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落ち武者・歴史は知らない理系リーマン、化学チートで戦国を駆ける   作者: ディエゴ
第8章 旭日昇天・ヌエバエスパーニャ編
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1601年5月31日 直光の野望

*都・軍務省本部(旧二尊院)伊勢直光*


側近の蒲生氏郷、真田昌幸、前田利長と共に、一年間のテキサス開拓任務を終え帰国した酒井家次から帰朝報告を受け労った。


『某は、ヘリウムの精製。楽しみでございます』


利長がいう。


『利長殿はお若いからのう。儂は空を飛べ等と言われても恐ろしゅうて恐ろしゅうて』


こう言ったのは真田昌幸だ。


『そう言えば、昌幸殿はヘリコプターで佐世保の視察に行った時も、ずっと震えておりましたな』


蒲生氏郷が笑いながら冷やかす。


『あれは寒かっただけだ。しかし、空の上があんなにも寒いとは思わなんだ。あの暖かいカシミア中着にラッコの毛皮の上着を着ておったというに・・』


そう、佐世保港は稼働を始めた。高炉製鉄から造船まで行う西日本の守りの要として機能し出したのだ。そして、十三湊、木更津港、佐世保港の3港と都を結ぶのは交差反転式ローター型ヘリコプターだ。乗員はパイロット含めて3名だ。この時代の人が小柄なので3名まで搭乗可能となった。


ただ、ヘリコプターの発する不気味な回転音は領民を不安にさせるということで、十三湊、木更津港では海上に着水、都と佐世保港では付近の山中に着陸することにしている。しかも十三湊に行くには新津で一度給油する必要がある。


都のヘリポートは且つて延暦寺があった比叡山中の広大な大地だ。さすがに延暦寺の本堂があっただけあって十二分の広さで、あれならタンデム型ヘリにも対応できるだろう。そして、もう一つ、ヘリポートから都のある低地まではケーブルカーを設置した。英語でフニクラーと呼ばれる2つのゴンドラを使う交走式ケーブルカーだ。動力は水である。登頂地にあるゴンドラに水を入れた大甕を敷き詰め、下のゴンドラとの重量差によって上昇・下降を行う仕組みだ。元延暦寺には井戸が多く残っている上、山中で取れた水は美味いので降ろした後は飲料水として好評を博している。


『時に大将軍様、テキサスは乾いた砂地と聞きます。そのような所に運河など建設できるのでしょうか?』


利長が問うてくる。


「幸い石灰層が発見されたそうだからな。水と砂や砂利でセメントが作れる。さすればコンクリートで砂地を固めれば大丈夫だ。それに、北部攻略部隊の行く先にも乾燥地帯がある。其処にも運河を建設する予定だから、良い事前練習になる事だろう」


そうなのだ。カリブ海に海賊が跋扈しておりニカラグア運河の建設がとん挫したので、テキサスから太平洋にでる代替ルートとして現代のニューメキシコ州に運河を作ろうとしているのだ。ルートはリオグランデ川からミンブレ川まで凡そ50㎞。更にミンブレ川からヒラ川まで凡そ20㎞の計60㎞である。付近の先住民とは友好な関係を構築しているので砂糖を対価に工事に協力してもらえる上、大慶油田までの運河建設に携わった女真人も大量に送り込んだので数年で完成するのではと思っている。因みにヒラ川は現代では灌漑に使用され殆ど水は流れていないそうだが、この時代はコーカソイドの入植前なので大河コロラド川の支流に相応しい水量を誇る全長千㎞を超える河川である。ヒラ川を抜けコロラド川を下るとカリフォルニア湾である。そこからバハ・カリフォルニア半島を廻りロスアンヘレスまで出れるし、半島の南端からハワイを経由して日ノ本に向かう事も可能になる。


『失職した神社の宮司共や宮大工を付けて”はわい”に送りましたが、あれも我が国の戦略の一環ですかな?』


流石に真田昌幸、鋭い。


「ハワイというのは、日ノ本とカリフォルニアやヌエバ・エスパーニャがある大陸との中間にある島々なのだ。島と言っても大きいのでは且つての美濃程はある。エスパーニャも立ち寄っていないようだし、先に日ノ本が領有してしまおうという訳だ」


