(新暦)1598年2月21日 火竜襲来
本話以降、日付は全て新暦(太陽暦)となります。
改暦初日となったこの日、法隆寺の管主ら重役たちは松の内が開けたこの日、早朝より都に出発していた。目的は例によって幕府に寺院の大切さ重要さを説くためと、寺領における税の免除、もっとはっきり言えば金の無心である。法隆寺は聖徳太子所縁の名刹だが、この時代の斑鳩はかなりの田舎と化しており、往時の力は当に失われていた。それ故に戦乱の時代の被害を受けないで済んだのだが、都や奈良の寺が力を失っている今、幕府を説諭し仏寺の重要性を認識させればかつての威光を取り戻せるという野心があったのだ。
大和川を舟で下り都へ向かう一行の上空を聞いたこともない不気味な音が通過したかと思うとその数分後に出立した斑鳩あたりから大火が上がるのが舟上からも確認できた。
『空だ!!』
誰ともなく声をあげたので皆上空を見上げると、そこには不快な音と共に腹から卵を産む怪異が飛んでいた。その卵は地面に落下すると大火を生み出しているのだ。
唖然としながら、その地獄図絵を眺めるしかない一行。やがて管主が
『もしや、朱雀か?』
と震え声を絞り出した。
船頭も恐怖に座り込んでしまった一行はそのまま流されるままに下流に落ちて行った。
*少し前、摂州(旧摂津国)堺沖合*
堺の沖合に停泊した1隻の三胴船から1機のティルトローター機が飛び立った。目標は和州(旧大和国)・斑鳩の法隆寺だ。堺沖合から斑鳩までは片道30km程、既に海上での飛行訓練、爆弾投下訓練を繰り返してきた精鋭チームにとっては苦もない任務の筈だった。この作戦で使用される爆弾は現代で言うところのナパーム弾(焼夷弾)である。爆弾に必要な信管については現代でも機密事項が多いので詳細は割愛するが、原始的な瞬発信管ならこの時代の素材でも製造可能だ。
ナパームとはナフサのナとパーム油のパームから取った造語だという。日ノ本ではパーム油は採れないので、今回はナフサと一昨年大量に打ち上げられた鯨からとった鯨油から抽出した増粘剤を使用している。さしずめナクジ弾といったところだろうか。
時速100キロで飛行するティルトローター機は20分程で斑鳩上空に到達した。
だが、試験飛行を兼ねているこの作戦では安全面を考慮して斑鳩上空でのホバリングは禁止されている。従って空爆は現代の爆撃機と同様に行われる。
ところで、高度300メートル上空から眺める斑鳩は田畑の中に古寺が点在し、どれが法隆寺なのか見分けがつかない。何しろ、この時代、上空からの景色に慣れている者はいないのだ。しかも、和州(旧大和国)の詳細な地図もまだ存在していない。従って自然、寺らしい建物への無差別爆撃となった。
冬の乾燥した気候で木造建築は非常に良く燃える。この燃焼性の良さが命中精度の悪さを補ってくれた。結局、1時間程の爆撃で10寺程の寺を焼き試験飛行は無事成功し機は堺沖合に帰還した。
この空爆で、法隆寺、法起寺、法輪寺、吉田寺、斑鳩神社ら斑鳩地域の多くの寺院が廃墟と化した。
各寺院の周辺は田園地帯であり休耕期で領民の被害は少なかったが、空から火を降らせる怪物の出現に周辺領民は、
『火竜が現れた』
と恐怖に震えた。竜とティルトローター機は似ても似つかないが、上から火を降らす化け物の姿を冷静に眺める者など誰もいない。
多くの寺院が炭と化した中で奇跡的に延焼を免れたのは法隆寺の西院伽藍だった。これは、爆弾投下手が法隆寺の五重塔と北に隣接する法輪寺の三重塔を見間違えたという説と、偶然、風向きの関係で被害を免れたという説があったがはっきりとしたことはわからない。
その後、外壁が焼け焦げた西院伽藍だけになった法隆寺は、周辺領民の手によって同じく延焼した斑鳩神社と合祀され、火竜や鳳凰を祀る鳳竜神社として再建されることになる。
帰還したティルトローター機を製造に参画した各種の職人達が待っていた。大将軍・直光からはこれが最後の飛行だと言われていた。自分達の夢を詰め込んだ可愛い作品の無事の帰還を喜んだ。
こうして、史実より500年も早く実戦使用された世界初のティルトローター機は航空機史上に記録されることすらなく、その役目を終えた。
世界最古の木造建築群は生き延びたようです。
私はオスプレイ大好きなので強引ですが本作に登場させました。ティルトローターの民間機早く実用化されないですかね?消防庁あたりがドクターヘリに採用して欲しいです。




