1599年8月10日 vsパイレーツ・オブ・カリビアン
ハリケーンが近づいている。ハリケーンの暴風域に入れば流石のカリブの海賊達も船を出すことは出来ない。彼らが稼ぎ時とするのはハリケーンが近づき、風が強まり波荒くなった時期である。嘗てはエスパーニャのガレオン船を襲っていた海賊だが、カリブ海域でエスパーニャ船の大型船は激減してしまったので近年は専ら沿岸の港町を襲う事が多いのだ。勿論、港町には海に向けて大砲が設置されているが強風下で大砲など撃っても何処に弾が飛んでいくかわからない。一方、海賊の快速船は強風に乗って高速で港に近づき河口から川に入りあっという間に町に侵入、略奪の限りを繰り返していく。エスパーニャの陸上軍は長大な海岸線と点在する港町を守る為分散して配置されており、海賊の機動力に対抗できていなかった。
6月中旬から始まったハリケーンシーズンでこれまで、幾つかの港を襲撃してきたカリブの海賊が今回狙いを定めたのは今年まだ襲っていなかった北部のタンピコ港である。
神官やエスパーニャ軍将校から聞き込みをしていた日ノ本海賊対策部隊は、これまでの情報からハリケーンの接近を海賊の襲来予報と感知していた。この隊を指揮するのは松田定勝。大将軍・伊勢直光の房総時代からの旧臣だ。連れて来た配下の者は皆空を飛ぶことに憧れグライダーでの飛行経験も充分な者100名だ。
タンピコ港はバヌコ川河口に開かれた港町で周囲は平たんな土地ばかりだ。今回の海賊対策部隊が用意したのは現代風に言えばハンググライダーである。木製の骨組みに盲様布のポリエステル化繊を張った代物だ。お誂え向きなハリケーンによる向かい風が吹く中エスパーニャ軍の騎兵に牽引された彼らは一隊10人で次々と海に向かって飛び立って行った。天気は晴天、上昇気流も良く発生し瞬く間にハンググライダー部隊は上空に達した。
10キロ程の沿岸に海賊の大船団はいた。その数凡そ100隻。彼らにとっては強い追い風に乗って凄い速さでタンピコに向かっている。松田定勝麾下のハンググライダー飛行隊の投擲武器は日ノ本ではお馴染みの炮烙玉と硫酸を入れたガラス管だ。
大砲がある位だからこの地にも黒色火薬は大量にある。土器は容易に作れるし炮烙玉の製造は簡単だった。
一方の硫酸も硫黄がシウダ・デ・メヒコ南東の富士山を思わせる大火山近郊で採取できるので珪石、植物灰から製造したガラス管と共に大量に製造されていた。これらは昨年到着した甲賀衆が事前に準備をしていたのも大きかった。
尚、ダイナマイトは持ち込まれていない。未だこの時代で最強兵器の一つであるダイナマイトを外国の軍隊に見せたくなかった為だ。
ハンググライダー飛行隊は炮烙玉、硫酸瓶を次々と投下していく。強風の流れを読み巧みに風上から投下していく。海賊船はその高速性を生かすため大砲は装備していない。最も大砲があったとしても上空に向けては撃てないだろう。海賊は銃と弓で撃墜を図るが上空300メートルの位置にいる飛行隊に届く筈もない。飛行隊は所持していた投下武器が尽きると次々と港に戻って行く。一方、港からは新手が続々と飛び立って行った。
相手が大軍で群れているのにも助けられたのか、着弾率は中々で航行不能に追い込まれた海賊船も出始めた。海賊船と言っても種類は色々で甲板まで黒くタールが塗られている船もあるが、甲板は無垢の木材というケースが多くこれらは炮烙玉をある程度浴びると発火しだした。一度発火すると強風に煽られあっという間に船全体が業火となった。硫酸を浴びた船は無垢でもタールを塗っていても全く無防備で直ぐに甲板に穴が空き中には穴が船底に達し沈没する船もあった。この辺りは高速性を求めるあまり船の強度を捨てた事が災いした。
エスパーニャ人がドラコ(龍)と呼び恐れた伝説の海賊フランシス・ドレークはもう没しているが、彼と共に仕事していた海賊はまだ大勢いた。荒くれ共は空からの襲撃という前代未聞の攻撃に晒され仲間を減らしながらもタンピコ港に向かっていく。
海賊船団がタンピコ港まで5キロを切った辺りで、海賊船襲撃の本隊が活動を開始した。甲賀五十三家の一家・多羅尾家の光雅、光時兄弟以下計50名の忍びが海に潜った。彼らは且つて主に水軍に雇われ潜水して敵船への工作活動を行う技に長けた者達である。水面近くの荒波を泳ぐのは危険だが水中ある程度の深さまで潜れば波穏やかな泳ぎやすい海域に出られる。彼らは外国船の船底に竜骨という航行に極めて重要な突起が付いている事を知っていた。彼らの狙いはこのキールである。
「錣」(しころ)という携帯用の鋸のような忍者道具で巧妙にキールを切断していく。他には「坪錐」(つぼきり)という鑿のような道具も多用した。キールは全部を切り落とす必要はない。形を削ったり、向きを変えたりするだけで航行には大きな障害となるのだ。キールと同様に船尾の舵にも細工を施した。鉤爪を絡めて動かなくしたり、水深も浅いので海底から岩を拾って来て縄で絡みつけたりと様々な仕掛けを施した。
突如、それまでの航行の要領が通じなくなった船は高速航行が災いし次々と荒波に飲まれ転覆して行った。
彼ら水中に特化した忍びの人外な肺活量で口に咥えた循環式潜水器により水面に一度も上昇することなく1時間近い工作活動を終え港に浜に帰還した。
100隻はいた海賊船も港にたどり着けたのは10隻程だった。この程度であればエスパーニャ陸軍でも対処は可能だ。波止場にいる騎兵を警戒して河口からバヌコ川に入った海賊船に向けて両岸から油、火矢、銃撃を浴びせかける。飛行隊が使った硫酸瓶の残りも投げつけられた。
帆を燃やされ船を捨てた海賊達は陸に上がり無秩序に町を襲い始めるが、その頃には主な通りには騎兵が待機しており海賊の首に縄をかけ引きずりまして行った。陸に上がった海賊は兵隊の前には全く無力だったのだ。海賊には奴隷としても捕虜としても価値はない。よって全員処刑された。その後沖合で航行不能に陥っている海賊船にも船を出して乗船し海賊を殺害すると共に高速船の鹵獲を行いタンピコ港防衛戦は終了した。




