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1596年11月27日 佐倉城帰還

都での引継ぎを終え、佐倉城に帰還した。と言っても公地公民が施行された以上、この地はもう伊勢領ではない。本来なら俺は軍務大臣なのだから、房総始め全国にある旧伊勢領の家臣達に武将となるか文官になるか決めてもらい、自分は家族や側仕えと共に都に移住すべきなのだが、都が地震の勢で復興途上のため、今しばらく佐倉に滞在することになった。


家臣達の身の振り方だが、


佐渡、北常陸の家臣は全員文官。


武将を選んだのは弟雄二こと伊勢直雷夫妻、立花夫妻、弥助、垪和康忠、千葉重胤、蒲生氏郷、真田幸村、中山家範・中山照守父子、土岐頼春・土岐頼実兄弟、松田康郷・松田定勝父子。武勇の者が多い中、事務仕事もこなす塀和と千葉が仕官してくれたのは嬉しい。


相馬秀胤は自分が関わった釜石高炉の仕事に従事したいとのことで資部省に仕官したいとの事だったの推薦状を認めた。


その他、小金城主・高城胤則、高井城主・高井胤永、守谷城主・相馬治胤が文官を選択した。恐らくこの中から総州の代官が決まるのではないか?


又、名胡桃城城代の真田昌幸が氏照さん中山家範経由で武将としての仕官の意を伝えて来た。息子の信繁改め幸村でなく中山を通してきた事に筋を通そうという意が感じられる。


しかも、嫡男・信之は文官になると言う。自分は信用されてないと考えたのだろう、嫡男を文官として国内に置くことで人質の意味を持たせたのだ。ここまでされては、仕官を認めないわけにはいかない。真田の忍びも多く軍務省情報局に加える予定だが、今更、国外まで出て裏切る事はないだろう。


他に北条領内からの武将仕官は氏光領の旧徳川家ゆかりの者が多かった。


河窪信俊、酒井家次、松平忠康、松平信吉、松平忠頼、保科正貞、水野忠清、本多忠朝の8名もいた。氏光が嫌いという訳ではなく相良油田での研究開発の事を伝え聞いており、新兵器での戦に関心を抱いていたからである。


他には氏盛君の美濃にいた宇喜多秀家も仕官してきた。

氏房領からは佐竹義宣、太田資武、那須資晴、壬生義雄が仕官した。

畿内の上様直轄地からは藤堂高吉も仕官してきた。


北条領内の主な仕官者は以上である。

これに伊達政宗始め奥羽勢、島津義弘等九州勢が武将級である。

彼らは自ら船を操舵したり飛行機を操縦するわけではないから訓練は必要ないが、新たな兵器を理解し兵法・軍略を磨いて貰う必要がある。

また、全国各地の水軍衆はほぼ全員が仕官を表明した。伊勢家の船の速さは全国に知れ渡っているので、当然かもしれないが全員雇用したら船が足りない。嬉しい悩みである。

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