1596年9月12日 密談
『しかし、まさか地震までも仕掛けに利用してしまうとは!あなたってお人は』
目の前の黒頭巾は面白くて仕方ないと言う表情だ。
『あのエスパーニャの宣教師達の子供のような泣き顔!あんな物を見られるとは良い冥途の土産ができたわ。はっ、はっ、はっ、はっ』
彼、鞍馬天狗は俺と一緒に天井裏から司祭達の謁見の模様を盗み見していたのだ。
今年は俺達関東勢が浅間山の大噴火の対応に追われている間、西日本も大変な事になっていた。豊後(現在の大分県)、伊予(同愛媛県)で相次いで大地震が発生し、7月には都でも大地震が起きた。伏見城他東寺・天龍寺・二尊院・大覚寺といった寺が倒壊、その後も余震は続き、瓦礫の撤去は中々進まないといった状況だった。
俺はこの状況を利用したのだ。大陸出身の人間は地震をあまり経験していない。現代でも日本に来た留学生が地震に怯えきっていたのを何回も見た記憶があった。
司祭達を都までほぼ水路で移動させたのは余震の揺れを感じさせないためだ。地震にあった経験のない人間ならば、少々の揺れであれば舟の揺れと誤認すると思ったからだ。更に瓦礫を見せないよう都入り前に頭巾で目隠しをさせ謁見の間まで連れて行った。
聖母マリアに扮したのはラーニャの側仕えをしているユダヤ人女性だ。例の実験で俺との間に双子を設けた女性でもある。名をマリアという。ヘブライ語、アラビア語、そして日本語のトリプリンガルである。以前、果心居士が房総に遊びに来た際、彼女は奇術、幻術に大変興味を示し、暫く果心居士に手ほどきを受けていたのだ。最も彼女の奇術への関心はあくまでも子供達を楽しませる事を目的としたものだった。得意の早着替えで子供達を良く笑わせていて子供達の人気者になっていた。
現代イスラエルに住むユダヤ教徒の人達がイエス・キリストをどう思っているのか、俺は知らない。何しろ古代イスラエルの滅亡を予言し磔の刑にあった人だからね。
しかし、この時代、伊勢家に拾われるまで奴隷として扱われ聖書等とうに手元から失われているマリアは、俺の書いた即興のシナリオを理解し見事に演じ切ってくれた。
マタイ伝もアルマゲドンもユダヤ教では認めていない新約聖書に出てくる話だ。自らの信仰にない話を本当に良く演じ切ってくれた物だと思う。
謁見中の地震は本当になんの仕掛けもない、日本に住む者なら最早慣れっこのただの余震だ。だが、小舟に揺られ、目隠しされ歩かされていた彼らには謁見の間に着くまで余震を感じとる余裕もなかった筈だ。聖母マリアから苦言を呈されている最中に人生初めての地震を体験したら、鞍馬天狗が爆笑したような大泣きになったという訳だ。元より舗装道路などないこの時代の都だ。余震の度に瓦礫が崩れるし、浅間山の火山灰の影響もあって土煙は立ち上る。いや、4年前とは比較にならない即興でここまで上手く決まるとは、俺も笑いが止まらない。ふふふふふ。
あれから土佐に戻った司祭達は、船長・船員の捕縛裁きを日本側に託し、積み荷を天使に献上すると正式に表明した。また、巻物に書いてあった新エルサレムの作法をもっと学びたいと言って土佐一ノ宮・土佐神社への参拝を毎日行っていると言う。ここまで効果覿面だと地震様様だよ全く。
彼らは次回、凶の密貿易船が来た時にマニラに送って行って貰う事にしよう。
さて、鞍馬天狗との話に戻らねば
「やはり、改元の話は出ているのか?」
『うむ、天変地異があった時に改元するのはよくある事だからな。最も改元で天変地異が収まったという話は聞いたことがないが。はっ、はっ、はっ』
未だ都は瓦礫の山だというのに今日の鞍馬天狗は大変な上機嫌だ。大柄な異国の司祭共のピーピー赤子の様な泣き顔がよほど可笑しかったとみえる。
