1596年10月24日 鞍馬天狗
大評定を終えた翌日、俺は鞍馬天狗の呼び出しを受け会見していた。場所は9月に密談したのと同じ宮中内の離れである。
『大評定の事は一通り聞いた。先ずは大将軍就任おめでとう、伊勢殿』
「いや、青天の霹靂といか、予想外の事で実は少々戸惑っているのだ。適当な武人を大将軍に祭り上げ、俺は影から軍を操縦したかったのだがな」
『まあ、裏仕事の忍びとしてはその方が慣れているからな。だが、伊勢殿が以前言ったように国外は日ノ本の何十倍も広いそうではないか。そんな広い地域を進軍する軍を影から操作するのは、如何に全忍びの頭領である伊勢殿でも難しいのではないか?その点、大将軍であれば堂々と軍に指令を出すことが出来る。結果的に良かったのではないか?』
「確かに鞍馬殿言う通りだな。影からの操縦だけでは限界をきたしたかもしれん」
実際、鞍馬天狗の言う通りなのだ。俺は軍をシベリアに派兵するつもりだ。資源の宝庫であるシベリアはどうしても欲しい。だが、確か17世紀に入るとロシアがシベリアに進出してくるのだ。出来るだけシベリアの西でロシアと対峙したかった。となると、長期の出兵は避けられない。一方、やはり資源の宝庫である東南アジアから現代のオーストラリア。ここはそう脅威となる敵はいない筈なので倭寇を中心とした派兵を考えていたが、シベリアとオーストラリア両方に展開する兵を影から操縦するのは不可能だろう。何しろ、最も速い通信手段は伝書鳩という時代だ。そして、思わぬ形で手に入ったやはり資源の宝庫ヌエバ・エスパーニャへの伝手。現代で言えばアメリカ・メキシコから南米に至る広大な地である。折角手に入った駒、土佐に逗留している司祭達を使って調略したかった。
今回の大評定でも俺が裏世界・忍びの頭領であることは変わらなかった。そもそも幕府とは表の世界の話であり、俺が全忍びの頭領であることは大評定の場にいた者も誰も知らなかっただろう。つまり、現状俺は日ノ本の表の武力と裏の諜報・調略のトップということになる。そんな黙考を破るように鞍馬天狗が声を発した。
『伊勢殿。主上も代替わりしたこの機に某も鞍馬天狗から身を引こうと思っている』
!!あまりの事に言葉が浮かばない。今回の新幕府に至るまでの一件で鞍馬天狗の果たした役割は非常に大きかった。
『そもそも、鞍馬天狗というのは常設の地位ではないのだ。帝が特に必要とした場合に限り設置される特別位のようなものだ。役割上八瀬を従えているが、別に八瀬の頭領が鞍馬天狗というわけではないのだ。実際、某は八瀬の出身ではない』
鞍馬天狗はそう言って黒頭巾を取り去った。初めて見るその顔は思っていたより年嵩な男だった。
『年寄で驚いたか?室町幕府が機能しなくなり戦乱の時代になってから、当時の御柏原天皇。今の主上の4代前の帝が身の危険すら感じて鞍馬天狗を任命したそうだ。以来、某で2代目になる。それ以前は南北朝時代に一度、平安の世末期に一度。都合、4人しか鞍馬天狗はいないのだ。初代の鞍馬天狗は伝説にある通り義経公を指導したりしたのだろうな。当時も戦乱の世であったからな』
一度、言葉を切った鞍馬天狗は
『今は戦乱の世ではないうえ、主上と幕臣は旧知の仲だ。鞍馬天狗はもう不要だろう。だがもし、主上が鞍馬天狗を必要とした時、その任を全うできるのは伊勢殿、其方しかおらんと某は考える』
鞍馬天狗はそう言うと傍らから真新しい一着の黒装束を取り出し俺の前に置いた。
『万一に備え、その装束を持っておいて欲しい。鞍馬天狗は必要とあれば主上の枕元に参じる事もあるのだ。そのような信頼関係を現帝と結んでいる忍びは其方しかおらん。どうか頼む』
鞍馬天狗はそう言って頭を下げた。主上つまりご隠居様の枕元に立てる忍びは俺、というかこの体の持ち主、先代・風魔小太郎しかいないだろう。
「承知しました」
そう答えるしかなかった。どうみても自分より年嵩の鞍馬天狗に無意識に敬語を使っていた。
『良かった。今の安定した日ノ本ではまず鞍馬天狗は必要ないだろうが、一応後任が決まってホッとしたわ』
一息ついて鞍馬天狗はまた語りだした。
『実は某は其方が嫌っていた公家の出なのだ。名を近衛前久という。最も10年前に隠棲しておるがな』
近衛家は公家の中でもかなり高位の家だった筈。ん?公家?ということは?
