1596年10月23日 将軍家大評定1
北条家の大評定は毎年5月と11月に小田原で開かれる。だが、今回は異例の事態という事で聚楽第で上様と関白・氏規さんも加わり行われた。
議題は言うまでもなく幕府のいや今後の日ノ本の機構改革である。
この評定に参加しているのは、幕府から上様、板部岡さん。関白・氏規さん、氏照さん、氏光さん、氏房さん、氏忠さん、俺・伊勢直光、氏盛君。更に他家を継いでいる長宗我部氏親、親戚筋である伊達政宗も上洛した。
実は俺は北条家の大評定の度に、幕府の機構改革の必要性を訴えてきていた。一つは、将軍の名称だ。征夷大将軍の征夷とは蝦夷を征伐するという意味だが、現在の蝦夷は亀田半島は伊勢家の領内となっており、それ以外のアイヌ人居住地とも交易を通して極めて良好な関係を築いていた。すでに日本語を話すアイヌ人も多くいるし、彼らがコタンの中心に据える祭壇はそのまま社に適用可能な程神社に酷似しているのだ。実際彼らの漁法によって齎される北の海の幸の数々は、日ノ本の民の舌を大いに満足させており、最早、征伐など不可能と言ってよい状況だった。
さらに言えば、大将軍とは元々武門の長の役職であり、政の長の名称としては些か違和感のある称号なのである。
このような話を俺は大評定の度に、鮭や鰊、海栗、イクラ、それに缶詰のお陰で流通可能になった蟹を振舞い説いて回っていて、それなりに理解を得られていたのだ。
そしてもう一つ、北条家内に渦巻いている公家への嫌悪感がこの改革を後押ししていた。
北条家では元来、名乗っている官位の大部分は自称だった。だが、将軍家となった手前、自称は拙いだろうという事で、公家に正式に官位を認可してもらえるよう要請した。
そこで、例によって公家衆に法外な金品を要求された。ただでさえ、急に領地領民が激増して統治の為の出費が嵩んでいる時にこんな要求をされ、以来、家内では官位など使用しなくなってしまった。”北条”という家名こそが最大の官位という認識となったのだ。
だが、その大嫌いな公家共は都から一掃された。彼らが独占していた連歌などの文化は公家の家に奉公にあがっていた者達がいれば途絶える心配はない。また、公家の家にあった膨大な資料は全て幕府が接収した。これらの資料と元奉公人がいれば連歌や蹴鞠などは公家の嗜みから日ノ本の民の文化に広めていけるだろう。
公家がいなくなった事で、彼らが自らの家の格を維持する為だけに使用し政の世界から消えていた関白という地位を幕府の長の名称にすることが可能となったのだ。関白秀吉は例外的なケースで、現在の関白・氏規さんも仕事と言えば、幕府と宮中の取次ぎ役という茶坊主のような仕事しかさせて貰えてなかったという。
加えてご隠居様・北条氏政が帝として即位した事も追い風となった。
公家衆が一掃された以上、後陽成天皇も譲位を迫る八瀬や幕府の声を無視できなかったのだ。
ご隠居様・氏政は即位に先立ち正親町上皇の第三皇女と婚姻した。
現代では皇室について男系男子とか難しい話があったが、俺は興味がなかったので詳しくしらない。ただ、皇女と結婚したとはいえご隠居様自身には皇族の血は入っていない。
北条は桓武平氏の一族だそうだが、桓武天皇って一体何代前の先祖だろう?現代の皇室研究学者が知ったら間違いなく仰天する事だろう。
また、上様・北条氏直も誠仁親王(後陽成天皇の実父)の第二皇女と婚姻した。上様には既に督姫という正室がいるが、今後はどちらを正室とするか議論となるだろう。
また上様の猶子として、今年産まれたばかりの後陽成上皇の三男・三宮(後の後水尾天皇)が入る事になった。
朝廷の血縁の話は俺にはさっぱり分からないし関心もないので、有識者達に一任したが、この複雑な婚姻、猶子の縁組でご隠居様の即位の正統性が担保されるらしい。
