1598年3月16日 ブルネイ
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*征南将軍・北条氏規*
関白を辞し武将になった物の、私が大将軍・伊勢直光の部下というのは直光自身が居心地が悪かったのか、着任早々、征南将軍という地位を与えられ南蛮方面軍の総大将に任じられてしまった。大将軍・伊勢直光は征北将軍・伊達政宗と共に大陸北部を攻略するという。
私が乗船しているのは直光が小笠原諸島視察の際に鹵獲したエスパーニャのガレオン船だ。アフリカンの弥助の配下達はこの船の操舵に慣れており安定した航海ができている。
既に直光は”でぃーぜる船”というガレオン船を上回る大きさと速度の船を建造しており昨年暮れに樺太までの試験航海を成功させていたのだが、今回のような遠方への航海は従来からの航海実績があるガレオン船がよいらしい。何でも”でぃーぜる船”では燃料補給に問題があるのだとか。
尤も、このガレオン船も鹵獲時より大幅に刷新されている。甲板上や船体の数か所にらせん状に動く風車が設置されそこから採れる灯りによって広大な船内は夜でも夕暮れ程度の明るさを保っている。風車が発電し電球を灯しているのだそうだ。最近は日ノ本の主要な街では夜間の街灯は当たり前になりつつあるが、船内にも設置できるとは思わなかった。
更に武装だが、元々は貨物船だった当船だが、中階の各所に窓を設け大筒を発砲できるようになっている。大筒は台車に載せられ発砲したら後退させ、準備済の大筒と交代する仕組みだ。これはエスパーニャの護衛艦でも採用されている仕組みだという。その上、下階にはあの臭水で動く最新式三胴船1隻と木馬4隻、都合5隻が大筒や雷矢を備え搭載されている。”がそりん”という臭水から採った燃料も積み込まれている。
そしてこの船の乗員だが、将軍である私が船長。以下、鍋島直茂、大友義乗、那須資晴、壬生義雄、村上元吉らが配下の軍団長だ。鍋島、大友は九州勢、那須、壬生は関東勢で小田原戦の前からの付き合いである。村上元吉は謂わずと知れた村上水軍の当代であり、水軍衆を率いて仕官、新型船にも直ぐに対応した者達だ。流石村上水軍である。水軍兵以外にも船には鍋島らが率いて来た兵合わせて500人が搭乗している。全員、槍刀は勿論、種子島や大筒の扱いも習得した兵達である。その他、かつて三つ者と言われた元忍び50名が率いる施設部隊が計500名、風魔の山師20名、そして今回、護送する直光が救助したブルネイ人女性2名だ。ブルネイ王国の姫君とその従者だという。
そして、この船の周りには3隻の倭寇船が帯同している。一見すると、海賊船に大型船が襲われているような光景だが、彼らは護衛船である。船を率いているのは歩き巫女の凶、彼女の配下、王直、キヨヤスだ。
マニラでエスパーニャの司祭と忍び達を降ろした後、エスパーニャ人のマニラ総督と面会し司祭を救助した礼として大量の銀を受け取った。マニラから南は澳門以南はポルトガル船が行き交っているがイエズス会が日ノ本を新エルサレムと認識している以上、敵対することは絶対ないとのことだった。この船のメインマストの上には日いずる国・日ノ本を示す旗が掲揚されているのだ。旗の名を”旭日旗”という。大将軍・伊勢直光が図面をひいた美しい旗だ。
暫く南下すると、この航海で唯一、敵対する可能性がある国、スールー王国の艦船が見えてきた。スールー王国は奴隷貿易を生業とする国で度々フィリピン諸島に攻めこみ民衆を拉致していた。時には貿易船を襲う事もあるという。だが、倭寇の旗艦級が3隻も周囲にいたおかげだろうか、彼らはこちらに近づいても来なかった。
マニラから10日程でブルネイに着いた。警備の村上水軍兵を船に残し、凶らと共に上陸した。
ブルネイは湾を取り囲む様に多くの水上家屋がひしめきあっているが、王宮だけは地上にあったのだ。風通しの良い大きな葉を載せた王宮は涼しく快適だった。
ブルネイ王のスルタン、アブドゥル・ジャリルル・アクバルから『娘を助けて下さりありがとう。』と言われた。
ラディン王妃は王女と暫し泣きながら抱き合った後、
『本当に何とお礼を申し上げればよいか。海賊に連れ去られたと聞いた時は、娘の行く末を思うと生きた心地がしませんでした。本当にありがとうございます』と言われた。
「海賊というのはスールー王国ですかな?」と問うたが、王妃は
