1596年11月20日 冒険者ぎるど
小西行長、有馬晴信の商人転向と加藤清正の造営省仕官が認められ、即位の詔の内容は一通り全国に受け入れられた。小西、有馬、加藤他、武将として仕官した大名の領地には幕府より新たに代官が派遣されることになった。
また、古代の律令制以来の国制の見直しも行われた。
”国”という呼称を廃し”州”と呼ぶことになった。現代人としては”県”なのだが、この時代の”県”は非常に小さい行政区域という認識なのだそうだ。合わせて旧国の統合も実施された。
筑前・筑後→築州
肥前・肥後→肥州
豊前・豊後→豊州
備前・備中・備後→備州
周防・長門→長州
伊勢・志摩→勢州
下総・上総・安房→総州
等々だ。
このように、新体制の詳細が徐々に決まって行く中で、俺は板部岡さんに呼び出され、
『就任する各大臣達に、其方の今までの実績や、今後やろうとしていた構想をよく引き継いでおいてくれ』と命じられた。確かに各省の素案を出したのは俺だから、大臣に就任した人には出来るかぎり話をし相談事があれば聞くべきだろう。
新体制の各地代官には徴兵権はない。日ノ本全土の治安は内務省の統括となる。このため、現代で言えば各県警にあたる警察組織が必要となるのだが、武士は軍務省の配下であり全べての州に配置されるわけではない。軍の拠点は十三湊と長崎となる予定だ。
そこで、俺が内務大臣になった北条氏資に提案したのが”冒険者ぎるど”だ。
そう、異世界物の定番、あの冒険者ギルドである。
幕府には徴兵権はあるが、当面は兵は募兵し専門職として育成していく予定だ。
というのは、エンジン駆動の船、既に浮上に成功したというヘリコプターや飛行艇、大砲や銃の整備などこれからの兵は専門性の高い職務になるからだ。
なので、折角募兵に応じてくれた人でも適性なしと判断されれば、不採用となる。
しかし、ただ不採用として故郷に帰すのは余りにも不憫ということで、各地に設置する冒険者ギルドへの紹介状を持たせて帰すことにしたのだ。
冒険者ギルドの役割は異世界物と同様、州内の様々な依頼を受け付け冒険者に斡旋、依頼を達成したら報酬を受け取るという御馴染みのものだ。
依頼内容には野獣退治から野盗の討伐まで含まれる。刃傷沙汰によっては代官から捜査権・逮捕権を付与した依頼がなされることもある。地方の治安維持には有用だろう。
真田幸村がいなければ作ってしまえ!
と同様、冒険者ギルドがなければ作ってしまえ!というわけだ。
既に肉食が解禁されたので、都や小田原、佐倉では串焼き屋台も出始めている。
中世ヨーロッパの街並みは無理だが石畳と馬車は走るようになるだろう。
幸いなことに内務大臣・北条氏資は”冒険者ぎるど”に大変興味を示してくれた。この時代はどの職種でも家業は長子が相続するのが基本だ。このため、次男以下は新たに職を得ないといけないが、自分にあった職業を見つけるのは中々難しいものだ。その点、冒険者として登録しておけば、依頼内容に応じて様々な仕事を体験できるうえ、依頼者との知己を得る事も可能だ。戦乱の世が終わり、食事や衛生事情が改善され乳幼児の死亡は減ってきているのだ。となれば、やがて増えた人口が成人したら、彼らを満たすだけの職が必要となる。その意味でも冒険者ぎるどは有用だと氏資は考えたのだ。彼の考えは現代で言えば職業体験付きのハローワークみたいなもので、異世界物のような冒険者として名を成す人物の誕生までは想定していないようだ。
この時代、既に浪人という言葉はあった。主家を失った武士のみならず全ての流浪の者を指す言葉だが、氏資はこの言葉をもじってギルドに”義浪党”という漢字を充てた。
冒険者はパーティつまり徒党を組むこともあるので党という字を充てるのも適当だろう。
食うに困った浪人が野盗に落ちるのを防ぐ意味でも良い言葉だと思う。
”ぎるとう”と読まれて広まってしまうかもしれないが、それくらいは妥協しようと自分に言い聞かせた。