しきっていた。朝鮮が女直軍の侵攻に気付いた時にはホイファ・イェヘ連合軍はもう平壌に迫っていた。
一方海岸線を進むウラ軍は敵襲どころか行軍中に朝鮮から寝返った民兵が急増し羅先を落とし江陵道 を過ぎるころには2万近い大軍と化していた。朝鮮の領民は施しを求めて強い側に付く程貧しかったのである。
朝鮮の首都・漢城府からは遼陽、瀋陽に向けて再三に渡り明の援軍を乞う使者が派遣されたが、彼らの願いが果たされることは無かった。ハダ部の事前説明で明が女直軍の朝鮮進軍を容認しているという事もあったが、それ以上に遼陽、瀋陽のある遼東半島では、巡撫・李植、太監・高淮、総兵官・馬林という重臣間の権力争いや相手に対する流言・甘言が飛び交い北京まで伝令が挙げられなかったのだ。
*十三湊 大将軍・伊勢直光*
ウェジの雄二から朝鮮半島が女直の支配下に入ったと連絡が来たのは4月下旬の事だった。朝鮮王・宣祖以下王族は悉く殺害され、日ノ本式に首を跳ねられ漢城府の王宮前に並べられたという。その直前、朝鮮からは凡そ2百年振りに朝鮮通信使が対馬に到来し、日ノ本に援軍を求めて来たというが、事前に女直軍の行動を把握していていた幕府は返答を先延ばしにし続けた。
尚、対馬の宗氏は幕府の取り決めに従い朝鮮使節を一旦、半島に追い返したという。宗氏は既に倭寇が世鬼の支配下にある事を察していた。そして、自分達が監視されている事も知っていたのだ。
雄二からの連絡には更に、女直人が女神の言葉である日ノ本の言葉を覚えたがっているとあったので、文部省に教師の派遣を依頼した。因みに文部省では板部岡大臣の号令で現在、日本語の標準化に総力挙げて取り組んでいる。この世界では琉球は日ノ本に入っていないが、アイヌが日本に加わっているのでアイヌ語も日本語に取り入れられるので大変な作業だ。だが、十三湊から人を派遣したら津軽弁になってしまうから、こればかりは文部省に頼むしかない。
言葉といえば通信だが、既に電磁石があるので電信器の開発に取り掛かっているのだが、どうやら試作機が出来たそうで、都の軍務省本部と文部省本部間にケーブルを敷き設して試験を始めたようだ。ようだというのは俺は電気通信の知識が無いので完全に二曲輪衆や前田利長に一任しているから詳細を把握していないのだ。実用化しできたら時代を2世紀遡る大快挙だ。しかも、転生者チートなしのこの時代の人間だけの発明だ。
尤もいくら技術が進歩しても電話は不可能だ。これは電信技術がどうのというより、各地域の方言がきつ過ぎ音声だけでは会話に支障がでるからだ。直接会って話せば表情や身振り手振りもあるから意思疎通可能だが、言葉だけでは会話は無理である。何しろ、津軽弁と山形弁でもう通じないのだ。この辺りは全国から兵を受け入れている我が軍務省が最も事情を理解しているかもしれない。板部岡文部大臣以下が日本語の標準化を頑張っているが、標準語を策定し更に全国に普及させるのは相当長い時間が必要だろう。そして、雄二からの連絡の最後にこうあった。
『秋田実季から連絡があった。大慶油田の採掘に成功し3か所から臭水が噴出している模様。二曲輪衆を中心に各設備の建築に入ったとのこと』