『であれば、軍船を出すべきではないのでしょうか?何故、宮司や宮大工なのでしょう?』


氏郷の疑問は尤もだ。


「ハワイには国がないのだ。各島の島民が各々漁業を主体に原始的な生活をしているのだ。軍を送って制圧するのは容易いが、島民の心中に日ノ本への屈服感を生み出しては後々の統治が難儀するからな。それより、交易で島にはない物品を送り島民自身に日ノ本の民になりたいと思って貰う方が統治は楽なのだ。幸い交流は上手くいっていてな。日ノ本の民になりたいという島民も多いのだ。そこで、社を建設し日本語を教え日ノ本文化を根付かせようというわけだ」


『成程、武力だけが領土拡大の方法ではないというわけですね』


氏郷が感心したように言う。だが、氏郷が育てた松坂牛が島民の胃袋を大いに捉えたのも事実だ。


因みにこの時代、まだハワイには王国はなく漁民がのんびり暮らしているのみであり、歩き巫女と軒猿による日ノ本イメージアップ作戦が進行中で既にホノルル島には港も整備されている。漁業が主体だった島民には日ノ本から齎される様々な香辛料や肉・果実が大いに関心を引き、地震で倒壊し居場所を失った神社の宮司や関係者をハワイに送り社を作り日本語教育を行い始めたのだ。社建設には造営省が、日本語教育には文部省からも人材を出して貰っている。俺は言語理解スキルがあるので全く気にならなかったが、文部省によると日ノ本は各地の方言が激しく出身地が違うと中々言葉が通じない事も多いそうで、日本語の標準化を行っているという。正史と違ってアイヌ語も日本語の一方言として加わるというから嘸かし大変な作業だろう。


『それにしても大将軍様が防務省に委託した”予防接種”は効果てき面ですな。疱瘡に罹る者が激減しております』


利長が感心しながら言う。


『うむ、針を刺される時の独特の痛みには未だに慣れんがな』


流石の昌幸も注射は苦手なようだ。


そう、予防接種。というか正史では19世紀に発明された注射器の実用化こそが、俺がこの世界に来て最大最高のチート技術ではないだろうか?


元々、伊勢領ではガラス工芸が盛んだったし盲様ゴムもあった、更に細工師と旋盤技術の向上により注射針が完成したのである。


では、肝心のワクチンは?医学・薬学の知識がない俺がどうやってワクチンを用意できたのか?実はこれは呉の資料館に書類があったのだ。資料館の中でも隅の方に鍵が掛かって地味に置いてあった書類箱で榎本館長も、木内館長代理も存在自体気付いていないような代物だった。暇だった俺は鍵を見つけ中をみてあまりの内容に仰天した。一通り読んだ後、再び施錠して元の場所に戻しておいた。このことは館長にも誰にも話していない。それほど、トンデモナイ資料だった。で、そこに記載されていた疱瘡ワクチンの製造方法だが、”馬痘の膿から取り出し人に接種する”と書いてあったのだ。日ノ本には馬は多いし食してもいたが、馬痘自体そう多い病気ではなかったので最初は探すのに難儀した。現在は防務省の技術研究所で仔馬に馬痘を感染させワクチンを製造している。



研究所と言えば、改元の切っ掛けとなった地震以来、都は大きく変わった。群発する余震に耐えながら瓦礫の撤去を進め、倒壊した寺社は再建せず幕府が接収したのだ。先程の防務省技術研究所は旧清水寺にある。その他、


財務省は旧大徳寺に、文部省は旧大覚寺に、造営省は旧天龍寺に、防務省本省は旧東寺に、我が軍務省は旧二尊院にある。上様がいる聚楽第には内務省と他省の取次ぎ役が詰めている。その他、財務省の造幣研究所は旧南禅寺に、軍務省の特別研究所は旧延暦寺根本中堂に設置した。且つて公家共を収容した場所だ。現代では何れも観光名所となっている名刹だが、この時代は元々戦乱により荒廃が激しかった所に地震がとどめを刺すように襲ったので酷い有様だった。そこで、幕府が瓦礫撤去を行う対価として接収、各省や研究所を開設したのだ。金閣寺、銀閣寺は建物は残ったので瓦礫を撤去し庭園として整備した。金閣寺には小さな墓地があったが庭園と切り離し墓守をおいた。その他、都にあった崩壊の激しい小さな寺社は墓地のみ残し皆取り壊し更地にした。更地を多くしたのは火災による延焼被害を防ぐ為だ。その他、造営省の主導で桂川、賀茂川から水路を引き防火と都内の水運の整備も始まっている。


