1600年12月5日 ウィントゥ族の集落(現代名レディング)
*ハンググライダー隊長・水野勝成*
狼の群れが現れたとの相馬殿の報告を受け、俺達ハンググライダー隊100名は周辺の採掘場の警戒にあたっている、この辺りは山地というか崖地が多くハンググライダーにはうってつけの場所だ。武装は炮烙玉だ。耳の良い獣にとっては爆発音は何より嫌がる障害だろう。
ハンググライダーを飛ばすのには適地だが、上空からは森林が多く良く見通せないのは痛し痒しだ。そのせいで未だ狼の群れは発見できていない。
一度、ウィントゥ族の集落に帰還した。丁度、北部のシャスタ族の狼に襲われた地域を見回っていた相馬殿も戻ってきていた。
「相馬殿、シャスタ族の地はどうであった?」
『儂等が戦った場所に狼の死体が3頭あったが後は全く見かけなんだ。余所に移動したか、朝顔の毒にやられてどこかの洞窟で死んでるのやもしれん』
「其処許が居た場所以外の採掘場は無事であったか?」
『それが、全部で10か所程が狼に襲われおった。シャスタ族は狼に遭遇したら木に登って難を逃れるのじゃが、丁度良い木が無かった採掘場では全滅した所もあったようじゃ、可哀想な事をしたわい』
「このウィントゥ族の集落周りでは狼は全く見つからなかった。姿が見えなくとも狼なら遠吠え位聞こえそうなものだがそれもなかった。よって、明日からはシャスタ族の地域を警戒すべきと思うが如何か?」
『是非、お願い申す。食いちぎられて死んでいったシャスタ族の者の仇を討ちたい故の』
相馬殿は10歳以上年下の俺から”其処許”呼ばわりされても嫌な顔一つせず応じてくれる、器の大きな陸奥武者だ。
シャスタ川(現代のサクラメント川)は中々の川幅で木馬が使用可能だ。随行の水軍兵に操舵を任せ、翌日、シャスタ集落に入った。
アメリカ川流域でもそうだったが、この辺りの先住民たちは概して大らかで友好的だ。片言の日本語を話す者もかなりいる。集落で一泊し翌日からハンググライダーによる捜索・警戒を開始した。
だが、結局10日間の捜索でも狼は見つからなかった。この為、シャスタ族の集落の最北端ワイリーカに拠点を移し警戒に当たる事になった。
そして、周辺の警戒に当たる事3日、ついに狼の大きな群れを発見した。だが、様子がおかしい。狼の大軍は灰色の大きい何かを囲んで威嚇しつつ逃げている。
風の状態も良いので少し高度を落として遠眼鏡で覗いてみる。
灰色の大きい物体の正体が分かった。熊だ!
全部で10頭程いる。この地の熊は群れを作るのだろうか?対して狼の大軍も50頭はいそうだ。そしてよく見ると熊の群れには子熊がいた。つまり親子の熊が5組いるのだ。
熊は冬眠の為の十分な餌が得られなかったのだろう。12月というのに子供を連れて移動していたようだ。餌の少ないこの時期、狼の肉は御馳走だろう。しかし、それは狼も同じ事。子熊は大変な御馳走である。俺はこの状況を伝えるに一度ワイリーカに戻った。
相馬殿やワイリーカの村長も交えて話をする。
「熊の母子5組と狼の群れ50頭ほどが互いに相手を仕留めようと戦っていた」
と告げると、通訳のシャスタ人女性から事情を聞いた村長が
『ここから遥か北の方に大きな山がある。その山の精霊が火を噴くと付近一帯の木々が焦げ、動物も立ち入れんようになるのじゃ。そんな時は餌不足になった動物達が南下し、この辺りまで来ることもあると先祖から聞いたのじゃ』
これを受けて相馬殿が
『狼の群れに加えて、熊までいるのでは金の採掘どころではないの。堀内、有刺鉄線で囲ってある採掘場はこの辺りに何か所じゃ?』
相馬殿の重臣・堀内胤泰が答える。
『ワイリーカに近い所5か所は全て囲ってあります。ですが山中の険しい場所は何もしておりません。自然の要害と考えておりました』
俺も村長に、
「そもそも、このワイリーカは危険ではないのか?過去に狼や熊に襲われた事はないか?」
『先祖の話ではここワイリーカも熊や狼に襲われた事はあると聞いておる。他にも森で遊んでいた子供がコヨーテに腕を千切られて死んだりしたこともあるんじゃ。この地で動物の害は避けて通れんのじゃよ』
先住民も単独行動の熊を狩ることはあるという。が、餌が少ない冬は貴重な餌場・狩場に熊は自然と集まってしまうのだそうだ。そうなれば、先住民には戦う術はないという。
これを聞いて俺は相馬殿と意見交換する。
「有刺鉄線でも熊は防げるかどうかはわからん。あの灰色熊は日ノ本では考えられない大きさだった。餌となる動物が増える春まではシャスタ族の民も一緒に両川の合流地の拠点まで戻ってはどうかと思うが」
『そうじゃの。じゃがシャスタ族の者が従ってくれるかの?取り敢えず、村長に相談してみるわい』
相馬殿の説得が功を奏しワイリーカだけでなくシャスタ族全員、ウィントゥ族全員が春までシャスタ川とアメリカ川の合流地点に築いた拠点に収容ともに暮らすことになった。この拠点だが川の東はマイドゥ族で人口は千名程、川の西はパトウィン族で人口は3千程だ。とは言っても、どちらの部族も広大な土地に点在して暮らしているので、シャスタ族2千人、ウィントゥ族3千人総勢5千人を収容する土地は充分にあった。また、この拠点の名前はマイドゥ族に因んでマイドゥと名付けられた。このマイドゥで春まで各先住民の日本語教育が行われていく事になる。