「以前から話している通り、俺は改元は帝の代替わりの時に限るべきだと思う。鞍馬殿も言うように改元で天変地異が収まる筈がない。単なる改元は目の前の困難から目を逸らすだけの行為だ」
俺が言っているのは現代日本の天皇制に基づく話だ。因みに俺はこの世界に来てから和暦を使用していない。木内館長代理が”秀吉が小田原を攻めたのは西暦だと1590年”と言っていたので、頭の中ではずっと西暦使用である。流石に月日は旧暦だが。新暦にしてしまうと家臣達との会話に支障が出るからね。
『しかし、後陽成天皇は即位してまだ10年、年齢も20才の若さだ。譲位を促しても本人は元より公家共が五月蠅いだろう。その辺り、伊勢殿は何か名案でもあるのか?』
鞍馬天狗の言う事も最もである。20才の天皇に隠居してくれと言っても大義名分は難しい。そして天皇が若いが故に公家、つまりあのお白い爺共が宮中でより一層幅を利かせているらしいのだ。
「鞍馬殿、三種の神器を見た事はあるか?」
『ま?まさか?そんな物。裏世界の人間である某が見たことあるわけないだろう。ただ10年前の主上の即位の礼では三種の神器は箱に納まったままで中は誰も見なかったという噂は聞いたな。三種の神器の引継ぎこそ即位の礼の主題のはずなのに変な話だと思った覚えがある』
「実は手の者がその箱の中身を確認したのだが、中は空っぽだったそうだ」
地震で都が大わらわの最中に五右衛門が忍び込んだのだ。当初は偽者にすり替える予定だったが、そもそも中身が空だったというので、そのままにして戻って来たという。
『は?何?内裏に忍び込んだというのか??』
「いや。まあその。そういう事になるかな?地震の所為で都が混乱していたから出来たことだ。決して八瀬の失態ではないぞ」
『それは理解するが。全くあなたってお人は!恐れと言う感情はないのか?』
「話を戻そう。”三種の神器の箱が空”。これはどういう意味だと思う?日ノ本は長い事戦乱が続いた。都も荒廃した時期があった事だろう。そんな時に、誰かが三種の神器を売り払い当座の資金に充てた。考えられるのは凡そこんなところではないか?」
『う~む。確かに先帝も先々帝も即位の礼を上げたのは即位してから何年も経てからだったな。しかし、三種の神器を売り払う等ありえん。そもそも、左様な物の在りかを知っているのは・・』
「公家。しかも上位の」
『そうなるな・・』
「三種の神器を売り払うなど国賊物の大犯罪だ。何時誰が仕出かしたかは分からないが、帝の回りに寄生する役の立たない公家共を大掃除する口実にはなるだろう。鞍馬殿、協力してくれぬか?」
先程まであれ程上機嫌だった鞍馬天狗は、神妙に考え込んでしまった。
『・・・・・確かに公家を罰する大きな証拠にはなるな。そして、公家が一掃されれば譲位の件も主上本人の同意次第となる。伊勢殿の今回の”いりゅうじょん”はこちらの件であったか!ただ、公家は我が国の長い伝統の証でもある、命を奪うのは・・・・』
鞍馬天狗は俺が公家を皆殺しにすると確信しているようだ。
「誤解されるな鞍馬殿。公家衆は都からは退いて貰うが命までは取りはしない。新たな地で日ノ本の文化を根付かせる仕事に着いて貰う。我が伊勢家は蝦夷の更に北の島々や南は小笠原諸島と名付けた新たな領地がある。公家衆にはそういった地に赴いて地元の民に日ノ本の言葉、文字、文化を広める担い手になって貰おうと思っている」
『一言で言えば、処払いだな。流石、伊勢殿、上手い事を言われるわ!ふおぉぉ、ほっ、ほっ』
どうやら高笑いが復活して鞍馬天狗の機嫌も直ったようだ。
『時に伊勢殿。某が協力したとしても帝の攘夷先は誰にするのだ?それに三種の神器がないというのも放置できない問題だぞ。どちらも、某の手に余る問題だが?』
「そこについては、俺に一案ある。暫し、時間をくれ」