さて、ここからが俺が一番気掛かりにしている幕府の機構改革である。
俺が構想し北条家内では賛意を得ていたのは、
・帝は日ノ本の象徴として君臨するが政には関わらない。
・政は帝が任命した第一人者が幕府を開き、下々の民への政務を行う。
これは現代の象徴天皇制そのものである。そして、幕府の長は関白になるのか他の名になるのか分からないが、現代で言うところの総理大臣である。
それに加えて、
・以前、蒲生氏郷が言っていた千年も前に天武天皇が発布し今も守られているという肉食禁止令の廃止。
・寺僧による説法の禁止。
・寺僧に戒名の授与禁止。
・寺領の所有は認めるが幕府の役人による検地を受け、公定税率の4公6民に基づき税を納める事。
・神社でもないのに賽銭箱を設置している寺は仏寺として認めず廃寺とする。
・仏僧は知識人でも高位者でもなく、単なる墓守である事を認める。
・お布施で高額な金品を要求された領民は目安箱にその旨投函する事。
肉の美味しさは既に評定参加者は十二分に理解してもらっている。謂わば胃袋を掴んだ状態だから認められるだろう。
それ以外の寺と坊主に関する事柄が認められるかは不安だったが、意外にも僧の経験もある有識者の板部岡さんが、
『寺を有識者として遇し、説法などさせると碌なことになりません。古くは平城京を廃したのは東大寺が権力を持ち過ぎた為だと言われています。平安時代に権勢を振るった白河法皇でさえ、延暦寺はいう事を利かせられらなかったと和歌に記しています。幕府の安定した統治の為には寺の権威は極力抑えるようにすべきでしょう』
『仏僧を幕府相談役に任命する事も禁止したいくらいです』
とまで言って援護射撃してくれた。
坊主が日ノ本を混乱させたのは一向一揆が最初じゃなかったようだ。
俺が言いだしたのはその他は明治維新を踏襲したものが多く、
・陰陽道・易経・家相・風水の廃止
・廃刀令
・太陽暦の採用
以下は幕府内の組織の中核となる省の素案。名前は全て仮称だ。
・財務省の設置(現代の財務省と同様。税の徴収から北条札の印刷まで国の予算を司る)
・軍務省の設置(現代の防衛省の事)
・文部省の設置(現代の文科省のうち学校教育を担当する部門だ)
・資源技術開発省の設置(国内の鉱山、油田、ガス田の開発とそれらを使用した技術開発を担当。現代の経産省と文科省の科学技術に相当する部門だ)
・造営省の設置(現代の国交省の事。この時代は建設を普請と言うがこの言葉は仏教用語が元となっていると聞き、造営という言葉に変更した)
・防疫給水省の設置(現代の厚労省の事。適当な名前を大評定で決めてもらう)
・内務省の設置(現代の総務省の事。幕府のトップである関白か摂政の直属で各地域の探題を統括する。検地や戸籍の作成管理、現代の消防、警察、法務、農水省に相当する任務も統括する)
・公地公民令の発布(俺が律令制で覚えている唯一の制度だ)
(1)日ノ本の土地は全て帝の土地であり私有は禁止する
(2)幕府以外が領民を徴兵することを禁止する
(3)各地の大名は武将か文官か明確にし、武将なら領地を離れ軍務省に仕官、文官なら土地の代官として各地域の探題に仕える。
文明開化の象徴である散切り頭も盛り込みたかったが、以前、伴天連に丁髷は神の印と言ってしまったので見送った。
また、外務省も時期尚早として見送った。この時代の外交とは戦争しかあり得ないと考えたからだ。
その他、幕府の組織の素案を作図し、大評定に持ち込んだ。
元々、政治には詳しくない俺は、これをたたき台にして、後は有識者達で決めて行って欲しかった。譲れないのは軍務省つまり日ノ本国軍の創設である。




