1599年9月20日 貂皮取引
*明国・遼陽 馬林*
遼陽は太子川から遼川を経て渤海湾に繋がる海運の町である。今、馬林はこの地で倭寇の使者を出迎えていた。
8月に密書を受け取った彼は、直ぐにマンジュを脅し、倭寇との貂皮取引を了承させたのだ。取引は遼陽の外れの人の寄り付かない川岸で行われている。これまで貂皮と引き換えにどれ程の奴隷が倭寇に渡っただろうか?
倭寇の使者は武人である馬林が見ても恐れを覚えるほどの凶悪面である。その彼が不機嫌そうに言った。
『マンジュによるフルハ族への狩猟強要は止まらなかったそうだな。我らの雇い主は大層お怒りだ』
「俺がマンジュに圧力をかけた時には、マンジュの者はもうフルハに行っていたのだ。直ちに中止しマンジュに帰還するよう命じたのだがな」
『シュルガチはフルハに向かう者を操っているのは兄のヌルハチだと言っていたぞ。ヌルハチにもちゃんと圧力をかけたのだろうな?』
「ヌルハチは今年の夏は北部のハダを攻略中でな。俺の使いが行った時には会えなかった。だが、シュルガチには会って、フルハからの撤兵の件も伝えたと聞いてる。ヌルハチとシュルガチは兄弟と言っても対等の関係だ。シュルガチに伝えればヌルハチにも伝わると判断していたのだが、手違いがあったのか。俺としても想定外だ」
『約定に違えれば、高淮にもあの資料は送られる。俺の雇い主は容赦ないぞ。俺では止める事は出来ん。シュルガチとの貂皮取引も中止せざるをえんな』
「まっ、待ってくれ。詳しい事情を確認するから、せめて後一月待ってくれ」
『さっきも言ったが、俺の雇い主は容赦しない。お前の身等慮ってもらえると思ったら大間違いだ。頼みごとをするなら対価が必要だ』
「奴隷か?」
『何人用意できるのだ?しかし、お前は一度約定を違えたのだ。対価として奴隷を何人寄越しても、あのお方が了解するとは思えんな』
「では、何を差し出せば良いのだ?」
倭寇は暫く時間を置いた後、喋り出した。
『ここから南に50㎞程行った海城河沿いに海州衛があるだろう。そこの地中には、あのお方が必要とする鉱石が埋まっているそうだ。奴隷と共にそこの採掘を認めれば、さしものあのお方も考えてくれるかもしれん』
「海州衛は今は機能していない故、人も近づかんし、問題はないが、しかし、我が明国の土地の地中に何が埋まってるかなぞ、なんでその人物は知っているのだ?」
『そこが、あのお方の恐ろしい所よ。何故知っているか等、俺には思いもよらんわ。兎も角、その地で無事、採掘が始まり、あのお方の望む物が手に入れば、高淮への資料提供は思いとどまってくれるかもしれん。無事にお望みの物が掘り出されるよう祈っておくんだな』
倭寇はそう言って、凶悪な顔をいよいよ顰めるように笑った。
「分かった、採掘に必要な奴隷も手配する。警備の者もこちらで用意する。くれぐれも高淮に付くのは待って貰って欲しい。それに、高淮はその品が何であれ、相手が必要としている者をただで渡したりはしない。そんな守銭奴の宦官だ!高淮に付いたら、海州衛に埋まっている品物は手に入らないと思って欲しい」
『それも、一応伝えよう』
倭寇はそう言い残して去っていった。
馬林は早速、マンジュに使いを出し、真偽を問いただした。
使いが持ち帰った内容に愕然とした。
シュルガチは戦地のヌルハチに、貂皮の確実な入手元が見つかったのでフルハに行かせた者を帰国させるよう、伝令を出したという。そして、ヌルハチもフルハの部下に帰国命令を出したそうだ。だが、ヌルハチの使者がフルハに着いた時には、当地のマンジュは皆殺しにされており、使者は恐れをなして戻って来たという。
これを聞いたヌルハチは大いに怒ったそうだが、マンジュからフルハまでは未占領地を多く越えなければならず、実際、フルハに送った者も商人に偽装した密偵とその護衛合わせて100人程に過ぎなかったのだ。マンジュとして軍をあげてフルハ討伐に向かうのは現実的に不可能だった。
「野人女直がマンジュの者を皆殺しにするとは」
統率の取れていない烏合の衆である筈の野人女直が商人に偽装した100人とはいえマンジュを皆殺しにする等、馬林も想像できなかった。
「一体、野人女直の地で何が起きていると言うのだ?」
横領の証拠の密書といい、これまで全く関係のなかった倭寇との取引の仲介といい、今年に入ってからの身辺や女直の地の激変に馬林は、不気味なものを感じていた。