1596年12月31日 幕間・代官役所と冒険者義浪党
先月発布された即位の詔により日ノ本の大改革が始まった。
廃刀令により偉そうに刀を腰に差した所謂武士はいなくなり、侍を継続する者は各地に設けられた軍務省の出張所に向かった。また、伊達政宗、島津義弘といった家臣共々、軍務省旗下に加わる者は陸奥、九州に多く一度に受け入れられないので当面、旧領地に止め置きとなった。
また、野獣対策に集落・村単位で武器の所有を望む場合は、各地の代官役所や地方に設置した役所出張所に届けを出し、武器に認可印と通し番号を押された。因みに認可される武器は刀、槍、弓、薙刀であり種子島は認められていない。そもそも火薬の製造は軍務省統括となり一般販売は認められなくなったので銃を所有しようとする者は皆無だった。
即位の詔から僅か二か月で役所や地方の出張所を設置できたのは、正に内務大臣・北条氏資の敏腕ぶり発揮である。
特に田舎の出張所は詔のもう一つの重要事項、寺への締め付けが関わっていた。
寺僧による説法の禁止、戒名の授与禁止、寺領への納税、賽銭箱禁止、お布施で高額な金品を要求された場合の訴訟推奨。
檀家衆と良好な関係にある寺は影響が少なかったが、阿漕な搾取を繰り返していた寺はあっという間に窮地に陥り坊主達が夜逃げする事態が相次いでいた。
もとより、秀吉時代の刀狩りで寺は武装解除され僧兵などいなかったので、幕府の決定に抗う手段は坊主側にはなかったのだ。
こうして各地に出来た無人の寺を内務省が接収、邪魔な仏具を処分し出張所として再利用していったのだ。
そして、この出張所内に新たに設置された”冒険者義浪党”もあった。
冒険者となれば合法的に銃以外の武器を所持することができる。勿論、依頼以外で私用した場合は冒険者資格をはく奪され厳罰に処されるのだが。
*播州・有子山城下 冒険者義浪党*
有子山城は城主の前野長康が6年前の小田原出征以後帰還せず、長らく老齢の城代らが治めていた地である。現在は山頂の城は廃城、山麓の館のみ播州代官役所の出張所兼冒険者義浪党となっている。
この義浪党に近隣の山裾の村から依頼が来ていた。どうやら冬眠に失敗した熊が暴れまわっており農民では手が出せないという。
この依頼を受けたのは元は浪人だった冒険者だ。
依頼の村に赴いた冒険者を待ち受けていたのは農民の明らかな落胆の表情だった。何故なら来たのは冒険者たった一人だったからだ。
村長が冒険者に言う。
『折角、御出でなさったのに申し訳ないがあ奴を仕留めるのは一人では無理だ。ましてや十手なんぞで』
そう、冒険者が持っていたのは刀でも槍でもなく十手だったのだ。
だが冒険者は、
『問題ない。折角、大手を振って肉が食えるようになったのだ。十手であれば無駄な傷を付けず綺麗に熊を仕留められる。案内人を一人寄越し、皆は熊鍋の用意をして待っておれ』
と言って譲らないので、仕方なく若い者を一人案内役に付け山に向かわせた。
果たして、熊は直ぐに見つかった。冬の枯れ山に木の実や蜜蜂の巣などある筈もなく、人里の畑も今は休耕地だ。空腹で相当気が立っているようだ。熊はドングリや蜂蜜が好物だが雑食性で食料が無ければなんでも食べる。勿論、人間でさえも。山で出会った御馳走に熊は直ぐに飛びかかって来た。案内役の若者は大慌てで逃げ出して行った。本来、野獣に後ろを向けて逃げるのは悪手なのだが、ここには冒険者がいた。若者を追おうとする熊の前に立ちふさがった冒険者は怒り狂った熊が振り下ろした右手の爪を十手で受け止め熊の怪力を利用してその右手を捻り上げた。いよいよ怒り狂う熊だが武器である右手の爪を十手に絡めとられ、腕を捻られそのまま後ろに回られては大牙で嚙みつくこともできない。冒険者は器用に熊の背に乗り、左手を熊の首に、両足を熊の胴に絡みつき締め上げはじめた。熊は二本足立ちしてもおよそ150cm程、この時代の日本人とほぼ同じ身長である。じわじわと締め上げる事およそ一時間。激しかった熊の鼓動が大人しくなってきた。酸素欠乏である。そろそろ仕留め頃と思った冒険者は十手から熊の右爪を抜き両手で首を締め上げた。そのまま更に一時間。今やピクリとも動かなくなった熊の心音を慎重に探る冒険者。少しでも息があれば締めを解いた瞬間に反撃される恐れがあるのだ。やがて、首を絞めたまま器用に熊の両鼻の穴に十手を捻じ入れた。生きていれば苦しさ不快さで暴れる筈だ。そのまま暫く待っても熊は動かなかったので、彼は漸く熊の死亡を確信した。
その頃、彼の戻りが遅いので心配した村人達が逃げ出した若者を先頭に様子を見に来た。
そこで村人たちは糞尿を垂れ流して絶命している熊とその隣で涼しい顔で佇んでいる冒険者を発見した。
冒険者は、
『丁度良かった。今からこいつを運ぶのに人を呼ぼうと思ってたんだ。胆嚢も肉も綺麗に仕留めたぞ』
驚く村人達にそう言うと、彼は先に村に戻った。
村では女衆が半信半疑で熊鍋の準備をしていたが、冒険者が戻ってきて熊を仕留め皆で運んで来ると知ると大歓声があがった。
その夜、熊の解体を終え、取れたての肉に高級品の干し椎茸を使用した熊鍋を冒険者共々皆で堪能しそのまま元旦を迎えた村人達は、村長が依頼達成の印を押し、
『御武家様。あいや冒険者様。この度は有難うございました。報酬は義浪党に預けてありますが、これは儂らの気持ちです』
そう言って一折程の干し椎茸を差し出してきた。
『おお、これは忝い有難く頂戴しよう』
受け取る冒険者に村長が尋ねる。
『昨日の熊を仕留める鮮やかな手際。さぞかし名のあるお方とお見受けしました。よろしければお名前を頂戴できませんか?』
『拙者は、新免無二と申す。子供がまだ小さいので体を張っているだけのしがない冒険者だ』
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