「もしや、自らの家である近衛家の当代も捕らえ延暦寺に詰め込んだのですか?」
『いやいや、流石に我が子に手を掛けるほど某は鬼ではない。近衛家の当代は我が息子、信尹と言ってな。元々公家衆の中で浮いた存在だったのだ。そもそもあ奴は公家よりも武将になりたがっていたくらいでな。腐った公家共を一掃すると言ったら喜んで協力してくれたぞ。幕府から新体制が発布されたら信尹は其方の元に仕官しに行くかもしれんから、その時はよろしく頼む』
そう言って鞍馬天狗こと近衛前久は笑った。
因みに延暦寺に閉じ込めていた公家とその家族達は、お白いがすきそうだったので、家族ごとにカムチャツカやアリューシャン列島の島々に流した。彼らの家からは豪華絢爛な錦の衣装などが大量に出て来たので、いくつか返してやったので凍死する事はないだろう。
「鞍馬殿。いや近衛殿とお呼びした方がよろしいか?今後はどうされるおつもりで?」
『某は織田信長殿とは刎頚の友だったのだ。その縁で尾張の熱田神社とも縁があっての、今後は親子で熱田に奉公しようと思っている。既に先方の宮司も了解している。表向きの近衛前久の隠棲先は慈照寺なのだが、そなたは仏寺なんぞ、どうせ廃寺にするつもりなのだろう?』
全てお見通しか。俺は慈照寺こと銀閣寺と、金閣寺は地震による荒廃を放置し干上がったら廃寺にして庭園として再興したいと上様や造営省に働きかけるつもりだったのだ。俺が頷いていると
『さて、実はそなたに預けたい者がいるのだ。おい!入ってまいれ』
鞍馬天狗が声を掛けると一組の男女が現れた。といっても女は若く、男は鞍馬天狗と同じくらいの年齢だ。
『鞍馬天狗は帝の目であり耳である。だが、某一人の目耳では限界がある。八瀬は都から出ないしな。そこで、この者達の出番となる。ここにおわすは全忍びの頭領・伊勢殿だ。二人とも挨拶いたせ』
促され、挨拶が始まった。
『伊勢様。お初にお目にかかります。手前は仙巖斎と申します。蹴鞠の一座を率い諸国を回っております。近年は伊勢様のお陰で運河が整備され巡業が捗るようになりました。誠に有難うございます』
『伊勢様。同じくお初にお目にかかります。クニと申します。かぶき踊りの一座の一人として主に西の国々を回っております』
鞍馬天狗が呆れ気味に、
『それだけか?二人とも相変わらず口が堅いの。仙巖斎は且つては大名での。元の名は今川氏真。嫁は主上の妹君だ。折角、京に来たのだから主上にあってはどうかと言ったのだが、2人とも恥ずかしがっての。だが、情報収集の腕前は一流だぞ。蹴鞠一座として各地を回りながら様々な情報を届けてくれる』
『クニは鉢屋の出でな。最初は出雲大社で巫女をしていたのだが、退屈な仕事だったようで、芸事の一座に入り主に西国を回りながら、手に入れた情報を届けてくれていた』
『伊勢殿は国外に派兵するという事は忍びも多く連れて行くのだろう。手薄になった国内の諜報に彼らを使ってやって貰えぬか?某が鞍馬天狗を引退したら二人とも後ろ盾が無くなってしまうのでな。何卒宜しく頼む』
再び頭を下げられた。実際、新制軍では多くの忍びが諜報任務だけでなくパイロットに転身することになるだろう。となれば、国内の抑えとして二人は有用だろう。
「良き人材を紹介いただき有難うございます。仙巖斎殿、クニ殿、以後よろしく頼む」
2人とも
『『こちらこそよろしくお願い致します』』
と応じた。
直光こと孝太郎は全く気が付きませんでしたが、クニとは出雲阿国です。




