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1596年3月10日 ハネムーンpart1

正木水軍に運航を頼み夕との新婚旅行に出発した。結婚して2年、中々時間が取れず新婚旅行に出られなかったのだ。俺は先月の鯨の大量死の件でヨットに乗りまくっていたから、最早、船は慣れたものである。旅程は、


→八丈島→青ヶ島→小笠原諸島


という単純な物だ。


八丈島まで一日。八丈島から青ヶ島のサトウキビ畑を見物して小笠原諸島まで3日の予定だ。案内役は小笠原秀政だ。


気になるのは夕だ。今俺の前に居るのは姉夕だが、妹もどこかに潜んでいるのだろうか?


通称木馬4隻の中に潜む場があるのだろうか?また、新婚旅行と言う事で日頃、申川油田の研究所で聴覚の指導に当たっているソナ・ソナオが祝いの品を持って来てくれた。彼らの祝い品は


津軽家からヒバの香りの匂い袋、精油。

秋田家から桜皮細工の文庫と簪、組子細工の衝立、曲げわっぱの木箱(弁当箱?) 、書状。

南部家から花形組子の衝立、久慈琥珀の簪。


と多彩だった。津軽のヒバの匂い袋は以前、俺が為信に提案した物だが、先月、鯨の保存に津軽に立ち寄った際、為信から蒸留器を所望されたので2器提供したのだが早速精油を抽出したようだ。これは良い香りがする。


また、秋田家の書状は、領内全ての地域の油田探査採掘を許可するという許可状だった。秋田城下では草生津川くそうづがわと呼ばれる川がある位、油が湧き出る地が多くあったのだ。その他にも、八橋油田、黒川油田、桂根油田・羽川油田と現代の秋田県は明治大正期に油田の宝庫だった地域なのだ。


元より伊勢家は新規発見鉱山の優先開発権を幕府より認められているが、この鉱山権利の中に油田も含まれているのである。今までは、男鹿半島を割譲し申川油田だけで採掘してきたが、秋田家領内と男鹿半島ではビニールハウス栽培などかなり生活水準に差が出ていたので、秋田家としては領内全てを伊勢家に開放するので油田を見つけて掘ってくださいという所だろう。


この辺りは十三湊の生活水準が向上したので津軽家がすり寄って来たのに似ている状況だ。


そんな各家の下心の詰まった祝い品の運び役をやらされた感のあるソナとソナオだが、ちゃんと彼らからの祝い品もあった。それは石橋たま製造のナイロン生地にサヴァン症候群の女性がろうけつ染めを施した色鮮やかな花柄の反物だった。夕はその美しさに反物を着物に仕立てるのを惜しみ、そのまま飾れないか考えようと言った程だ。


さて、そんな土産を佐倉に置き、正木水軍、小笠原秀政、ソナ・ソナオとその世話人、護衛の弥助、まだ新婚旅行をしていないという立花夫妻も加わり、通称・木馬ヨット4隻で八丈島に出港した。

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