1596年2月3日 鯨の大量死再び
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この日、土佐の長宗我部氏親から幕府に鯨の死体が大量に浜に打ち上げられていると連絡があった。氏親に寄れば先月も鯨の大量死があり領民総出で解体を行ったそうだが、もう保管場所が確保できないので、幕府で何とかして欲しいと言っているそうだ。
で、上様も板部岡さんも鯨の大量死と言えば俺!という事になったらしく、本件の担当奉行を仰せつかってしまった。
俺は早速、九鬼水軍、正木水軍、梶原水軍を動員して、旧来の風車式ウオータージェット推進双胴船(通称・木馬)を総動員して十三湊・蝦夷に向かい雪、氷を確保次第土佐に向かい、解体の終わった鯨を次々と荷揚げして、十三湊・蝦夷に輸送した。
十三湊、蝦夷のハクチャシ(函館)では領民総出で氷室の建設を進めており鯨が到着次第運び込まれた。また、外ヶ浜の津軽為信も氷室を建設し鯨を受け入れてくれた。為信はかつて貧民窟のようだった十三湊の発展に思う所あったのだろう。蠣崎家仕置き以降、伊勢家に非常に協力的である。領内でアイヌ差別をしないよう触れを出すと共に差別が発覚した場合は厳しい措置をとっているらしい。
蝦夷ではハクチャシ(函館)と共に松前の廃墟を利用し氷室を建設受け入れに当てた。
500頭はあろうかという鯨を何とか捌き氷室に納め終わるまで二週間掛かった。
平和になって大分食料事情が良くなったとはいえ、鯨のような有用素材は大切にするに越したことはない。
6年前、鯨の大量死があった時は俺がこの世界に転移してきた。今度は何があるのだろうか?一般的には地震とか火山噴火とか天変地異があるといわれているが、俺に無い知識が技術を持った人が転移してきてくれたら嬉しいのだが。最も敵になられたら困るけど。
この一件のお陰で土佐に行った氏親さん(元千葉直重)と久々に話すことが出来た。
先代の弟・香宗我部親泰はもう没しているが、長宗我部家臣との関係は良好だと言う。長宗我部水軍は小田原の戦いで大打撃を受けたが現状はどうなんだろう?
氏親さん曰く
『漁船は残っていたので、漁民の漁は全く心配はない。水軍は俺が来たときは殆ど壊滅状態だったが、今は安宅船こそないが、関船、小早を中心に30隻くらいある。でも、伊勢殿の新型船の評判は聞いたが凄い性能らしいじゃないか?当家にも卸して貰えないか?鯨を運んだ船も甲板は広いし速度も凄かった。是非、卸して欲しい。偶に外国船が沖を通る事があるので警備に欲しいんだ』
そう言われてしまったので、俺は土佐の船大工を何名か雇う事にした。長宗我部家がヨットを所有する際には幕府の許可を取ると氏親さんは確約した。




