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1596年3月23日 ハネムーンpart5 小笠原仕置き

評価を付けて下さった方、有難うございます。

事前にソナ宛てに伝書鳩で帰路は時間が掛かる事、島民の敵を捕らえた事を伝えてあったので大きな混乱もなく出迎えてくれた。ガレオン船内にも小舟はあったので、後ろ手に縛ったエスパーニャ人共を全員父島に上陸させた。


島の古老・キプハや家族を殺された者達を交え、エスパーニャ人の処遇を話し合う。と言っても、初めから死刑は確定している。俺達とエスパーニャが交戦した事を知る証人に生きていて貰っては困るからだ。誰がどうやって殺すかについて島民で話し合って貰った。


その間に俺は家臣達と島民に下賜する品を話し合う。ガレオン船の積み荷は香辛料、磁器、象牙、漆器、絹織物等である。どれも貴重品ではあるが現在の島民の生活を考えるとこれらを渡しても暮らし向きが良くなるとは思えなかった。島に一番詳しい小笠原秀政が


『香辛料は南蛮の植物の種や茎根を乾燥させた物も多くあります。ここには無人島も多くありますし、乾燥の行き届いてない品を島民に渡して栽培をするよう促してはどうでしょう?キプハはグアムでは農耕も行われていたと言っていました。もしかしたら、香辛料の国産に成功するかもしれません』


秀政の意見を入れ船内の香辛料を調べた結果、胡椒、ナツメグ、クローブ、シナモン等に乾燥が緩そうな品、根が付いてる品を見つけ島民に栽培を任せてみる事にした。


一応、島に賠償として送る品はガレオン船に載せてあった50艘程の小舟とした。また、船長室にあった北条札は本土との交易に使用できるとしてキプハに預ける事にした。


最後は解放奴隷の処遇だが、アフリカン10名は弥助が登用したいというので預ける事にした。ブルネイ人女性2名は本土に連れ帰りきょうが来航したら引き渡し帰郷して貰う事にした。残るはチャモロ人男性5名と明人女性の賄い婦だが、チャモロ人はキプハらと同郷つまりグアム出身者だった。チャモロとはエスパーニャ人が付けた名前だという事が分かった。彼ら5人はこのまま島民に加わって貰う事にした。明人女性も彼らと仲が良いので一緒に島民になることになった。


島民によるエスパーニャ人への仇討ち処刑は怒りを込めて行われ、石器で切りかかる者、石を投げる物、漁用の銛で突き刺す者、傷口に塩やイソギンチャクの毒を塗る女性など島民総出で行われ、エスパーニャ人全員が絶命するまで結局4日掛かった。


漸く日常を取り戻した父島で、俺は八丈島で貰った砂糖を一樽送った。下賜したガレオン船の小舟はそれと分からないよう模様を入れるなり形を変えるなりするよう指示した。


そして、島に残り農業指導したいという小笠原秀政を正式に小笠原の代官に任命し後を託しガレオン船を先導して出港した。


途中、立ち寄った八丈島では新婚だという俺と夕に黄八丈の絹織物を頂戴した。この旅が新婚旅行だと今頃思い出した。


結局、帰りはガレオン船を先導する為徐行したので房総まで半月程掛かった。行は小笠原諸島まで計4日だったから物凄くのんびり航海だったことになる。

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