1596年10月23日 将軍家大評定4
その後は幕府内のに設置する部署の検討に移る。これまで北条幕府では室町幕府の体制を踏襲してきたのだ。簡単に言えば北条家以外の各地の大名を守護大名とし、その上に探題を置く。一方、幕府内は評定衆(建前上は最高政務機関だがあまり機能せず)、政所(幕府の財政と領地に関する訴訟を取り扱う)、侍所(現代の警察機関)、問注所(現代の裁判所)という、何とも頼りない体制だったのだ。無論、上様以下幕臣もこの体制を良しとしていなかったが小田原から赴任してきた者達で固められた幕府には直轄地である畿内での人材発掘も思うように捗らず、更に公家衆との付き合いに時間を多く割かれ中々改革に着手できなかったという事情があった。
だだ、煩い公家がいなくなり、新たな帝はご隠居様となれば、もう邪魔をする者はいない。幕府の機構改革にも好機だったのだ。
素案を作った俺は、最初に発言した。
「各省の名称は有識者の皆様で適切な名を付けてください。ただ、軍務省つまり日ノ本軍については名称はお任せしますが必ず設置してください。統治に向かない荒くれ物を一括りにする機関です。日ノ本の安定に絶対に必要な機関です」
「資源技術開発省も同様です。公地公民制となれば我が伊勢領はなくなります。大筒や船の改良を更に推進するには不可欠な組織です」
これだけは譲れない部分である。後は有識者で素案を改良していってくれれば良いのだ。
俺の評定での役割は以上だ。と思ったが、氏規さんが
『直光。この内務省という所、仕事が集中しすぎていないか?』
これ以上俺に聞かないで欲しいよ。うろ覚えの現代政府の体制を元に作った素案なんだから。
「その辺は、皆様で適宜改良していただければと思います」
と無難に答え逃げようとするが、
『しかし、素案を用意したのは其方であろう。改良するにも其方の意見は重要だ。何しろ、我ら幕臣ではここまでの素案は到底用意できなかったのだからな』
と逃がして貰えない。板部岡さんも頷いている。まいった。
「内務省の業務の一部は現在の侍所、問注所がそのまま使えると思います。これに検地や戸籍の管理、火災の際の消防組織、農林水産業の発展を促進する部門を加えれば良いのでは?」
ん?上様も氏規さんも板部岡さんもなんか微妙な雰囲気だ。どうしたのだろう?
やがて、きまり悪そうに氏規さんが話だした。
『幕府では確かに全国に代官を派遣し検地を実施した。戸籍も作った。だが、その後、侍所、問注所は機能しておらんのだ。治安の維持は各領主に任せているし、今は目安箱があるだろう。目安箱の内容が幕府まで上げられた事は一度もないのだ。従って、侍所も問注所も今は不在となっている。現在の幕府は各地から上がって来た年貢を管理する政所しか機能しておらんのだ。直光』
言われてみれば目安箱の内容を幕府まで上げたことは俺達関東でも一度もなかったな。問注所ってのは現代で言えば最高裁だよね。判事も弁護士もいない世界でそんな組織機能しないか。あとは各探題が問題を起こした場合だがこれは政所の管轄か。
律令制の話もそうだが、この幕府の現体制も塀和から即席で教わった一夜漬けの知識なのだ。なんとも答えられないよ。
「では、侍所、問注所に相当する業務は現行通り各探題に任せ、内務省は検地戸籍、消防、農林水産業の振興を主任務とするでどうでしょう?上様が直轄する省が一つもないと、なんだか上様も帝と同様の存在になってしまうかと思って素案に載せたのです内務省」
『各地の治安や裁判権を探題に一任では、探題の立場が強くなりすぎないか?形だけでも幕府内に全国の治安や裁判を統括する組織があった方が良くないか?』
そう言ったのは氏照さんだ。確かに警察組織の頂点が探題では探題の力が強くなりすぎるか。治安維持というのは軍隊に準ずる武装機関なわけだからね。
「氏照さんの御意見にも一理ありますね。現在は北条一門は皆面識があり気心も知れていますが将来代替わりしたらどうでしょうか?治安維持する部門とは軍隊程ではないものの武装機関には違いありません。やはり、各地域の治安部門を統括する頂点組織は幕府内に置いた方が良いのではないでしょうか?」
『その意味では裁判権も同様だな。幕府が法を作り発布しても、現場でちゃんと守られているか審査する最高裁判権は幕府が持っていなければ、現場が暴走しても止める手段がない』氏房さんがそう言った。
『統括を主とする部門なのだから人数は然程必要あるまい。徐々に育成していけば良いのではないか。消防も農林水産業も幕府に設置するのは統括部門なんだろ?直光?』
「はい。仰る通りです」
氏照さんの言葉に答える。ようやく纏まりそうだ。これを受けて氏規さんが
『人数は然程必要ないうえ育成する時間もあるという事であれば内務省はこの内容でもなんとかなりそうですな。それに治安機関や裁判の最高権限者は上様直轄でなければというのも最もな意見です。如何ですかな?上様?』
『皆、良く有意義な意見を出してくれた内務省はその方向で育てていこう』
上様の一言で決着した。続いて氏規さんが
『皆さん、他に意見ございますか?私としては、資源技術開発省と防疫給水省が名称が長いのが気になります。これらも他の省と同様2文字にできないでしょうか?皆さんご意見御座いませんか?』
長いと言うのは氏照さんかと思ってたら氏規さんだった。
暫くの沈黙の後、板部岡さんが一案を出す。
