1596年4月10日 浅間山大噴火
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木更津にガレオン船を係留した俺達を待っていたのは、雄二が直々に出迎えに来て告げた浅間山噴火の報だった。実は浅間山は昨年も一度噴火し領内はじめ氏房領、氏勝領の河川に設置している街灯用の小水力発電器が火山灰の被害を受けたので手入れ要領は知れ渡っている。今回も同様に手入れし夜間照明は絶やしていないそうだが、今回の噴火は昨年とは規模が違い4月4日から4日間に渡って噴火し続け麓の上野、信濃では降り注ぐ噴石で多くの人が亡くなり、中小坂鉄山や群馬鉄山も火山灰の被害を受け操業停止して鉱夫達を避難させたという。
降り注ぐ火山灰により昨年の関東信濃は凶作だったが、これで2年連続の凶作が確定してしまった。雄二は
『兄者の帰還を待って、小田原で緊急評定を行う事になってるから、大至急支度して小田原に向かってくれ』
と言われた。全く、少しは休む時間が欲しいよ。
という訳で、ガレオン船と木馬ヨット、ブルネイ人女性2人の管理は正木水軍に任せ、俺達一行は馬で一度佐倉に戻った。
佐倉城では垪和康忠が待っていた。彼によると幸い領内の被害はないとの事だが、昨年の教訓を活かして今後上流から流れてくる火山灰を大量に含んだ川の水に注意すると言った。また、中山家範から氏照さんが会いたがってると言われた。
流石に城で一泊する事は許されたので、久々に自室で就寝できた。この時代はまだ羽毛がないので繭から採った真綿の布団である。因みに夕が正室になって以来、側室のラーニャやザワティは夕の許しを得た夜以外は床を共にしない。
そして翌日、中山家範と二十歳になった千葉重胤を伴い小田原に向かった。弥助はガレオン船のアフリカン10名の差配をしているので、今回の警護は中山照守、相馬秀胤だ。二人とも蝦夷樺太にも同行した26歳。伊東師範の道場でも有数の成長株だとの事で警護役に抜擢した。
千葉重胤は伊勢家が房総を領して以来、垪和康忠の元で政を学んでいたのだが、塀和からそろそろ外交の場にも出して経験を積ませたいという意向を受けて俺の近習として小田原に連れて行く事にした。謂わば、外交の初陣だ。
今回は正木水軍長も頼忠の次男・正木為春(23歳)だ。木更津から小田原までは近いので軍長として初陣を経験して貰う事にした。
そして、やってきた久しぶりの小田原城。評定はご隠居様、氏照さん、氏忠さん、氏房さん、氏勝さん、そして俺の6名で行う。進行は幕府勘定方を嫡男に譲って隠居した山角定勝だ。『これより評定を始める。先ずは浅間山の噴火について氏忠殿』
甲斐・信濃を領する北条氏忠が発言する
『佐久平は酷い状態だ。多くの領民が死んだ。小田井城、小諸城付近は人が立ち入れる状況じゃない。生き残った領民は善光寺や上田城下の安楽寺などいくつかの寺に避難してもらっている。今年はもう佐久平での農業は不可能だろう。皆の支援をお願いしたい』
と頭を下げた。
氏照さんが
『氏忠の領する信濃・甲斐から見れば佐久などほんの一部だろう。頭を下げるほど大事なのか?』と問いただした。
『確かに信濃は広いですが山地が多く米はあまり採れません。甲斐も同様です。佐久平は某の領内で最大の米どころなのです』氏忠さんは苦渋に満ちた表情で答えた。
『そうだったか』氏照さんも神妙な表情だ。氏照さんの領する越後つまり新潟は現代では米どころだが、この時代は長い降雪期と信濃川の氾濫に悩まされ決して収穫は多くはない。栽培が容易な青苧(麻の一種)から作る越後上布が主力商品だ。現在、俺の協力で信濃川の堤防工事を進めている最中だ。もう一つの収入源が俺が糸魚川で採掘している翡翠を直江津に卸している事だ。氏照さんが運河建設に拘っていたのも翡翠の販路拡大を狙ってのことだったのだ。
一方、米に関しては氏房領も昨年に続く火山灰による凶作の確定で非常に厳しい状況だ。
ご隠居様が『二年連続だが幕府に減税を上申するよりあるまい』と言った。先代幕府勘定方の山角定勝がいるので通るだろうが、本来なら北条幕府を支えないといけない北条領内から二年連続で減税をお願いするというのだから、下手をすると幕府の権威低下を招きかねない事態だ。そこで俺が発言する
「昨年も申し上げましたが、幕府に雑穀や海産物の米に対する比率を下げて頂くようお願いしては如何でしょう?稲は育つ場所が限られます。関東では今年だけでなく今後も浅間山の噴火被害の可能性はあるのです。更に天城や霊峰・富士も噴火の可能性を有する山だという事も考慮すべきです」
幕府も北条時代同様米以外での納税を認めているが税の基本が米である事は変わりがない。北条時代からの榛原升は米を計る升であり、雑穀の場合は品物に応じて米のn倍という基準で納税量は決められている。海産物も干物にして長期保存可能な品は納税が認められているがやはり米に比べると税率は悪い。
