1596年10月23日 将軍家大評定2
『なあ、直光。太陽暦って何だ?』
そう問いかけて来たのは氏照さんだ。
「太陽暦とは簡単に言えば一年を365日と固定し4年に一度閏年を設け366日とする暦です。この大地が太陽を回るのに365日掛かる事から太陽暦と呼ばれているんです。主に切支丹が使用している暦です」
『そんで、今の暦をそれに変える必要は何なんだ?そもそも、この大地は太陽の周りを回ってんのか?そんなの初耳だぞ』
地動説の説明をしなきゃいけないのか?それは厄介だな
「今の暦より、太陽暦の方が精度高いのです。太陽暦なら4年に一日、閏日を設けるだけで良いのです。今の暦の閏月の複雑さに比べれば比較にならない簡潔さです。暦が簡潔であれば、幕府の予算の使い方や年貢を取る時期始め、幕府の政策全般に計画が立てやすくなるでしょう」
『なるほどなぁ』
氏照さんは納得してくれたようだ。地動説の説明しなくて済みそうだ。良かった。
だが、上様が重要な問いを発する。
『切支丹が使用している暦という事だが、直光は日ノ本を切支丹の国にするつもりなのか?』
「まさか!そんな事をしたら、日ノ本の民は帝ではなくデウスを信奉うするようになってしまいます。太陽暦に切り替えるのは先程も申し上げた通り、簡便で便利だからという理由です」
「それに、4年前より伴天連共には、”この日ノ本こそデウスの御子が住まう場所だ”と信じさせる工作を講じております」
『おぉ聞いておるぞ。果心居士と共に伴天連を翻弄し失禁させたそうだな』
氏照さんの豪快な笑い声が評定の間に響く。続いて長宗我部氏親が
『先日も、エスパーニャの宣教師達が都から土佐に戻ったら人が代わったように一の宮にお百度参りを繰り返しております』
氏親さんも面白くてしょうがないという表情だ。
『余も聞いたな。エスパーニャの宣教師の大男達が、揃いもそろって子供の様に大泣きしておったそうだ』
そう言ったのは上様だ。
『は~っ、はっ、は、それ程か』
またも氏照さんの豪快な高笑いが評定の場に響く。
『太陽暦の便利さは理解しましたが、ただ、暦を切り替えるのは大作業ではありませんか?幕府内に留まらず、全国の民にも周知しなければなりません。直光殿は切り替えにどれくらいの期間を要するとお考えか?』
氏光さんの冷静な指摘があり皆冷静さを取り戻したようだ。
「太陽暦では、今日は12月12日なのです。正月まであと20日もありません。なので再来年の正月を持って切り替えるのがよろしいと思います。それだけ時間があれば、改暦の諸問題も洗い出され解決しているのではないでしょうか」
再来年の正月まで後1年と2ヶ月だ。決して無謀な案ではないだろう。
皆、黙して語らなくなってしまった。頃合いを見て関白・氏規さんが、
『上様いかがです?某は直光殿の案の通りでよろしいかと思いますが』
『そうだな。では、再来年の正月明けに改暦としよう』
上様の最終決定を持って、再来年からの太陽暦採用が決まった。
続いて氏房さんが問うてきた。
『直光殿、この廃刀令というのは刀狩りとは違うのか?』
「刀狩りは領民から武器を奪う事です。対して廃刀令とは私達武士を含めて帯刀をやめるということです。皆様もご存じの通り大砲や種子島の登場で刀は既に主武器としての役割を終えております。現在の帯刀には武士の象徴のような意味合いしかありません。今後は腰に邪魔な物を下げるのを止め、警護の者だけが種子島や槍を持つようにすれば充分と思います。害獣対策に武器を所持したがる集落もあるでしょうがその場合は武器の種類や数を登録制にし地域の代官が管理すれば良いと思います」
『ふ、ふ、まあ、男の象徴は腰の真ん中にあるからな。今時、横に差す必要はないって事か』
氏照さんの評定での下ネタは健在である。
『陰陽道・易経・家相・風水の廃止とあるが、態々廃する程の害があるのか?』
氏規さんが冷静に指摘する。
「これらは、民のみならず人心から向上心を奪ってしまう害悪です。その意味では生臭坊主の説法と変わりません。占い師、祈祷師なる怪しげな者が跋扈し不幸な目にあった民に近付き口八丁で金品や食料を盗んでいくと聞きます。無論、そのような者の戯言で不幸が晴れる筈はなく、領民の不幸は続きます。」
「従って、これらを全面的に排し、占い師、祈祷師を名乗る者は悪党として誅し、領民の不幸は幕府や地方代官がケア、あいや、癒すよう政を推し進めることが肝要です。我が伊勢家では幼子の面倒をみる託児所を各所に設置し子育てへの負担の軽減を図ってきました。働き手を失った家族には年貢の免除や女子でもできる仕事の斡旋なども行ってきました。領民が不幸を感じる原因は様々でしょうが、我が領内では凡そ収入を得る術を失った事、もしくわ、長年暮らした家族が他界した事が原因の大半でした。稀な事象では伴侶の浮気というのもありましたが・・」
評定にどっと笑いが起こる。
『う~む。直光の話は一理あるな。特に不幸な目にあった領民からさらに財をむしり取る占い師、祈祷師なる者は悪党そのものではないか。如何ですかな上様?』
氏規さんの問いに上様が応じる。
『陰陽道・易経については直光の言う通りである。が、風水はどうだろう?風水によって設計された家はかなりある筈だ。かく言うこの都もそうであった筈だが、風水で作られた家や街を全て壊すというのか、直光?流石にそれでは予算がいくらあっても足らぬのではないか?』
「あ、いや、態々壊す必要はございません。上様仰る通りそんなことしては予算がいくらあっても足りません。確かにこの都は風水思想によって設計されましたが、今日まで何度、大乱に見舞われてきたでしょうか?鬼門とされる方角に比叡山延暦寺を建立しましたが、戦乱の時代に延暦寺が何度焼き討ちに会った事か。そもそも板部岡様が言われたように延暦寺は朝廷の意に従わない権勢を誇った時期もあったのです。延暦寺自体が鬼そのものだったのです。風水などなんの根拠もない眉唾な考えです。風水廃止とは今後は鬼門だとか裏鬼門だとかいう珍妙な考えは捨て街を発展させて行こうという意味です。街自体を作り直す必要はございません」
『要するに直光が言いたいのは、延暦寺なんぞ建て直す必要ないって事だろ?』
氏照さんの豪快な一言が評定を支配する。
ここで、板部岡さんが止めを刺す。
『そもそも、陰陽道・家相・風水の思想は現在では相互に複雑に絡みあっており、どれかを廃止しどれかを残すというのは実際、不可能と思います。仮に風水だけ残したら、不幸なめにあった領民に近づき、”不幸になった原因は家の玄関の位置が悪いからだ”等と言う、陰陽道や易経から転身した悪党が現れる事でしょう』
結局、この発言が決め手になった。上様が
『悪党に逃げ道を用意するのは拙いな。直光の言う通り全て廃止にしよう』