『いえ、私達とスールー王国は共にムスリムの国なので良好な関係にあります。捕らえたのがブルネイの王族の娘と知ったら直ぐに返してくれたでしょう。娘を連れ去ったのは別の海賊です』
ということはやはりエスパーニャは人攫いもやっているのか。と思ったが、折角救助した王女に誘拐された時の辛い出来事を聞くのも憚られたので胸にしまった。
その夜は豪華が夕食で持て成された。マンゴー、ランブータンと言った南国の果実は実に美味だった。その席でラディン王妃はジャワのマタラム王国の王女であることが分かった。
翌日はスルタンに王妃、宰相も交えての会談を行った。ブルネイにはお願いしたい事があったのだ。それは、ブルネイのあるこの島ボルネオでの資源の採集である。直光から預かっていたボルネオ島の地図を見せる。初めて見る自らの住まう島の地図に一同驚いていた。だが、彼らを笑う事は出来ない。私らも直光から地図を見せられるまでは日ノ本の正確な形を知らなかったのだから。
やがてスルタンは人を呼びに行かせた。やって来たのは水軍の長のようだ。水軍の者なら海岸線にも通じているので地図を読むにも適していると判断したのだろう。そして、それは正しかった。水軍長は、島の左側を指し『この辺りは我らの領土内です』と言った。そして島の右側について『ここはスールー王国が支配している筈です』と答えた。直光が地図に記したセリア、ミリといった地名は通じなかったが各地の場所は分かったようだ。
スルタンは
『娘を救出して貰った礼を何にするか迷っていたところだ。領内の資源採取は全べて認めよう。必要なら領民を使役してくれてかまわない。現地までは我が水軍が護衛に付こう。スールー王国にも書を認め資源採取に協力するよう要請する。彼らもエスパーニャとは険悪でな。あなた達がエスパーニャ艦隊を破ったと知ったら英雄扱いして協力してくれるだろう』と言ってくれた。
更に王妃がジャワのマタラム王国の出身であると知ったので、
「実はジャワでも資源採取をしたいので口添え願えませんか」と頼んだところ、ジャワ島にあるバンテン王国、マタラム王国宛てに協力を要請する旨書状を書いてくれた。
その上、昨日から通訳を務めてくれていた救助した女性の一人が『私もマタラムまで同行します』と名乗りを上げてくれた。彼女は名をアイシャといい王女の従者を務めていたが、元々は王妃に従いジャワから来た人だという。ジャワの言葉も話せるとの事で喜んで同行して貰う事にした。
その後は周辺の国々の情勢を教えてもらう。直光も地図は書けたが、この辺りにどんな国があり相互の関係はどうかは知らず、倭寇の凶からの情報だけが頼りだったのだ。海賊が手に入る情報と一国のスルタンが持つ情報では内容に違いがある筈で、特に国同士の関係はスルタンの方が詳しいのだ。直光から預かったもう一つの地図を出し、どんな国があるか聞き出し地図に補記していく。以下、スルタンや宰相から得た情報だ。
・マレー半島にあるのはジョホール王国。ポルトガルに王都マラッカを追われ新たにできた国。
・スマトラ島は南部はバンテン王国、北部はアチェ王国。
以上全てがムスリムの国で、同じムスリムの交易国ブルネイとはいずれも良好な関係にあるという。今回の大きな目的地の一つスマトラ島中部のパレンバンについては、『二年前にバンテン王国がパレンバンを攻めたが、反撃にあいバンテンのスルタンが戦死して攻略に失敗した。パレンバンは未だに彼の地のスルタンが治めているが、そのような経緯からバンテン王国との仲は良くない』とのことだった。
また、スルタンは『同じころバンテン王国の港にポルトガルともエスパーニャとも異なる国の船がやってきて狼藉を働いたと聞いた』と語った。その国の名は”ベランダ”だという。その後、ブルネイ水軍の護衛を受けて三つ者率いる施設採掘部隊総勢100名がセリア、ミリに向かい、スールー王国からの返答を待って東部のタラカン、サンダカンに向かう事になった。
残るバリクパパンはどこの国の領土でもないとのことで、ブルネイ水軍の護衛と共に施設隊100名が風魔の山師と別動隊を結成し探検に向かった。
ボルネオ島というのは英語オランダ語で、インドネシア語ではカリマンタン島です。この時代、イギリスもオランダもまだボルネオに到達してないので、どちらの表記にしようか迷いましたが、ボルネオの語源がブルネイという説があるそうですので、ボルネオと表記する事にしました。




