1600年3月 フェアラ城の戦いPart1
グレの戦いで、嘗ての9か国連合軍の惨敗の雪辱を果たしたフルンは大いに勢いづいた。ウラは帰還するや直ぐにワルカ部に侵攻、狼藉の限りを尽くしていた朝鮮軍を追い払い、大量の馬、奴隷を鹵獲した。
一方、ハダ迎撃の為、北部に進軍していたヌルハチはハダが兵を引いたので、本拠フェアラに帰還した。帰還途中にグレから急報を知らせにきた密偵から自軍の大敗を聞いていたヌルハチだが、フェアラ城で待っていたのは弟シュルガチと長男チュエインの黒焦げの首と兜だった。常人には誰だか判別不能な程の損壊ぶりだが、家族であるヌルハチには間違いなくその顔が弟と息子であると分かった。
驚愕すべきは2人の表情だ。恐怖、苦痛、絶望、苦艱、倒懸、艱苦。全ての感情が入り混じったような凄まじい死に顔だ。一体どんな死に方をすればこんな顔になるのか?これまで多くの人間を殺めて来たヌルハチでもこれ程の形相は見た事がなかった。
女直には日ノ本のように首を跳ねる習慣はない。死者冒涜の極みのようなこの首と兜だけの返還に、ヌルハチは三日三晩に渡り泣き怒り怯え叫び続けた。
更にヌルハチに追い打ちを掛けるように、明から貂皮納品の督促が来た。貂皮取引を仕切っていたのはシュルガチとその家臣達でありヌルハチは取引相手も知らなかったのだ。
一時は発狂したのか?と家臣を心配させたヌルハチだが辛うじて判断力は維持していた。
『どうする?』
貂皮を入手する術は途絶えた。だが、明が支援するハダと一戦交えて来たばかりだ。ここで献上を断れば、また、馬市中止を言い渡されるかもしれない。騎兵が主力のマンジュ軍にとって馬市を停止されることは死活問題だ。
一方、貂皮の産地である北方にはフルンの方が近い。更にフルンのウラはワルカを平定し海を手にしたという。ということはウラは真珠の献上も可能になったという事になる。
明がマンジュに見切りを付け、フルンを交易相手に絞ったら内陸国のマンジュはそれだけで干上がってしまう。
しかも、兵も不足していた。グレから戻ったのは千人余り、何れも酷いやけどを負っており、直ぐに動ける者はいなかった。恐らく彼らの半数近くはもう一生戦働きは無理だろう。つまり、今マンジュが動かせるのはヌルハチが率いていた2千の騎馬兵だけということになる。
そんな苦悩するヌルハチの元にフルンから使者が来た。使者はモンゴル文字で書かれた文書を持って来ていた。そこには、こうあった。
『ヌルハチはフルン4首長の目の前で自害せよ。さすれば、マンジュの領民の命は保証する。フルンには男を皆殺しにするような蛮族の嗜みはない故、安心して死ぬが良い。
大地の女神・バナムハハ臣ホイファ首長バインダリ
ウラ首長ブジャンタイ
イェヘ首長ナリムブル
ハダ首長メンゲブル』
ヌルハチは怒り気が付けば使者を切り捨てていた。フルンに女神が降臨したとかいう噂は耳にしていたが、そんな与太話を信じてはいなかった。
『明にはフルンから分捕った貂皮より軽くて暖かい毛編の着物を献上しよう』
自身が率いた兵が身に付けている物を合わせれば2千着程にはなる筈だ。これで明の甘心を買うしかない。ヌルハチはそう決意し、フルンとはフェアラ城での籠城戦を決断した。
フェアラ城は内城・外城の二層からなる典型的な山城である。外城の更に外には各地から徴兵された農兵の居住地があり、ここが小さな城下町を形成していた。ここにも当然、歩き巫女が潜んでいる。フルンからの使者が下山しない事、使者が殺されたと言う噂が立っている事は、即座にホイファのバナムハハに届けられた。
こうしてフルン4部統一軍は、ワルカ部守備隊、ハダ守備隊を残し、2万の兵でフェアラ城に到達、城を包囲した。マンジュ国内には他にも支城はあるが有力な臣下はマンジュ統一時に大半がフェアラ城外城内に強制移住させられていた上、先のグレの戦いで多くの将が未帰還となっており、死亡していると推察された。その為、支城は無視され2万全軍でフェアラ城は包囲された。
フェアラ城は内城内はヌルハチの家族親族の住居となっており、外城内は各武将が家族・家臣と共に居住しておりその数は凡そ3百戸。人数で表せば6千人だが、女子供も多くいるので兵数は多く見積もっても半数、それもグレの戦いの前の数字である。城外の城下町はグレの戦い前は凡そ4百戸。兵数なら4千程度だったが、未帰還の男手が多く失踪した家もあり、大きく数を減らしている。
ヌルハチが最初に築いた城フェアラ城ですが、今では石碑が一本あるだけだそうです。一方、その後に築いたフェトゥアラ城は史跡として観光施設が出来ているようです。




