1598年2月22日 ウラジオストク
ウラジオストクという名は後世にロシアが付けた都市名ですが、この時代に何と呼ばれていたかわからなかったので、この名を使用します。
聖徳太子所縁の法隆寺が火竜に襲われた。という事件が日ノ本中を駆け巡り、唐招提寺、東大寺といった荒廃した奈良の古寺から僧達が皆逃げ出し無人となっていた頃、現代で言うところの沿海州ウラジオストクに羽黒党、真田衆の忍びが男女合わせて10名程上陸していた。何れも伊能忠敬ことフース・デ・クレメルに測量術を学んだスペシャリストである。女性は皆3年前に密貿易船に乗ってやって来た女真族を始めツングース系の者だ。歩き巫女としての訓練を終えくノ一として成長した彼女らは現地人との通訳として同行している。
このウラジオストクだが、明朝最盛期は奴児干都司という軍事機関が設置され北方民族を治めていたが、明の国力が衰えた現在は再び女真らツングース系民族の支配域となっていた。
彼らの目的はウラジオストクからハンカ湖までおよそ100km程の運河を建設する為の測量調査である。これまでの調査で、上流部の多くは湿地帯であり下流50km程はスイフン川という川が日本海に注いでいることが判明しており、急峻な峰が並ぶ日ノ本での運河建設より容易と考えられていた。
この運河が開設できればハンカ湖からはウスリー川が流れ大河アムールに注いでおりシベリア奥地までの船でのアクセスが可能になる上、ハンカ湖の西300kmの地には大慶油田が存在するのである。日ノ本の未来の為には何としても確保したい地域であった。300kmもの運河建設となると超大事業だが幸いハンカ湖から北西100kmの位置にスンガリ川が流れ大慶油田周辺の湿地帯の近くまで注いでいる。
だが、運河建設の基本は爆破工事であり、地元民を不用意に敵に回さぬよう情報調査も重要な要となる。
街の明人から聞き取った話では、この辺りは明からは野人女真と呼ばれる一帯であり、特に領主のような存在はいないとのことだった。
女真族という種族はこの地より遥か西に多く居住しており、しかも女真内部でも多くの種族に分かれ互いに争っているという。時々、野人女真の地域にもそれらの中の部族が攻めてくる事があるらしい。
明国は広大な東北部を統治しやすいようにあえて女真族を小規模種族に分断し互いに相争わせていたのだ。そして、その女真族の住む地の中でも辺境の地域を政治的統率の取れていない野人の地・野人女真と呼称しているのだ。
更に女真族はシャーマニズムの宗教であり、中でも”始祖の女神アブカハハ(天神)が大地の女神バナムハハと星の女神オトロハハ作った”という逸話がある程女神信仰の強い種族だと言うことも判明した。
・ウラジオストクからアムール川まで続く大慶油田を含む広大な土地が政治的統率の取れていない土地。
・運河建設域は湿地が多く距離の割に建設は容易。
・住民特有の宗教は強い女神信仰。
これらの情報は日ノ本に持ち帰られ野人女真地域攻略は練られていくことになるのだった。




