1598年4月24日 征北将軍・伊達政宗
南では伊賀者ら忍び精鋭部隊が、ヌエバ・エスパーニャでは甲賀衆や歩き巫女が、そして明東北部の女真人地域では伊勢直雷らが活動を開始した頃、シベリアの地には征北将軍・伊達政宗が副将に任命された真田幸村と共にいた。彼らが配下と共にこの地に入るのは昨年に続き二度目だ。
彼らが実施しているのはシベリアの運河開発だ。目指すのは現代ロシアの主要油田があるウラル山脈手前のチュメニ油田。そこから南下して最終的にはカスピ海西岸のバクー油田まで到達する計画だ。直線距離でも5千㎞はあろうかという遠大な計画だが、シベリアは大河が幾つもある上、チュメニ油田以南にはアラル海、カスピ海という巨大湖があるので実現可能な計画と思われた。最大の懸念はシベリアに進出してくる筈のロシアとどこで激突するかである。
昨年はアムール川の解氷と共にアムール川を遡上した。アムール川自体は自然に任せて蛇行している部分が多いが世界屈指の大河アムールだけあって、船上からは蛇行している事にすら気付かない事が多かった。結局、広大なアムール川の20か所程度を爆破整地しただけでアムール川の改修を終えた。
そして今年、彼らが今いるのは現代ロシアで言えばポクロフカという港町である。アムール川とシルカ川の合流地点だ。今回はここポクロフスカからシルカ川を改修しネルチンスクへ、そこからインゴダ川を改修しチタまでおよそ500㎞の大工事だ。
シルカ川はアムール川より小刻みな蛇行が多く工事は昨年より過酷になる事が予想された。
この部隊の主力は旧伊達家家臣団と彼らに従って仕官した兵。真田幸村は樺太で真田の忍びが鍛えた樺太アイヌがニクブンと呼んでいた人たちだ。
樺太に日本語塾が開校し彼らも大分日本語が上達した。今ではオハ油田で働く者など、従来の漁業以外の仕事に就く者も出始めている。そして、彼ら自身は自らを”ニブフ”と呼んでおり、樺太だけでなく、大陸側のアムール川流域にも同じ言葉を話す所謂ニブフ族が多くいる事がわかったのだ。真田の忍びは彼らから日ノ本の為に働いてくれる人を募集し日本語教育と忍びの基本を教え、今では凡そ200名程が幸村配下の兵として育っている。発破工事も安全に実施してくれるし、何よりシベリアの厳しい気候に順応しているのが頼もしい部下達である。
*アムール川・シルカ川の合流地点(現代ロシアのポクロフカ) 伊達政宗*
「幸村。シルカ川はアムールより蛇行が激しいそうだが、8月までには改修を終えたいな」
『政宗様。大将軍からは昨年の10倍の発破を預かりましたし、新津から測量の専門家も来ています。皆も昨年に続いて二度目の作業ですから大分慣れて来たでしょう』
官位が廃止され、幕府からは諱呼びが推奨されているが、長年の習慣はなかなか消えず、職位や姓で呼び合う事が多い中、政宗と幸村は同い年という事もありいち早く互いの諱で呼び合う仲になった。元々、日ノ本横断運河を建設している頃からの付き合いだから、もう5年以上の友人でもある。
『それにしても、大将軍がこうまで焦って事業を進めるとは、ロシアとやらはそこまで手強い相手なのでしょうか?』
「あの”お天道様”が警戒する程だからな。日ノ本では想像できない大陸の熊や虎のような集団かもしれん」
『今回は”飛竜”を2機装備していますし、真田衆に数名操縦士もいます。空から川の形を把握できるのは大きいですね。工事も捗るでしょう』
”飛竜”とはヘリコプターの事である。レシプロエンジン搭載のこのヘリは操縦席前面をプラスチックにした以外は全て木製であり、小さく軽いので強風には弱い。シベリアに最初に配備したのはロシアの脅威もあるが、大河が多いのでトラブル時にも姿勢制御できれば河水着陸が期待できるという理由もあった。
因みに今回部隊が乗って来たのはディーゼル船である。武装はカルバリン砲とデミカルバリン砲が船首船尾に1門ずつだ。軽油は樺太の油田で豊富に取れるので帆船のガレオン船が補給船として後を追ってくる手筈である。
政宗は伝声管により、右回頭を指示しシルカ川へと船をすすめた。これだけの装備があれば成功間違いなしと政宗も幸村も自身満々である。