「氏忠さんの信濃では蕎麦が良く採れるのでは?」
『うむ、確かに蕎麦の収穫は多いがあまり美味ではないので米の50倍は納めねばならんのだ』現代ではそば処信州だがこの時代は蕎麦は美味しくないという。
「それでは、蕎麦は避難民向けの食料に当てては如何でしょう。当家で製造した”醤油”という新しい汁があります。これに伊豆で採れるワサビを加えれば蕎麦も中々美味になりますよ」
『直光が言うのならさぞかし美味いのだろうな。氏忠、今は避難民にどんな物を与えているのだ?』氏照さんが援護しえくれた。
『はい、伊那谷などで採れる、ザザ虫やイナゴ、蚕の蛹に蕎麦などの雑穀を与えておりますが、佐久平ではイナゴは兎も角、ザザ虫や蛹は食してなかったようで、特に子供に食べるのを嫌がる者が多く御座います』氏忠さんも困り顔だ。そこで俺が、
「虫類は栄養満点ですから成長期の子供にこそ食べて欲しい物なのですが、それは困りましたな。では、昆虫に変えて肉を与えては如何でしょう?猪や鹿なら信濃でも良く採れるのでは?」
『いやいや、寺の境内を避難場所に借りているのだ。肉を与えるのは拙いだろう』氏忠さんはとんでもないといった表情だ。
「では肉と分からないように調理して与えましょう。佐渡で採れた芋、伊豆の島で採れた椿油を使えば中に肉が入っていてもそれとわからないような品がつくれます」
俺が言ったのは、コロッケとかメンチカツなどである。
「更に牛乳もそれとわからないよう加工して食して貰う事が可能です」
これはチーズ、バターのことだ。
『それは助かる。正直、寺では与える物が制限されていてザザ虫や蛹も供するまでに住職らとひと悶着あったのだ』氏忠さんの気苦労に皆同情的だ。
「いえいえ、子供達が肉の味を気に入ってくれれば、伊勢家にとっても未来の優良顧客になりますから」
実を言えばこの評定にいる面々を始め北条家内の重臣達は、房総で採れる牛肉、豚肉、鶏肉の美味しさにすっかりはまってしまっているのだ。まあ餌付けに成功したともいえる。
『伊勢殿には世話に成るな。で、当家から支払える対価だが・・』
言いにくそうな氏忠さんを制し俺が答える。
「実は諏訪地域の山中で鉄鋼石が採れる事が分かりました。なので、その採掘の許可を頂きたいと思います。あとは、出せる分で結構ですので北条札でお支払いください」
『それだけで良いのか?』氏忠さんは信じられないと言う表情だ。
北条札は以前は税の三割までは納税に使用する事が認められていたが、幕府がもう充分に全国に浸透したとして、納税の一割五分までに引き下げられてしまったのだ。つまり納税が認められていない作物を育てても換金して納税することが以前の半分までという事になってしまったのだ。現状の北条札は偽札作り放題の粗野な紙だから仕方ないとはいえ、果実などを主産品としてきた土地ではかなり混乱したと、橙の産地である四国の長宗我部氏親も言っていた。
「あと、昨年も実施しましたが人が入れるようになったら火山灰の収集をお願いします。天竜川の運河建設に使用します。昨年はあまり採れませんでしたが火山毛が降ってきたら回収するよう領民に徹底して下さい。これらは貴重な繊維素材になります」
急流な上に細かい蛇行を繰り返す暴れ天竜の整備は難しくセメントを多用しているのだ。
『浅間山関連は以上で良いかな?』進行の山角定勝が確認する。
特に意見がないので『では、氏邦殿の件を。氏照殿』
促されて氏照さんが話し出す。『先ずは直光殿、弟が迷惑をかけたな。この通りだ』
氏照さんに頭を下げられるとは思っていなかったのでこれにはビックリ。なんと応じて良いか分からない。
『氏邦は未だ精神的に不安定でな。林泉寺に入れる事にした』
『直光が寺を良く思ってないのは分かっているのだが、こればかりは他に手立てがなくてな』
氏照さん、依然、神妙な表情だ。ただ、この時代には心療内科もないし仕方ないか。先程の避難所の件といい、寺には寺の活用法があるものだ。全部廃寺にしようかと思ってたが少し考え直そうか。
「委細了解致しました。氏照様ご配慮ありがとうございます」
俺はそう答えた。
評定からの帰路、千葉重胤に声を掛けた。
「どうだ?皆と良く話せたか?」
『はい、緊張しましたが、一通りお話できました。浅野長政様、甘粕景持様には可愛がっていただきました。伊奈忠政殿は某より若いのに聡明なお人でした。あと、久しぶりに新蔵(北条氏勝の弟繁広)に会えました』
皆と友誼を結べたのなら外交デビューとしては及第点だろう。
正木為春の水軍差配も緊張気味だったが無事に航行し、木更津に戻り佐倉城に帰還した。