そして、水路の何か所かに太鼓橋(アーチ橋)を建設することが決まっている。下の水路を舟が行き交い、橋は馬や自転車が通る事になる。


金属の普及と盲様ゴムのお陰で実現できた自転車だが大変な人気で町中の交通手段としては馬を上回っている。馬と違って飼葉をやったり世話をする必要がないのが大きい。元々、軍用に製造し軍務省関係者しか使ってなかったのだが、非常に注目を集め、いまでは一般にも販売を行っている。当然ながら量産は無理なのでまだまだ高級品だが、思わぬ軍事費の調達にホクホクな軍務省というか俺だった。



国内の大きな話題はもう一つある。炭鉱、鉄山、油田の採掘を終了したのだ。元より金山銀山の採掘は国内の資源保護を理由に禁止していたが、これに鉄、石炭、石油も加わったのだ。現在はこれらは全て外地からの輸入している。カティーサーク号タンカーが大活躍だ。


これには、理由がある。それは俺が死んだ後の事だ。俺が施した歴史改変なんて世界史で見れば大袈裟に言ってもほんの小さな染み程度だろう。極東の島国が徳川幕府だろうが北条幕府だろうが世界の視点で見れば余りにも小さな違いだ。つまり、いつか、この世界でも産業革命が起こり、石炭と蒸気の時代になり、日本もその世界に突入する。しかし、石炭が主要エネルギーだった時代、日本は強国だったのだ。石炭は日本でも自給可能だったからだ。だが時代が進み、石油の時代になると僅かしか石油が採れない日本はアメリカから石油を輸入するようになった。同様にアメリカから石油を輸入するイギリス、バクー油田があるロシア(ソ連)、隣国ルーマニアの油田から石油を得ていたドイツ。唯一近隣に石油がない日本はアメリカから禁輸されたら戦争起こすしか国力を維持する術はなかったのだ。


余談だが、現在、日ノ本は現代のアメリカ、現代の豪州に進出しているが、どう頑張っても何世紀か先にはアメリカもオーストラリアも日本から独立すると考えている。イギリスから独立するか、日本から独立するか、その程度の違いであり近現代は正史に近い形でやって来ると見ているのだ。


そこで、この時代に生きる俺が未来に対してできる数少ない抵抗、それが石油の確保というより漏出だ。テキサス、カリフォルニア、可能なら米東海岸のペンシルバニアの油田、一時は世界最大の油田と言われたバクー油田を抑え石油を汲み上げる枯渇させる。中東の石油や海底油田を全部汲み上げるのは流石に不可能だが、初期の大油田を潰すことで石油の時代の到来を遅らせる。上手くいけば石油の時代が来ない可能性も出てくるだろう。実際ナチスは石炭から人造石油を作っていたというから、石炭の時代のままでも航空機の時代には突入する可能性だってある。俺が台湾や朝鮮半島に手を出していないのも国内資源保護と同様の理由だ。これらの地は近代日本が領有する可能性がある。その時、かの地の石炭を使って貰う為だ。使いきれない程のボーキサイトを輸入しているのも同じ理由だ。航空機に必要なアルミを造るのに必須なボーキサイトは余った分は廃鉱山にでも貯蔵しても良いだろう。


と、こんな果てしない未来を夢見ていると、


『大将軍様、内務省の方がお見えになりました』


と側仕えから言われたので、重臣との会議はお開きとした。


元々、今日は内務省と打ち合わせの予定だったのだ。議題はマヤ文明から輸入したラモンの木についてだ。救荒食物として現代で注目されているこの木の種子を日ノ本でも導入し育てようという計画だ。栽培指導員としてマヤ人10人に来日してもらっている。何しろ、天下泰平の江戸時代は火事と飢饉の歴史だったのだ。この北条幕府の世も同じになる可能性が高い。火事は防務省や造営省に任せるが、飢饉対策の救荒食物は内務省の管轄だ。マヤ人に栽培は元より料理レシピも教えてもらい来るべき飢饉を乗り切るよう努めてもらいたかった。


日ノ本が海外に出るようになって色々な物が手に入るようになった。だが、安心してばかりはいられない、やらねばならぬことがまだまだ沢山あるのだ。




ーーーーー 第8章 旭日昇天・ヌエバエスパーニャ編  (完) ーーーーーー

第八章いかがだったでしょうか?まだ応援ポイントを付けていない読者様におかれては

下記↓の☆☆☆☆☆をいくつでも結構ですので付けて頂けないでしょうか?よろしくお願いいたします。

都・概要図

挿絵(By みてみん)

ニューメキシコ・ヒラ川運河

挿絵(By みてみん)

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