1598年4月23日 マタラム王国使節団
北条氏規がアユタヤで美味しい料理に舌鼓を打っている頃、マタラム王国使節団はかの国の王都コタグデにいた。
*使節団副将・鍋島直茂*
思えば遠くへ来たもんだ。先日、船内で儂は還暦祝いをして貰った。4月12日が儂の誕生日だと漏らしたら、皆から祝ってもらったのだ。
儂は60年の人生のほぼ全ては九州で過ごしていた。10年前は島津に攻められた主家を守る為、関白殿下に救援を要請したりと必死だった。関白殿下はその後儂に『唐入りの準備をせよ』と言い残し、小田原征伐に向かったが、そこで命を落とした。九州から同行した者は誰も小田原から帰還せなんだ。昨年、嘗て共に島津と戦った立花殿と再会した時は本当に驚いたわ。小田原で消息を絶った者は大半が遺体すら見つかっていないというのだから。
このコタクデは暑いが心地よい風が通り快適だ。老体に鞭打って日ノ本を出た身としては有難いわ。
マタラム王国との交渉は総大将の壬生殿がアイシャ殿のお陰でスルタン・セノパティと友誼を結ぶことが出来、問題なく進展した。今は山師や施設部隊が王国の護衛を受け大将軍様が指示した、チェプなる地に臭水の採掘施設の設置に向かっておる。
『壬生様、鍋島様、そろそろ着きますわ』
通訳の女からそう言われ物思いにふけっていた頭を振るい我に返る。大きな象の上とはいえぼんやりしていると危険だ。
この通訳は凶殿の配下でジャワ島というこの島出身の者で名をアチャという。ジャワの言葉と日本語、それにポルトガル語も話す多才な女だ。
やがて、その建物が見えて来た。『『おお!!』』儂も壬生殿も声を上げてしまった。その建物の大きい事大きい事。
「壬生殿、昨日見たプランバナンという寺もデカかったが、ここは更にでかいな。日ノ本の城よりでかいのではないか?」
『全く。これ自体が山のような大きさでござるな』
この寺はボロブドゥール寺院という仏寺だ。全部で10層程はあるだろうか。しかも各層は壁に囲われその石壁にはそこかしこに彫刻が施されている。
そして、上層には丸型の仏塔が犇めいている。その多数の仏塔の内部には全て仏像が納められており、壮大で美しい事。
「仏教嫌いで有名な大将軍様はこの美しい仏寺を見ても壊そうとするだろうか?」
『それは、分かりませんな。ただここは石ですから、法隆寺のように焼くわけにはいかないでしょう』
「それはそうだな」と二人で笑い合った。
『仮にこれが城であったとしたら、鍋島殿ならどのように攻めますかな?』
「そうさなぁ。巨大な山のような城とはいえ堀一重もない裸城だ。大筒で攻撃すれば余裕で落とせるだろう」
『では、あの上層の仏塔が敵方の大筒だったとしたら?』
ん?あんな上にあんなに多くの大筒が備えているというのか?
「上からあんな多くの大筒で球を降らされたら、おちおち包囲もできんな。それは厄介な城かもしれん」
『ですな。嘗ての関白殿は水攻めを得意としたそうですが、ここは高台の上に建ってますから堤防も作れそうにないですしね』
「まあしかし、小田原城のように城内に田畑があるわけではないから、大筒が届かない距離で遠巻きに囲んでいればいつか兵糧が尽きるのではないか?」
『某も同意見です。やはり兵糧攻めは城攻めの常道ですな』
『殿様方、有難い仏塔を前にして何を話しておられるのですか?釈迦牟尼に怒られますわよ。ふふ』
日本語の分かるアチャに指摘され我ら2人は我に返った。
因みにアチャ自身はムスリマ(イスラム女性)だが、時々、この寺院を案内することがあり仏教の知識もあるのだそうだ。
「そ、そうだな。では頂上にある一際大きな仏塔のところまで登ろうではないか、壬生殿」
『そうしましょう』
儂と壬生殿は逃げるように階段を駆け上がっていった。