『資という言葉には資産とか財を表す意味があります。なので資源技術開発省は資部省としては如何でしょう?それに直光殿。開発という言葉の語源はあなたの大嫌いな仏法の用語から来ているんですよ』
ぐわぁ。それは知らなかった。それじゃあ、幕府の組織に開発なんて言葉を使ったら生臭坊主に幕府に口出しさせる口実を与えかねん。
「それは知りませんでした。資部省。良い名称だと思います」
『防疫給水省については如何でしょう?現在の群発地震のような災害時に疫病や井戸の汚染を防ぐ重要な省です。防務省とか如何でしょう?』
氏規さんが今度は自分で案を出した。
『いいと思うけどよ。さっきの内務省の話の時に出た消防ってのも防務省の管轄の方が良くないか?火事だって災害の一つだろう?』
氏照さん鋭いご指摘。確かにその通りだ。
「確かに氏照さんのおっしゃる通りですね。防務省良い名称だと思います」
もう議論も尽きたかと思った所で、氏規さんがまた問題提起をする。
『素案にある財務省、軍務省についてですが、古代の律令制の時代に同じような組織があったそうです。大蔵省と兵部省です。古の名称を再使用するか、素案にある新しい名称を使用するか?皆さんはどちらが良いと思いますか』
この中では若い氏勝さんがすかさず反応した。
『兵部省より軍務省の方が良いでしょう。兵より軍の方が規模が大きいし日ノ本軍の幕府内の呼称に相応しくないですか?』
さらに板部岡さんが続ける。
『財務省については律令制時代には大蔵省の他民部省という所も財政を掌っていたようです。どうやって役割分担していたのか今となっては定かではありませんが、新たな幕府の体制に相応しいのは新しい名称である財務省ではないかと考えますが如何でしょう?』
これを聞いて上様が
『うむ、氏勝や板部岡の言う通り、新しい体制には新しい名称が相応しいだろう。ここは財務省、軍務省としようではないか』という一言で決まった。
更に上様は
『各省の名は決まったが、省の長の名称は何とする?律令制時代は卿と呼んでいたそうだが、折角掃除した公家っぽくて余は正直好きになれんのだ』
上様も公家の相手には苦労していたようだ。
省の長の名か。現代なら大臣だけど、この時代だと何が良いんだろ?
これには公家との付き合いが長かった氏規さんが答えた。
『そこを決めるには上様の地位を何にするかが重要かと思います。秀吉に倣って関白とするのか?あるいは律令制の時代にあった太政大臣とするのか?仮に上様が太政大臣となれば各省の長は上様の次官となるので、大納言、中納言、参議等と言う名称が適当かと思います。公家が好みそうな名称ではありますが・・
一方、上様の地位が関白の場合、先程の太政大臣以下の役職が全て空きますので、左大臣、右大臣。あるいは全員を大臣と称する事もできるかと』
流石は氏規さん詳しい。いや6年前までは小田原で武将だったのだから、この6年のご苦労が偲ばれる詳しさだわ。ホント、今までお疲れ様でした。
しかし、明治政府もこういう話し合いをして決めて行ったのかね?この時代より更に200年も後に律令制まで遡って議論してたとしたら、ご苦労様の一言だよ。
『太政大臣ってなぁ聞いたことない名称だな。関白と違って秀吉の野郎の色もついてないしよさそうだが、省長を大納言とか公家みたいに呼ぶのもな。呼ばれる方も嫌だろうよ。がはは』
氏照さんの言う通り、太政大臣なんて職俺も知らなかったよ。
それに俺は資部省の長にほぼ決まりだから、左大臣だの右大臣だの雛人形みたいに呼ばれるのは嫌だし、かと言って、大納言なんて小豆や羊羹みたいに呼ばれるにもなんかなぁ。
ここで、上様が
『実は関白とは別に摂政という呼称もあるのだ。関白と摂政は同じ帝の補佐という点では同じ地位なのだが、帝が未成人の場合、政を代行するのが摂政。帝が成人している場合の相談役が関白、という表向きだが成人した帝に代わって政を行うのが関白となっておる。従って、これまで、摂政と関白が同時に存在したことはない。ただ、鎌倉幕府でも室町幕府でも帝が成人していようがいまいが征夷大将軍が最高位だった。従って、北条幕府では帝の成人の有無にかかわらず摂政が最高位。関白は摂政の相談役、従来の将軍にとっての副将軍のような立ち位置にしてはどうかと思う。さすれば、秀吉は所詮、副官どまりの男だったという印象付けにも繋がる。如何思う?』
上様が皆に問いかける。
これは上手い手だわ。秀吉が任じていた関白という地位を北条幕府でのナンバー2という位置にしてしまえば、秀吉は真の天下人ではなかったという印象付けになる。
上様も策士になったものだわ。俺は思わず
「流石は上様。素晴らしいお考えに御座います」
と言ってしまった。皆も大きく頷いている。
「各省の長の称号ですが、省の間には上下の関係はないので皆同じ称号にすべきと思いますが・・」
『某も同意見です。摂政・関白と各省の長で幕府の評定衆となるのですから、省の長の名は”大臣”か”納言”または”参議”のいずれかに統一すべきでしょう』
板部岡さんの発言だ。これを受けて氏規さんが
『やはり、納言や参議は公家が金策に使用していた官位の印象強く穢れを感じます。某は”大臣”を推しますが、皆様は?』
皆も否はないようだ。というか、勝手が違う話ばかりで俺も含めて皆疲れているようだ。
やがて上様が
『他案がないようなので、各省の長の呼称は”大臣”とする』
これで幕府内の長の名称が漸く決まった。後はどの省の大臣に誰を据えるかだ。




