1596年9月5日 謁見
*聚楽第・謁見の間*
サン・フェリペ号に乗っていた各会派の司祭7名は、ヘススとの謁見が叶うと聞き、期待と希望に胸を膨らませて上洛した。無論、積み荷は全てヘススに献上するつもりだし、一介の船長や船員の意向など各会派の威光をもってすれば容易くへし折れることが可能だと考えていた。
日本にもフランシスコ会の宣教師は何人かいる。彼らから堺で日ノ本式の礼の作法を学んだ司祭らは作法だとして都入り前に黒頭巾を被され案内役に手を引かれ謁見の間までたどり着き、頭巾を取り平伏してヘススの登場を待った。
やがて、通訳として土佐から帯同してきたブルネイ人女性が声を上げる。
『面をあげよ』
期待と希望と恐れを持って顔を上げ上座を見上げる司祭達。だが、そこにいた人物に一同目を疑った。上座にいたのは赤みを帯びた長髪の女性だったのだ。纏っているのは鮮やかな赤い絹の着物だ。やがて、彼女が口を開く。
『ヘススは非常にお怒りだ。よって、其方らには面会せぬ。ただ、其方らを追い返すのは余りにも不憫故、我が面会することにした。我は「使徒たちへの使徒」であるからな』
動揺を見せる司祭達は『まさか、マグダラの・・?』ひそひそ話が始まっている。
『沈まれ!』ブルネイ人通訳の一喝で漸く場は収まった。
上座の女性が発言する。
『其方らエスパーニャはアルマダの海戦で敗れ自らの身の程を思い知った筈だ。その上、4年前にはヘスス自らこの新エルサレムに来たエウロパの信者に対し、それまでの行いを悔い改め異国人を奴隷にするなと諭した。にも拘らず其方らは、相変わらずマニラ近郊の島民に残虐な行いを続けているな。其方らの載ってきた船ではアフリカンの奴隷も使役している。更にデウスへの信仰を異国征服の方便に使っていると堂々と宣う者がいたと其方らを保護した者達から聞いたぞ。これ正しくサタンの所業である。ヘススがお怒りになるのも当然の事だ』
『アルマゲドンが起こるのは其方らエスパーニャの地であろう。ここはヘススが再臨した新エルサレムである。今すぐここから立ち去るが良いサタン共!!』
司祭達はアルマゲドンという言葉に仰天した。無論、そんな話は勿論、奴隷解放の話もイエズス会からは全く聞いていなかったからだ。
フランシスコ会のファン・ポーブレが皆を代表して発言した。彼はもう目の前の女性がマグダラのマリアだと疑ってはいなかった。
『聖母マリア。4年前にヘススと会見した者らはイエズス会という偽信者です。彼らはヘススの言葉を秘匿し私達には全く教えなかったのです。聖母よどうか、我らにもヘススの言葉をお教え下さい。お願いいたします』
その時!グラッ、グラッ、謁見の間が徐々に揺れ始めた。揺れはやがて大きくなり天井や柱が軋む音が大きくなりだした。最早、座っているのもやっとという激しい揺れである。
外からは建物の倒壊音だろう。物凄い音が轟いている。地面の揺れで粉塵が舞ったのか元々薄暗かった謁見の間がいよいよ視界が悪くなってきた。
だが、上座の聖母は微動だにせず下座の司祭らを見下ろしている。
長期の航海で海の揺れには慣れている筈の司祭達だが、流石に大きな地面の揺れ、所謂、地震は初めて体験するのだ。聖母の御前でなければとっくに逃げ出していた事だろう。
激しい揺れの中、聖母が口を開く。
『其方らは偽者とは言え聖書くらい読んでおるだろう。マタイの福音書に何が書いてあるか良く思い出してみよ!』
司祭達が目を凝らして見ると、先程まで赤い衣を纏っていた聖母が、いつの間にか雪の様な真っ白な衣に代わっているのである。
『まっ、まさか、天使様?』
マタイ伝28-2にはこんな記述がある。
”大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石を転がしその上に座ったのである。姿は稲妻のように輝き衣は雪のように白かった”
上座には石こそないが、先程、外では石を転がす様な大きな倒壊音が鳴り響いていたのだ。この暗がりで、聖母の姿がみえるということは、聖母自身が輝いているのかもしれない。
聖母?天使?上座の女性は黙したまま司祭達を見つめるだけである。
地震は収まった。と思うとまた揺れだし、落ち着くまで1時間程掛かった。
恐怖に震える司祭達には丸一日いやそれ以上に長く感じた事だろう。
やがて、上座の女性が口を開く。
『デウスやヘススのお怒りがこれ程とは。我も肝を冷やしたぞ。この大地の揺れ全て其方らの不信心のせいだ。マタイ伝にアガペーという言葉が出てくるのは知っていよう?”デウスは人間をその行為や社会的地位や身分や性別などによって区別せず、恵みを与えてくださる”とある。つまり、”善人にも悪人にも変わることなく恵みを与えてくださる”という意味だ。それ故に、デウスがここまで大地を揺るがし怒りを露わにしたという事は、其方らが最早人間ではなくサタンであるとみなされているという事よ!』
『この新エルサレムの大地を揺るがすサタン共!今すぐ立ち去れ!!』
司祭達はもう全員が落涙していた。
『天使様、サタンの所業を行ってきた者達は我らが必ずや誅します。しかし、純粋にヘススを信仰し清貧に慎ましく暮らしている者も多くいるのです。彼らには何卒寛大なるお慈悲をお願いいたします』
天使?は冷ややかに彼らを見下ろすと、一巻の巻物を取り出し司祭に放り投げた。
『それには、この新エルサレムでの教会の作りや祈りの作法が書いてある。其方らが日頃欲している金銀財宝など一切必要とせぬ作法だ。アフリカでも絶海の孤島でも其方らがやって来たヌエバ・エスパーニャにある物でも容易に行える祈りの作法だ。その作法に則り清貧に尽くし、其方らの船が立ち寄る先の民を、例え相手が悪事を働いたとしても隣人の様に愛し続ければ、あるいはデウスも其方らを人間として認めてくれるやも知れぬな』
天使?聖母?の女性はそれっきり、薄暗い上座の奥に消えてしまった。通訳を務めたブルネイ人が告げる。
『これで謁見は終わりました。外に案内人が待っています。速やかにお戻りください』
外に出ると、確かに案内役が待っており、
『都は先程来の地震で大変危険な状態です。舟を用意しております。直ぐに都を離れます。付いてきてください』と言われた。
水路から見る都の状態は確かに酷い有様だった。都のそこかしこにあった仏塔は悉く倒壊したのか高い建物は皆無である。相変わらず揺れは断続的に続き地上では土煙が立ち上り、小舟は転覆の恐れもあり司祭達は生きた心地がしなかった。
延々小舟に揺られ真夜中に堺に着いた司祭達は漸く宿の落ち着き、下賜されたエスパーニャ語で書かれた巻物を夜通し読み明かした。




