1596年11月23日 財務大臣・山角直繫
この日は、財務大臣に就任した山角直繁との会合だ。かつて、技術開発家老時代は勘定方の山角定勝さんからは金食い虫のように思われ何かと強く当たられたものだ。直繁は小田原時代からの上様の側近であり、山角姓ではあるが定勝の嫡流ではないという。
俺は直繁とは初対面と思っていたのだが、彼によると小田原合戦時に会っていると言う。当時、やはり上様の近習だった北条氏隆に従いアルキメデスの熱光線に参加していたそうだ。要領を得ない氏隆に代わって八面六臂に駆け回り鏡の向き角度の調整を指示していたのをよく覚えているそうだ。当時の俺は伊勢を名乗る前で二曲輪という偽名を使用していたが、あの時の二曲輪猪助が今の伊勢直光だと直ぐに分かったという。
あの時はアルキメデス光線を再現したくて正体隠すのも忘れ必死に立ち回っていたから、バレていても仕方がない。実際、あの一件で小田原城下では”お天道様”なんて二つ名が付いたのだし。
そんな昔話に花を咲かせ、すっかり和やかな雰囲気になったところで、直繫に一つ提案する事にした。それは北条札の刷新だ。
今まで、北条札は意図的に偽札を作り易いように戦国時代からの紙幣をそのまま使用してきていた。倭寇を使って北条札を広め現地で偽札を作らせる事によって日ノ本経済圏に取り込もうという意図があっての事で、実際、明南部ではかなり浸透していると言う。
因みに現在の北条札は、現代の価値で言えば、十円、百円、千円の三種類である。
俺はもっと高額の紙幣を作ろうと提案したのだ。
現代日本の紙幣で使用されている”透かし”は越前和紙の技術から取り入れられたという。そして、この時代の越前和紙にも既に透かしの技法は存在しているということが分かっている。流石に高額紙幣は偽札防止機能は必要だから、越前和紙の職人を財務省に招いて、新札の研究をしてみてはと提案したのだ。何しろ幕府の扱う予算や全国からの徴税にも使用される北条札だ。最高額が千円札相当ではいくら蔵を作っても足りない位になってしまうだろう。
もう一つは通貨単位の刷新だ。この時代の通貨の単位を”文”というが1文の価値は表現できないくらい小さく、永楽通宝(大陸銭)の場合は通貨の真ん中に開いた穴に紐を通し大量の通貨を縛りこれを1貫と称している。この重い通貨の束が1貫文という訳で、実質上、この時代の通貨単位は”貫文”と言っても言い過ぎではないだろう。
新しい通貨単位は現代と同じ”円”を提案した。因みに明国の通貨単位は”両”で史実では徳川幕府もこれを取り入れるのだが、この世界では明国とは交易していない上、且つて南蛮船を通して輸入していた生糸も、今では戦乱の終了による農業の安定と化学肥料による桑畑の収穫増大によって、ほぼ絹は国産で賄えるようになっていた。薬用人参は佐久平で栽培が始まっているし、磁器はまだあまり日本には入って来ていない上、資部省に有田焼、九谷焼といった国内の磁器の原料を取れる地域を教えるので、輸入する事はないだろう。
仮に”円”が採用されるとしても1円を何貫文とするのか?透かしを入れる紙幣はどれくらいの額からか?旧紙幣と交換する現代でいう銀行にあたる役所の設置も必要となる。非常に大きな仕事だが、いつかは枯渇する金、銀に頼った通貨より安定した経済基盤となるのは間違いないので是非取り組んで欲しいと伝えた。
ところで、現在は金山銀山の採掘は最小限に留めている。南蛮船との交易にも北条札が使用できる事が大きな理由だし、そもそも、国外から交易で輸入したい品物が少ないという理由もある。輸入したいのは石油、ボーキサイトなどだがこの時代の商人は扱っていないので、三つ者や山師を乗せた艦隊を派遣し自ら採掘する必要がある。
つまり、新札発行は大仕事だが時間も充分にあるということだ。
幸いなことに直繁は勘定方の経験もあり、聡明な人物でもあったので、これらの仕事の大変さ重要さは良く理解してくれた。
こうして山角直繫と良好な関係を築けたことは重要だ。軍務大臣の俺としては、直繁と懇意にし、軍事支出とそれに伴う資源確保というリターンを財務大臣に説明、理解してもらえれば、莫大となる軍事費の捻出に便宜をはかって貰えるだろうし、そうなれば、日ノ本の国益に大きく貢献するのは間違いないのだ。




